第4話 闇
ある日のサービスの最中での出来事だ。
車椅子に乗り、デスクへ向かおうとしていた由奈さんが「ウッ!」と悲痛な声を突然上げ、右足の膝上辺りを押さえつけている。
すぐに駆け寄る名帆。
「大丈夫ですか! 由奈さん!」
「時々なるんだ、平気だよ」
苦痛に顔をゆがめる由奈さん。
「由奈さん...
足をさすりながら、ちょっと驚いた顔をし名帆をみる由奈さん。
「知っているのかい? 名帆ちゃん……」
「ええ、勉強して知っています」
「……そうだよ、無い足が痛むんだ」
「ああ……お辛いですね、由奈さん」
「僕……ね、トラック乗ってたの、大型。高速道路で大事故しちゃってさ。自分のせいさ。ぶっ飛ばすのが好きでね。その日は荷物を早く届ける必要もあったから、つい……。そしたらカーブで曲がり切れなくて、足が車体に挟まれてさ……。病院に運ばれて、医師がね『組織の回復が見込まれないから、切断しかないです』ってね」
「そうだったんですね……」
自分には当たり前にある足……。名帆は当たり前ではないような気持ちになった。自分の体に感謝だ。
改めて、由奈さんが日常的に負っているご苦労を想い、胸が痛んだ。それと由奈さんカッコいい! と想った。
(初めて逢ったときのあの美しい笑顔は顔立ちだけが創ったものではない。彼の努力、そして背負っている辛さと闘っている情熱が魅せたものなんじゃないかな)
(そして……そして、あたしは……本当にスキになっちゃった)とその時に気づいた。名帆は由奈さんのことを。
「由奈さん、あたし……」由奈さんの話を聴き終えたあと、名帆が切り出した。
すると……由奈さんが人差し指を立て、自分の唇に当てた。
「名帆ちゃん……大事な人が居るんでしょう」
「え! なんで、武のこと知ってるんですか?」
少し微笑んで由奈さんは「知らないさ! でも……名帆ちゃんみたいに素敵な女性、良いお人が居るだろうな~って思っただけ」
由奈さんは、あたしが告白しようとしたことも、恋人の存在も感じ取った。エスパーみたい。
しばらくし……名帆は武に別れを告げる決心をした。
自分の気持ちに嘘をつけない。
「御免ね……武、急に呼びつけたりして」
『話したい事があるから家に来てほしい』と、数日前電話で告げた名帆だった。
今週の土曜日は名帆と武の休日が一緒になった。そんな、今日。
「武、あたしと別れてください」……。
一瞬の沈黙ののち取り乱す武。
「なんで? どうしたの!? 名帆……この間の乱暴のことかい? それならこの通りだ!」
突如土下座をし、頭を床にまで垂れる武。
「頭を上げて! お願いだから! 武、武っ……!」
「うん」
やっと武が椅子に座り直した。
「それだけじゃないの」
「え? 他になに……?」
名帆は目を閉じ、深呼吸をした。そっと目を開けた。
「好きな人ができました」
……突然表情が変わる武。目が吊り上がり、ギリギリギリと歯ぎしりをしている。
「誰だよ? え?! 言えよ! 名帆! 早く言えよっ!」
名帆は言ってたまるかと思った。ご利用者様に迷惑をかけるわけに行かない。
「言いません」
すると武は言った。
「ハハ~ンッ! 新しい利用者か? 名帆がサービスに入ってるっていう、男だろ?! あ!? 図星なんだろっ!」
「違うわ!」
武はニヤリと笑った。
(いったいどうしちゃったんだ、武。あたしが由奈さんに心を動かされているのは事実。それに勘付いていたの? まさか……。それにしても、この間の乱暴と言い、こんな物言いと言い、こんな武は見たことがない。人がまるで変わってしまったみたいに)
「いいさ。今日は帰る!」
ズカズカズカズカ……! バタン! 玄関ドアが壊れそうな勢いで閉めて行った。
(悲しい、凄く。兎に角……怒りよりも悲しみを感じる。本当に悲しい。恋をしてしまった、他の人にときめいてしまったあたしがいけないの? いいえ、そのことと暴言・暴力は一緒にすべきではないわ)
武……。
名帆は武をもう嫌になったが、大切な人だった。何でこんなに変わってしまったんだろうと思うとやり切れない。それとも彼に潜んでいた何かなのか?
これが悪夢だったらいいのにと思いながら、名帆はその夜眠れないまま朝を迎えた。
次の週の由奈さんのサービスの前日、起き上がれないほどの頭痛に襲われた名帆。
これでは明日の仕事は無理だろう。「さみだれ」に電話を入れた。
「あ、もしもし……北田先輩、松田です」
「ああ、名帆ちゃん、どうしたの?」
「なんだか……熱はないんですけど、頭が割れそうに痛くって……」
「え? それ、病院に行ったほうが良いよ?! 名帆ちゃん」
「はい……。それで、明日の由奈さんのサービス、北田さん、代わって戴けないでしょうか?」
「ええ、もちろん。いいよ。兎に角、名帆ちゃん……辛いでしょうけど、何の病気かわかんないからね、病院に行きなさい」
「はい、分かりました。では由奈さんのサービスを……すみません、先輩、宜しくお願いいたします」
名帆はあまりにもつらいので、タクシーで大病院を訪れた。
痛がりようから、ドクターは急性の脳内の病気ではないかと即検査をした。しかしMRI検査・CT検査共に異常なしだった。風邪の症状も全くないし、脳神経内科で出せるのはこれだけだ、と痛み止めの飲み薬が処方された。
帰宅しその痛み止めを飲むと、昨夜眠れなかったせいか眠気がやって来て名帆は眠った。
翌日には頭痛はおさまっていた。
来週は由奈さんのサービスに入れる、と安心した。
(それにしても、武のこと……もう嫌だ。万が一の時は警察を呼ぶ覚悟で、もう一度別れ話をしよう。本当に……あんな武になってしまって。誰にだって短所はある。でも、暴力は赦せない。武を心底嫌いになった)
スマホが鳴った。
武だ……。
「はい」
「名帆? 会いたいよ。今から行ってもいい?」
いったいどういうつもりだろう? この間の鬼のような武とはまた違う、弱々しい武だ。
名帆は、丁度別れ話が出来る、と考えた。
「いいわよ」
武はすぐにやって来た。
「名帆……この間は御免……。どうか俺を赦してほしい。俺、何で自分がこんなに豹変してしまうのか分かんないよ。自分で歯止めが利かなくて怖いんだよ」
(病んでしまったんだな)
名帆はそう思った。
(武は教員として働くストレスを抱えている。それと、もしかしたら……あたしが武以外の人に心奪われていることに、前からうすうす気づいていたのかも知れない。彼は病院に行くべきだ。精神科に)
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