第20話
「むむむ……」
ついなに情緒を掻き回された翌日。
ギリギリで登校して駐輪場に着いた俺は、目線だけ動かして周囲を見回していた。
辺りには俺と同じくギリギリで登校した連中が歩いている。ざっと二十人ほどだろうか。
俺をケダモノだと思っている奴は全校生徒の中で少なくとも数人はいるんだ。この中に含まれていてもおかしくはない。
「しんじ、おはよー」
「ああ、おはよう」
ついなもやってきたか。これで周囲の奴らの反応はどうだ? むむむ……!
「しんじ、どうしたの? 獲物を物色してるみたいな目……あっ、ケダモノの目だ」
「これはケダモノじゃない。俺がケダモノの目を向ける相手はつい……じゃなくて。ほら、早く行こう」
「んー? うん、行こ」
ついなと二人で駐輪場から教室へ向かう。しかしこのクソ暑い時期に四階まで階段を昇らされるのは地味に……いや、ド派手にキツい。
団扇でついなにも風が届くように大きくパタパタとあおぎながら階段を昇る。
「おー、涼しい」
「朝の間はまだ良いんだよな」
昼になると熱風を掻き回しているだけになる。それでも無いよりはまだマシだが……。
しかしついなと楽しく話している一方で、周囲からはやたらと「チッ」という舌打ちが聞こえてくる。それも随分怨嗟の念を感じられる、悍ましい類の舌打ちだ。
「チィッ! おい池下、話が違うじゃねーか! あれのどこが別れてんだよ!」
「い、いや……。確かに昨日の様子だと、別れたようにしか見えなくて……それに皆も同意してたじゃないか」
「うるせえバカタレ! ぬか喜びさせやがって……!」
「そうだそうだ! 昨日祝勝会をやったばかりなのに、寝て起きたらもう残念回をやる羽目になってるんだぞ! どうしてくれるんだ!」
「いや、僕に言われても……。くそ、どうしてこんなことに……!?」
そこら中でギャーギャー言い合う声が聞こえてくるが、一部だけは聞き取れた。
多分昨日の俺の様子を見て「ははーん。さては天原のやつ、夏休みの間に奥宮さんと別れたんだな……!? ゲッヘッヘッヘ」などと思っていたんだろう。確かに昨日の俺はそう思われてもおかしくない有様だった気がする。
「なんか賑やか。こんなに暑いのに一組はみんな元気」
「あ、ああ。でも危ないから近付かないようにしような」
「そうなの?」
「ああ、危険だ。できれば視界にも入れないようにしよう」
ついなの背中の方に手を回して、騒いでいる連中から遠ざけるようにエスコートして四組の方に送り出す。
ばっちいから近寄っちゃ駄目だ。
「お、おい……なんかあの二人、雰囲気変わってないか……? 腰に手を……」
「言うな」
「いや、だって……あんな……。も、もしかして夏の間に」
「言うなつってんだろがアホンダラ!」
「そんな……嫌だ、僕は信じないぞ……」
「完全にやってますわ。はい死んだ。俺死んだ。享年十六歳。なむあみだぶつ」
「うるせえ馬鹿野郎! 殺すぞ!」
「ああ殺せ! 殺してくれよ! 今日が俺の命日だ!」
うーむ。完全に誤解なんだが、チカだけじゃなくそこらのモブまでちゃんと見ているようだ。
昨日話した通り、ずっとベタベタするのは暑いから無理だが、ほんの少しの間なら問題無い。なので別れ際にさりげなく制服に触れるか触れないか程度に添える感じで、背中を押すようなフリをしてみたのだが……まさか一発でこの変化に気付かれるとは。
こうなってくると、目ざといというチカに気付かれないためにも、本格的に距離感を縮めていく必要があるかもしれない。
「……あれ? これはもしかして、とんでもない役得なのでは……?」
昨日は色々あって頭が回っていなかったが、あの話はよく考えると本人からスキンシップ許可証を貰ったようなものだ。
