お見舞い



 受付の看護師に会釈を済ませ、病棟の奥へと進む。


 毎週日曜、午後四時。ここに来るのは、俺の中で決めている大切なルーティーンだ。


 空調の音だけが響く廊下の最奥。そこが俺の家族の場所だ。


 ドアを開けると、そこには三つのベッドが並んでいる。両親と、二つ上の兄。彼らは八年前から、ピクリとも動いていない。


「これは……」

 

 カバンにつけたキーホルダー。――擬態したプニマルから、小さな震える声が漏れた。


「八年前、『氷獄の魔神』ってやつがこの街に現れた。……その魔物による死者はゼロ。けど、代わりに1208人が未だ意識不明の状態になっている」


 並んだベッドに横たわる家族の肌には、外傷ひとつない。顔色も悪くなく、ただ深く安らかな眠りについているようにしか見えない。まるで、あの八年前の日から、彼らの時間だけが停止しているかのように。


「肉体は無事でも、魂ごと凍らされてるんだとさ。当時の勇者がそう診断した。魂なんて観測できない領域の話だ、医者もお手上げってわけだ」


「魂を、凍らせる……?」


「ああ。だから体は温かくても、意識は永遠に戻らない。ただの生きた人形になったってことさ」


 物言わぬ家族をじっと見つめながら、そう話した。

 

 だが、感傷に浸る時間は数秒もない。すぐに思考を切り替える。


「……俺が異能を調べているのは、この凍りついた魂を溶かす方法を見つけるため。だからプニマルの異能を知りたいってのも、魔界の情報を欲しているのも、全部そのためなんだ」

 

 自分に言い聞かせるようにそう伝える。プニマルはそれを聞いてしばらく黙り込んでから、問いかけてきた。


「……ねえ拓真。だったら、なんで最初にそう言ってくれなかったの?」


「え?」


「家族を助けたいから協力してほしいって。そう言われたら、ボクだって最初からもっと……」


 俺は返す言葉に詰まってしまった。


 ……あ、そっか。言われてみれば、それが普通か。


 家族を救うために必死な人間なら、なりふり構わず情に訴えて協力を乞うのが当然だ。それをしなかった俺の態度は、端から見れば不自然極まりない。


「拓真はボクの異能を知りたい理由は好奇心だって言ってた。……でも、家族を救いたいっていう気持ちと好奇心は、別のものでしょ?」


 プニマルの指摘はもっともだ。

 

 だが、今の俺にとっては、その二つは切り離せないほど密接に絡み合っている。

 

「……勉強するうちに夢中になったんだよ、異能に」


 そう短く答えた。だが、プニマルは納得するどころか、さらに怪訝そうな顔で俺を見つめてきた。


「変なの」


「変?」


「うん。だって普通、家族をこんな目に遭わせた異能の力なんて、見たくもないし憎むはずだよ。でも拓真は違う」


 プニマルは、静かに眠る三人の家族と、俺の顔を交互に見る。


「まるで宝の地図みたいにワクワクして調べてる。……その二つが矛盾しないで同居してるのが、すごくちぐはぐで不思議な感じがする」


 その言葉は、鋭い刃物のように俺の胸に刺さった。


「……拓真、ボクに何か隠してない?」


 まじまじと見つめてくるプニマル。


 ――あの子はおかしいのよ。見てて気味が悪い。


 脳裏によぎったのは、八年前。身寄りをなくした俺を引き取ろうとしてくれた、親戚のヒソヒソ話。


 図星だ。俺はプニマルに一つ、嘘をついている。だからこれ以上話せば、矛盾が大きくなって化けの皮が剥がれるだけだ。

 

「……プニマルが俺に異能のこと話したがらないのと同じさ。俺にだって話したくないことの一つや二つ、あるんだよ。今はそういうことにしてくれないか?」


「そっか。……わかった」

 

