第21話

 触れるか触れないか、そのギリギリの狭間を追い求めるヒリついた勝負を繰り返していると、いつの間にか十月に入っていた。

 さすがに九月が終わると段々涼しくなってきていて、ブレザーを着るほどではないにせよ長袖にはなっておく、程度の衣替えをする奴もそれなりにいる。

 俺は重度の暑がりなので、最後の一人になるまで夏服で戦い抜く所存だ。


「冬服ってどこにやったっけ……?」


 俺が衣替えできない本当の理由を解消すべく部屋を漁っていると、ドアをノックする音が聞こえてきた。


「どしたー?」


 ノックをされると最初の頃は俺がドアを開けに行っていたが、今では面倒なので声を掛けるだけになっている。

 これは「別に今開けてもヤバい現場を目撃することにはならないから好きに入ってこい」の意だ。


「あの……えっと、何してるんですか?」

「ん? そっちまで音が響いてたか?」

「いえ、そうじゃないですけど、なんか散らかってるから」

「これは冬服を探してるんだ。このままだと俺は高校に一年中夏服で通うことになる」

「ええ……?」


 梓はドアを開けて部屋に入ってきたが、散らかった部屋の様子を見てたじろいでいる。

 さすがにもう腕と脚を丸出しにする服装ではなくなっているので、こうして話していても気が楽だ。


「他は探したから、残る可能性はここぐらいしか……あ、あった。そうだ、どうせ当分着ないから適当に突っ込んだんだった」

「えっと、おめでとうございます……?」

「ああ。まあまだしばらく着ないんだけどな。それで、どうしたんだ?」

「あっ、そうでした。受験のときに使った参考書とか過去問があったら貸してもらいたくて」


 そういえば十月ともなれば、いよいよ受験も間近になるのか。

 梓は成績優秀だから何もしなくても余裕で合格できると思うのだが、それでも一応何かやっておこうということだな。俺と違ってとても真面目だ。


「あー……残念ながらその類の物は探すまでもないな。何一つ持ってない」

「そうでしたか。誰かに借りたんですか?」

「いや、受験勉強はしてないから」

「ええ……?」


 俺は学校の授業に全身全霊で臨み、それ以外は勉強を一切しないという強烈なポリシーの持ち主だ。

 ただ、ついなから「一緒に勉強しよ」と誘われたら一撃で木っ端微塵になる程度のポリシーだったが、受験程度では小揺るぎもしなかった。


「梓も別に何もしなくていいんじゃないか? どうせ余裕だろ」

「それは確かにそうですけど……妹を堕落の道に誘うのは兄としてどうなんです?」

「いや、そうは言っても…………ん?」


 梓は今何と言った? 妹を、何たらかんたら、兄として……?

 梓が、俺のことを兄と認めているということなのか……?

 未だに梓は俺のことを呼ばない。「お兄ちゃん」とも「兄さん」とも「兄さま」とも「兄貴」とも「兄やん」とも呼んだことはない。

 だがそれでも、梓が俺のことを兄と……。


「あの、どうしたんですか?」

「あ、ああ。そうだな、えーと、じゃあ参考書を買って勉強だな。よし、金なら俺が出してやろう」

「え? お金はお母さんに貰うから別に……ってこれ全部一万円札……!? こ、こんなにいらないですよ!」

「そうか? でも余った分は友達と遊びに行くなり服とか買うなりすれば」

「だから遊んだら駄目なんです! それにこのお金は夏休みに働いて貯めたお金ですよね! 大事にして下さい!」

「おお? そ、そうだな。つい舞い上がってしまった」


 梓に怒られてしまった。

 それもまさか、金を湯水の如く使うギャルから、金の使い方を諭されてしまうとは……。

 それに俺より遥かに真面目だし、ひょっとして梓はギャルじゃないのか? もしくは、俺の方がギャル男……?


 そして翌朝。今日は目覚めた瞬間から何だか爽やかな気分だった。

 散らかったままの部屋は見なかったことにして、颯爽と時間ギリギリに登校する。

 いつものようについなとほぼ同時の登校だ。うーん、今日も可愛い。


「お、ついなじゃないか。おはよう」

「おはよー……? しんじ、ごきげん?」

「ん? そう見えるか? ハッハッハ」

「おー。すごいごきげん」


 何と言っても今日は記念日なんだし、そりゃ機嫌が良くなるというものよ。梓に兄と言われた記念日として、未来永劫語り継いで……あ、言われたのは昨日だ。じゃあ今日は何でもない日だが……まあ嬉しいので機嫌は花丸である。

