第2話 指が触れた……

 フ~。これで初日のお掃除と調理は終了。まだサービスの時間は残っている。


 由奈さんがリビングから声を掛けて来た。

「あ、松田さん……コーヒー、淹れてもらっても良いですか?」

「はい、もちろん」と明るく返す名帆。


 お仕事の達成感のみならず、こんな感じの良い利用者さんにご縁ができたことが嬉しい。

 少々……不純な想いも混じってはいるが。


 名帆も自宅では、スーパーで買ってきた挽いた豆をドリップするので上手に淹れられる。辺りに香ばしい匂いが漂う。


「あの、良かったら、松田……」と黙る由奈さん。

「ン?」とちょっと嬉しくなり「名帆です、わたし。『名前のナ』に『船の帆先のホ』で名帆と申します」なんてアピールしちゃった。


 すると由奈さんは、やはり名前を知りたかったようで「ああっ!」とニッコリ。

 そして続けた。

「名帆ちゃん、良かったら一緒に飲みませんか」

「名帆ちゃん?!」ビックリし、ついオウム返ししてしまった名帆。

「あっ、ごめんなさい。失礼だったかな……。お嬢さんだから ” ちゃん ” って呼んじゃった。ダメでしたか?」

「いえ……あたし、お嬢ちゃんなんかじゃありませんよ?」

 イタズラっぽく笑う名帆。

「え……? 名帆ちゃん30も行ってないでしょ」

「ブ~、はずれー」とついはしゃいでしまう名帆。

「僕は38才だよ。名帆ちゃんは……? あ、失礼だよね! いきなりこんな……女性に向かって」

「いえ! 平気ですよ。年齢を重ねるごとにレディは磨かれていくんです。わたし、42才」

「え――――!?」

 コーヒーを吹き出しそうになる由奈さん。

「アハハハハ」二人で笑う。


 そうこうしていると、サービスの時間も残り10分。急いで名帆はコーヒーを飲み干し、自分が使ったカップを洗う。

「あ……」と振り返ると「ううん、僕のはまだ入っています。仕事しながらゆっくり飲むので、洗う必要なし」

「ハイ!」

 なんだかほんわかしていいな~、と和む名帆。

 そんな風に新規契約者、由奈さんの初日のサービスは終わった。


 そして翌日……。

 デート中、苺ソフトをペロペロ、もぐもぐしつつなんとな~く上の空の名帆。

「……ねぇ、きいてるの名帆?」

「……ン、あ、なんだっけ。ごめんなさい、武」

「やっぱりきいてなかった。だからさ、ウチの生徒がさ、最近聞き訳がなくて困っちゃうんだよ」


 武は女子高の教諭だ。

「授業中にちっちゃな鏡取り出してね、口紅塗ったり……なんていうの、ポンポンポンって、なんかほっぺの上のほうにやってんの! あ~教師の面目丸つぶれだぜ」

「そっか~……。女の子はおしゃれが好きだからね。あ……武、あたしあれ乗りたい!」

 メリーゴーランドは少女の夢だ。

「えええ~、恥ずかしいよ。俺みとくね」

「うん! 見といて、見といて。写真撮ってよね!」

 ロマンチックな装飾を施したメリーゴーランドが昔っから大好きな名帆。


「わ~い。ハイ! 今よっ、今! 撮って! 武! シャッターチャンス逃さないで、お姫様の!」

 おきゃんなお姫様だ。武は名帆に言われるがまま必死になって写真をスマホで撮り続ける。肉眼のお姫様がほとんど見られていないではないか。


 今度武が「あれに乗ろうぜ!」と言い出したのは、ジェットコースター。

「いってらっしゃ~い」

 名帆は、昔はへっちゃらだったのに今は怖くてしょうがないのだ。

「いってきまーす!」

 安全ベルトをしっかと装着し嬉しそうな武。グルングルン回り、いちばん高ぁーい所で止まり、急降下するジェットコースターを、武を見守っていた。


 武と名帆は深く愛し合っている。が、二人とも気ままな一人暮らしを好むゆえ、結婚をしない。二人とも、特に子どもが欲しいとも思っていない。


 そんなこんなで楽しいデートの時間が過ぎて行った。

 胸の中には、きのう「名帆ちゃん」と照れながら呼んだ由奈さんが居た。


 毎週、由奈さんのサービスの日が来るとワクワクしてしまう名帆。

 お化粧を念入りにし、トレードマークのポニーテール用のシュシュも、うんと可愛いものを身に着けていそいそと仕事へ出掛けた。

 お化粧する時間が楽しくてしょうがなくなった。マッチ棒が乗りそうなほどマスカラを塗り過ぎたり。

 それでもサービスの際、どうしたって汗をかくのでウォータープルーフもへったくれもあったものではない。


「名帆ちゃん、休憩しながらで良いですからね! 水分補給してくださいね」

(優しい、由奈さん……)

「はい、ありがとうございます」

 名帆は持って行っているマイボトルのルイボスティーをゴクゴク飲んだ。


(あ……) 汗が流れ、頬に指をやると黒いものが付いた。

 お風呂掃除の際、こっそり鏡で自分の顔を見た。

(うっわぁ! お化粧崩れてる~。やだやだ!)

 しかし、そんなことよりも、由奈さんのお部屋を綺麗にし、美味しいごはんを作ってさし上げよう。うん。ガッツを燃やす名帆であった。


 サービスの途中、由奈さんが「名帆ちゃん、お願いします。高い棚なんですが……あそこの中に茶色い大きな封筒が入っています。もう必要ないと思って前のヘルパーさんに、しまい込んでもらったんです。でも必要で……。取ってもらっても良いですか?」

 そんなに高い棚ではない。小さな踏み台1つあれば扉を開け、取れる。でも、片足の膝から下がない彼が杖を突いたり、義足を履いたりしてなんとかして取るにはあまりにも危険だ。

「わかりました」


 名帆にとっては簡単なことが、由奈さんにとっては大変なんだな~と改めて気づく。


 封筒はすぐ目についた。踏み台を下り名帆が「はい、由奈さん、どうぞ!」と、車椅子の由奈さんに渡した時……指が触れてしまった。

 カー……! 真っ赤になってしまう名帆。

「あ……ありがとう」

 なんだか由奈さんも恥ずかしそうだった。


 ドキドキ、ときめきが止まらない由奈さんのお宅への業務。

(ほんとうに、あたしどうかしちゃってる)


 相変わらず、名帆は武とお家デートもするし、武の休み前には泊まって行くこともある。

「最近どう……? あぁ、新しい利用者さん、大丈夫? 無理難題とか言ってこない?」

 武が名帆を気遣う。

「ええ、大丈夫よ。問題ないわ」

 あまり……言えない、由奈さんのこと。だって……。


 今日は待ちに待った由奈さんの家事援助サービスの日。一週間長かった~。

『さみだれ』は週に1回だけ由奈さんのお宅に入る。他の曜日は他の事業所のヘルパーさんがローテーションで入っているのだ。この業界は人員不足で、なかなか利用者さんお1人に同じヘルパーがつきっきり、というのは難しいのが現状だ。


(今日はポニーテールを巻き毛にしてみようかな?)

 ヘアアイロンでクルン、クルンと早朝から、デート前の乙女さながらの名帆。気づいてくれるかしら? 由奈さん。

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