 えらくあっさり引き下がるプニマル。


 もっと食い下がってくるかと思ったが、どうやらこいつなりに「自分も秘密を抱えている」という後ろめたさがあるのかもしれない。


 俺たちはそれ以上言葉を交わすことなく、静まり返った病室を後にした。



 病院を出ると、日はすでに傾き、街は朱色に染まっていた。


 駅へ向かう道を歩きながら、俺はカバンの持ち手にぶら下がっている青いキーホルダー、――擬態したプニマルに視線を落とした。


「悪かったな、変な空気にして」


「……ううん」


 キーホルダーから、小さな声が返ってくる。


 このまま家まで無言かと思ったが、意外にもプニマルの方から口を開いた。


「ねえ、拓真。さっき言ってたよね。家族を助ける方法を探してるって」


「ああ」


「だったら……ボクの異能が、そのヒントになるかもしれない」


 予想外の言葉に、俺は足を止めた。


「ヒント?」


「うん。まだ上手く言えないけど……もしかしたら、ボクなら力になれるかもしれないから」


 そこまで言って、プニマルは言葉を切った。


 俺のために、怯えていた自分の秘密を明かそうとしてくれている。その意思が伝わってきて、俺はカバンを握る手に力を込めた。


「……いいのか?」


「拓真はボクを助けてくれたから。だから、教えるね」


 プニマルは一つ深呼吸をするような間を置いて、続けた。


「ボクの隠していた本当の異能、それは――」


 その時だった。


 街のスピーカーから、不快なハウリング音と共に、無機質な音声が響き渡った。


『――緊急警報。東区三番街にてゴブリンの魔物が出現しました。個体数は四。市民の皆様は速やかに避難を――』


 会話は暴力的に遮断された。


 ここから近い。周囲の空気が一変した。さっきまで談笑していた通行人たちが色めき立ち、悲鳴と共に反対方向へと駆け出し始める。


「魔物が出たみたいだ。勇者が来るから絶対顔出すなよ」


 俺はカバンを手で庇いながら警告した。だが、カバンに伝わってきた反応は、予想外のものだった。


「……来た。あいつらだ」


 押し殺した声。直後、ぶら下がっていたキーホルダーが激しく揺れ始めた。


 俺が歩く振動ではない。まるで内側から何かが暴れだしそうな、制御不能の痙攣。カバンの金具とぶつかり、カチカチと乾いた音を立てている。


 見えなくてもわかる。プニマルが、形を保てないほどの恐怖に支配されている。


「あいつらが、ボクを見つけたんだ」


「あいつら?」


「逃げなきゃ……でもこのままだと、拓真まで殺されちゃう!」


 その言葉で、俺の脳内で状況が連結した。「見つけた」という言葉。そしてこの正確すぎるタイミング。つまり、奴らは何らかの方法でプニマルの位置を特定しているということか。魔力探知か、あるいは埋め込まれた発信機か。


「ボクが囮になる!」


「は? おい待て!」


 俺の制止は間に合わなかった。キーホルダーの一部が液状化し、ニュルリと金具から抜け落ちる。


 地面に着地した青い影は、弾むように地面を蹴ると、パニックで逃げ惑う人波を逆流し、魔物が発生源へと駆けていく。


「あの馬鹿……!」


 勝てないから逃げてきたんじゃなかったのか。


 俺は冷静にその背中を見送……れるはずがなかった。思考が高速でリスクを弾き出す。


 敵はプニマルの位置を正確に追っている。その仮説が正しければ、今のプニマルは魔物を引き寄せるビーコンそのものだ。あいつを追いかけるということは、すなわち「100%魔物と遭遇する」という事実に他ならない。


 ――自殺行為だ。論理的じゃない。


 だが、見捨てるという選択肢もまた、俺の中にはなかった。


 貴重な情報源だからか? それとも、情が移ったからか? 理由は後だ。


 俺は踵を返した。

 

 恐怖に顔を歪めて逃げる群衆の中、死地へと向かって走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る