プニマル


 プニマルという名前が与えられてからの数日間は、ボクにとって夢のような時間だった。


 痛い実験もない。狭いカプセルの中でもない。おいしいごはんと温かい寝床がある。


 本当に夢のような時間だったんだ。


 だからこそ、そんな時間を与えてくれた拓真を巻き込みたくない。体をバネにして必死に走った。


 そして路地裏の奥深く。四体のゴブリンを見つけた。


「検体七〇二号はこのあたりに逃げたはずだ。勇者に見つかる前に回収して魔界に帰るぞ」


 ピッ、ピッ、ピピピピピ。


 懐の探知機が、激しい警告音を鳴らし始める。やはり、ボクを見つけるための装置を持ってきていたようだ。

 

「近くにいるぞ! 警戒しろ!」


 リーダー格のゴブリンがそう叫ぶ。だが、それでも呑気な表情を浮かべる奴が一体いた。


「ははっ、警戒しろって、所詮スライムでしょ」


 まずは油断しているこいつを標的に決める。


「待て、迂闊に歩くな!」


「心配いらねーよ。どうせ大したことできな――」


 その瞬間、ボクは物陰から飛び出し、近づいてきたゴブリンの心臓部目掛けて飛び掛かった。

 

 体を液状化して皮膚から体内へと潜り込み、その奥底にある魂を飲み込む。


 そして、今までその恐ろしさ故に拓真にも言えなかった、ボクの異能『寄生』が発動した。


 

 ボクの意識が、ゴブリンの魂へと接続する。異能『寄生』の効果は肉体の乗っ取り。相手の魂を破壊することで自我を無くさせ、身体能力を限界まで引き上げた上で、ボクが自由自在扱えるようになるという恐ろしい力。


 その魂の破壊方法が……、相手の深層心理で抱えている最も恐怖を感じる光景を引き出すというというもの。それは、過去のトラウマだったり、これから起こりうる可能性のある未来だったり、まったくあり得ないものでもあったり。相手によってさまざまだが、今回は――、


「ひ、あ、やめ……オレは、失敗なんか……あガ……アアアアアッ!」


 喉が裂けんばかりの叫び声を上げた。


 研究の失敗。他の魔物からの粛清。そして、実験動物として解体される自分の姿。ゴブリンにとっての恐怖は、今までボク達スライムに実験と称してやってきたことと同じような光景だった。


 ゴブリンは白目をむいて絶叫する。現実では何も起こっちゃいない。だが、こいつの脳内では今、生きたまま腹を裂かれ、内臓を引きずり出される激痛と絶望を体験している。


 この能力の発動間、物理的な時間はほぼ流れていないようだ。だから、異能による光景は心が折れて自我がなくなるまで、何千回、何万回と続く。


「やっぱり、気味が悪いよ」


 それを特等席で見せられるボクもまた例外ではない。他人であるとはいえ、苦しむ様子をずっと見続けるのは吐き気がするし気が狂いそうにもなる。


 しかし、この絶望を見せるという寄生の異能の効果は、ボク自身が制御できるものでもない。


 そもそもこいつらは、ボク達に悪逆非道な実験を何度もやってきた存在。だから、実験で他の相手に異能を使う時と比べれば幾分かマシだった。


 硝子が砕け散るような、硬質な幻聴が響いた。取り憑いたゴブリンにとっての恐怖の許容量を超え、魂が砕け散った合図だ。


 空っぽになった肉体。そこにボクの意識が溶け込み、目覚める。



 視界は明らかに高くなっている。手足のある感覚も伝わる。


「そいつの中身は、もう別物だ! 七〇二号に乗っ取られているぞ!」


 ボクの異能を知っているリーダー格のゴブリンが叫んだ。その言葉に弾かれたように、近くにいた手下のゴブリンが剣を抜こうと踏み出す。


 だが、それよりも早く、右腕を思いっきり振るった。


 寄生の異能効果によって強化された肉体での全力の一撃。当たれば、確実に倒せる速度と威力だったはずだ。


 だが。


 拳は、ゴブリンの顔面の数センチ横を、虚しく空切り――そのまま勢い余って、背後のコンクリート壁へと直撃した。


(嘘……外した!?)