 そして機嫌が良いと気が大きくなる気もする。何でもかんでもドーンと来いやという気分だ。


「最近涼しくなってきたからな。夏が苦手な俺としては、もうこの季節は生きてるだけで嬉しい」

「おおー……。お得な考え方」


 実際のところ機嫌が良いのはほぼ百パーセント昨日の件が理由だが、進んで吹聴する話でもない。全部気候のおかげにしておこう。


「そうだ。涼しくなったから、手を繋いで……いや、いっそ肩でも組んで歩くか。ハッハッハ」

「肩?」


 俺の戯言を真に受けたのか、ついなは真横に並んで俺の肩の方に腕を回してきた。

 ついなも暑がりなのか未だに半袖なので、何というか色々アレだ。


「難しい」

「ああ、まあ。身長差があるからな……。歩きながらだと特に」


 肩を組もうとしたということは、肩を組まれてもいいということだ。つまり肩に触れても、どころか肩を抱いてもオッケーなのか。

 許されるのは大体この辺までかな、と一ヶ月もかけてじっくり見極めてラインを引いていたが、本当のラインは思っていたよりもっと向こう側にある気がしてきた。

 そんなことを考えていたら、浮ついていた心が急に冷静さを取り戻してしまった。だがあのままついなと話をしていたら、自分でも何を言い出すかわからないので良かったことにしよう。


「あれ? ごきげんじゃなくなった?」

「ああ、よく考えたらあと半年は涼しいからな。今からウキウキしてると体がもたない」

「うーん。残念」


 ついなと別れた後は、四時限分の授業を背水の陣で受ける。一言でも聞き逃したら終わりという状況に集中力は否が応でも高まり、昼休みに入る頃には疲労困憊になってしまう。


「はひぃ……」


 だがここで休むわけにはいかない。昼飯を腹に入れておかないと、午後の授業でガス欠を起こしてしまうからだ。

 軽く伸びをしながら何を食おうか考えていると、クラスメイトが昼飯について話している声も聞こえてくる。


「飯行こうぜ飯」

「今日は何食うかなー」

「おい急げ! 今日こそ神楽会長の近くに座るぞ!」

「お前も懲りねーな。あの人は基本的に弁当だろ。月に一回ぐらいしか食堂に来ねーよ」

「それが今日かもしれないだろうが! 殺すぞ!」

「わ、わかったわかった。やっぱ生徒会長派はヤベーわ、過激派しかいねえ」

「ああ、その点我ら奥宮ちゃん派は穏健だよな」

「彼氏がいる奥宮さんを眺めてるだけのアホが何ほざいてんだ! 穏健になるしかなかったんだろうが負け犬共め!」

「ぶっ殺す!」


 クラスのアホ共と食堂に行こうと思ったが、今日も今日とてギャーギャー揉めているので一人で行くか。あいつらはいっつも喧嘩してるが、昼飯を食えてる日はあるんだろうか。

 しかし食堂まで行って飯食って戻ってくるのは面倒な気がしてきたので、今後は登校の途中でベーカリーヨシカワのパンを買って来る方が良いかもしれない。


「学食より値は張るけど、その分クオリティは確かで……ん?」


 学食の入り口の辺りで、女子三人が俺の方を指差して何やらキャーキャー騒いでいる。

 やれやれ、人気者は辛いぜ。きっとあの中の一人が俺に告白を……するわけがないじゃないか。

 俺は奥宮ついなの彼氏ということになっているんだ。そんな勝ち目の無い横恋慕をするアホなんか……あ、同じクラスに一人いた。そういえば未だにちょくちょく絡んできている。


「あの! 天原くん……だよね?」

「あ、ああ……」


 なんか話しかけられてしまった。

 俺が返事をすると「うわー本物だー」「こんな近くで見たの初めてー」などと騒いでいる。一体何なんだ。


「あの、私たちは、ついなの友達で……」

「ついなの……ハッ!? ここで会ったが百年目! さてはチカだな!?」

「それアタシ」


 話しかけてきた奴の左、お前がチカか! 黒髪をバサッと伸ばしたサバサバした感じの、それでいて面倒見が良さそうな姉御肌っぽい女だ。


「じゃあ……ユッコは!?」

「あっ、私です」


 話しかけてきた奴の右、お前がユッコか! 茶髪のショートボブで大人しい感じの、休みの日に手芸で小物でも作ってそうな女だ。


「じゃあ………………えーと」

「…………え? あの、私は?」

「いや……その……チカとユッコしか聞いてないから……」

「ガーン!」


 わくわくとした表情で待ち構えていた真ん中の女が、ショックで膝から崩れ落ちてしまった。

 だって聞いてないんだから仕方ない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る