 

 壁面が蜘蛛の巣状に砕け、破片が飛び散る。相手が避けたのではなく、ボクが空ぶったのだ。凄まじい破壊力でも当たらなければ意味がない。


「ひっ、あ、危ねえ……!」


 標的にしたゴブリンが、顔を引きつらせて後ずさる。壁に空いた大穴を見て、完全に腰が引けていた。


「狼狽えるな」


 しかし、リーダー格のゴブリンだけは、眉一つ動かしていなかった。そこにあるのは、不恰好な実験動物を見るような冷徹な観察の目だけ。


「異能効果で肉体が強化されたとはいえ奴の攻撃は、狙いすら定まっていない」


「あ……」


「所詮はスライム風情。急に手足がついた器に入っても、脳の処理が追いついていない」


 あいつの言う通りだ。右足を出すにはどこの筋肉を使う? 二本の足でどうやってバランスを取る?  球体から人型への急激な変化に、感覚がまったく追いつかない。


「恐れることはない、囲んで叩け。器にダメージを蓄積させろ。一定以上の損傷を与えれば、強制解除だ」


 やはり知っているんだ。ボクの異能のことも、その弱点も。


「――っ、来ないで!」


 左右からゴブリンの振るう刃物が迫る。距離を取ろうとしたが、足がもつれて体勢を崩した。その隙を、敵が見逃すはずもない。


 二の腕に、焼き付くような熱い痛みが走った。深い、だがこれくらいスライムの治癒能力で治せる。でもこのまま一方的に攻撃を受ければ寄生が解けてしまう。


「……ッ!」


 修復した腕を鞭のようにデタラメに振り回す。だが、その抵抗も虚しい。動作が大振りすぎるせいで、ゴブリンたちには鼻で笑うように避けられてしまう。


(当たらない!)


 焦るボクを嘲笑うかのように、背後で空気が震えた。リーダーの周囲で、地面のアスファルトがめくれ上がっている。物理干渉系の異能だ。圧縮された瓦礫の塊が、ドリルのような弾丸となって浮遊していた。


「貫け」


 冷徹な号令と共に、凶器が射出される。この距離、転んだ体勢。回避は間に合わない。


 ならば受け流すまで。スライムの能力で、腹部を液状化させ、物理攻撃を透過させようとした。


(――ダメだ、変換できない!)


 慣れない体では、イメージ通りに細胞を変形させることができない。ゴブリンの肉体のまま、アスファルトの弾丸が直撃した。あまりの衝撃に声にならない悲鳴が漏れた。


 スライムの能力で身体を修復しようとしたが、それよりも早く意識が途切れる。


 ダメージの受け過ぎで乗っ取ったゴブリンの肉体からはじき出され、ボクの体は冷たいアスファルトの上へと放りだされた。


「あ、う……」

 

 痛い。熱い。ゴブリンの体で受けた痛覚が未だ心に残っている。震えが止まらない。


「確保だ。殺すなよ。こいつは貴重なサンプルだ」


 頭上から冷徹な声が降ってくる。ゴブリンたちがこちらへ歩みよってくるのが目で見えた。


 逃げ出したい。またあの冷たい研究室に戻りたくない。でも体は動かない。


(……ううん、これでいいんだ)


 ボクがここで捕まれば、拓真は巻き込まれずに済む。  あの優しかった時間を、ボクの手で守り切れたんだ。


 ギユッと目を閉じる。よかった。拓真を助けられて、本当によかった。


 そう、自分の運命を受け入れた時だった。


 路地裏に場違いな足音が響く。躊躇のない全力疾走のリズム。


「え?」


 目を開ける間もなかった。強い力でボクの体が乱暴に掬い上げられた。


「っ、拓真!?」


 見上げると、そこには息を切らせた拓真がいた。彼はゴブリンたちを一瞥すらせず、僕を小脇に抱えたままトップスピードで駆けていく。


「馬鹿野郎、まだ異能のこと何も聞いてないぞ」


 短く、それだけ。

 

「なっ……」


 ゴブリンたちが虚を突かれて反応が遅れる。当然だ。武器も持たない人間が突っ込んできて、魔物であるボクを助けようとするなんて思いもしなかったのだろう。


「逃がすか!」


 我に返った手近なゴブリンが飛び掛かり、錆びた剣を横薙ぎに振るう。


 だが、拓真は走るリズムも崩さず、ほんのわずか上体を沈める。


 頭上数センチ、凶器が髪を掠めて空を切る。


「チッ、すばしっこい鼠め」


 背後で、リーダー格の冷徹な声がした。空気が爆ぜる音。あのアスファルトの弾丸だ。


「拓真、後ろ!」


 ボクの悲鳴より早く拓真は動いていた。路地裏に放置された、自動販売機。走る勢いのまま、その分厚い筐体の裏側へなだれ込むように身を投げた。


 直後、爆音とともに、自販機の側面が内側からはじけ飛んだ。鉄板が紙くずのように捲れ上がり、中身の缶ジュースが破裂して散乱する。ジュースや自販機を知らない魔物が驚いている隙に拓真はすぐさま次の一歩を踏み出す。


「直線的な軌道だな。弾丸を生み出すまでのラグもある」


 拓真は路地裏の障害物を――、電柱、不法投棄された粗大ごみ、看板を縫うようにジグザグに走った。

 

 二発、三発と弾丸が、さっきまで拓真のいた場所を抉り粉砕していく。すべて紙一重の回避だというのに、拓真は顔色一つすら変えない。強がっているようにも見えない。

 

 多分恐怖をあまり感じない人間なんだ。


 なんたって魔物であるボクを拾ったうえに怪我を治してくれたんだ。テレビを見て知ったことだが、人間は魔物に対して強い恐怖心を抱いているようで、助けるなんて本来あり得ない行為らしい。


 だが、恐怖を感じないことは決して強さというわけでもない。


 だってそれは、幸せになる道から踏みはずさないために必要な気持ちなのだから。


 確かにゴブリンに立ち向かえる拓真はすごいし、優しいと思う。けど、異能も武器もない人間が複数の魔物相手に勝てるとは考えられない。


「ちっ」


 拓真の逃げるルートを回り込むように、ゴブリンが現れた。


 振るった剣筋が、拓真の肩を掠める。

 

 リーダー格のゴブリンも狙いを変えたのか、弾丸で建物を破壊し、拓真の逃げ道を潰すように動き出した。


「面制圧だ。これならば逃げ場はあるまい」


 視界に入るすべての道が、ゴブリンの包囲網か、あるいは崩落した瓦礫の山によって物理的に閉ざされている。


 拓真は、とっさに崩れた建物を足場によじ登って逃げるという選択をした。だが、背を向けて空中に身を躍らせたその瞬間は、明らかに大きな隙だった。


 肉厚な何かが、勢いよく穿たれるような、湿った音が響いた。


 ゴブリンの放ったアスファルトの弾丸――いや、それはもはや杭と呼ぶべき大きさだった。鋭利な瓦礫の塊が、無防備な拓真の背中を捉えたのだ。


 体勢を崩し、勢いのまま地面へと激しく転がる。ボクも彼の手から放り出された。


「拓真!」


 駆け寄ったボクの視界に、残酷な現実が飛び込んでくる。


 横たわる拓真の腹部から、赤黒く染まったアスファルトの先端が突き出していた。


 背中から撃ち込まれた太い杭が、胴体を貫き、内臓を食い破って腹側へと飛び出しているのだ。傷口からは止めどなく赤い血が溢れ出している。


「あー……しくじったなあ」


 口の端から血を吐き出しながら、拓真は力なく笑った。


 背中の激痛と出血で、まともに身動きすら取れないはずだ。顔色は紙のように白い。だというのに、その表情に恐怖の色は微塵もなかった。まるでレンジで温める時間を間違えたような、あまりに軽すぎる反応。


 けれど、現実は無慈悲だ。本人がどれだけ平然としていようと、身体は正直に死へと向かっている。

 

 あふれ出る赤色が、ボクに突きつけてくる。終わりの時が近いことを。


「嫌だ、拓真が死んじゃう!」


 ボクのせいだ。ボクが彼を巻き込んだ。


 真っ白に染まる思考の中で、ある考えがよぎった。


 ――この傷は致命傷だ。でも、肉体そのものが千切れたわけじゃない。


 崩壊しかけている血管を、筋肉を、繋ぎ止めれば。スライムの力で、壊れたパーツを修復できればあるいは。


 だが、それをするためには『寄生』の異能を使う必要がある。つまり、拓真の魂を壊して、その体を乗っ取るということだ。


「この人間を殺してスライムは回収だ」


 残酷な笑みとともにゴブリンが歩み寄ってくる。迷っている時間はなかった。


「……ごめんね、拓真」


 出た結論。それは、たとえ魂が壊れてしまったとしても、生きていて欲しいという願いだった。

 

 ボクは涙を流しながら、拓真の体へと這い寄る。傷口から溢れる血に混ざるように、自らの体を液状化させた。


 ボクは腹から突き出した杭の隙間を縫って、その体内へと潜り込んだ。


 

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Fラン勇者高校の無能力者 柴咲ポメラニアン @pome_ra_nian

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