さっきはあくまでも触れるフリをしただけだったが、場合によってはその限りではないだろう。いざとなれば……いや、これはどこまでが許されるんだ? うっかり好き放題やってアウト判定を貰うわけにはいかないが、かといって手をこまねいているのも……。
「うーむ……」
これは試されているのか。お前にはどこまで踏み込む勇気があるのかと。
上等じゃないか。許されるギリギリのところまでやってやるぜ……いや、違う違う。別にそんな危険な橋を渡る必要は無い。それでついなに嫌われてしまったら俺は死ぬ。その日が俺の命日だ。
そうして一日中殺気を浴び続け、少し長くなったホームルームを終えて迎えた放課後。
金はたんまりあるので、今日は本当に高級アイスでも買って帰ろうかと思いながら教室を出ると、ドアを出てすぐの廊下の壁際についなが立っていた。
「あ、しんじ」
スクールバッグを両手で持って、少しだけ壁に凭れ掛かって、ただそこに立っているだけ。
ついなはそれで絵になるのだから凄いものだ。前を通りがかる人の全員がついなをじっと見てしまっている。
そして俺には今日一番の殺気が周囲からビシバシ飛んできていた。とにかく速やかにこの場を離れなければ。
「どうしたんだ? えーと、とりあえずあっちの方に行こう」
「うん」
生徒がごった返す教室前から、渡り廊下の方へ避難する。放課後にこっちの方に来る生徒は文化部系の連中だけだ。
「それで、どうしたんだ? 今日は何も約束してなかったよな」
「やっぱり見てない。送ったけど未読のままだった」
言われてスマホを見ると確かに何か来ていた。『今日は暇?』とだけ書いてあるメッセージだ。
「ああ、暇だ。何か用事か、買いたい物でもあるのか?」
「んーん。何もない」
なんだ、何もないのか。ということは、付き合ってるアピールをしておこうというわけか。
「じゃあとりあえず駅の方に行くか。学校は暑いし」
「うん。行こ」
学校を出て、駅の近くの駐輪スペースに自転車を停める。ここから冷房の効いたビルまで、炎天下の中を歩かなければならないのが辛い。もう九月に入ったというのに、十六時でもまだまだ太陽は強烈な光で照りつけてきている。
「やっぱり雰囲気変わったってユッコに言われた」
「それはついなが? それとも……」
「わたしとしんじ」
話をしながらビルに入り、適当なベンチに座る。ここは変な形に空いていて使い辛い場所を休憩スペースにしてしまったのだろう。人もあまり通らないので、ダラダラ話すのにうってつけの場所だった。
「チカだけじゃなくてユッコも目ざといとはな」
「そうなの? なんで言われたのかわからなかった」
「多分朝のを見られてたんだろ。となるとあの中にユッコがいたのか……」
「朝?」
そういえばついなには触れてないし、背中側でやったことだから気付いていないのか。
「朝にこうしたんだよ。背中を押すような感じで」
また背中の触れるか触れないかギリギリのところに手を回す。
「全然気付かなかった」
「距離感を縮めようって話だったからな。でも一見背中を押しているようで全く触れていない匠の技だ」
「おー。意味がわからないけどすごい」
俺が二~三秒の苦心の末に編み出した技に向かって、意味がわからないとは言ってくれるじゃないか。
この技を使えば触れてなくても触れてるように見えるのだから、ついなにとっても…………意味がわからないだと?
それはあれか? 「普通に背中を押せばいいのに、なんでそんなことをする必要があるのか『意味がわからない』」ということなのか? 背中はオッケーなのか?
まあ確かに背中はデリケートな部位ではない。距離感を縮めようといって手を握る仲なのだから、背中を触られるぐらいは別に気にしない方が自然と言えば自然か。もちろん触り方にもよるだろうが……。
いや、触るだの触らないだの、挙句の果てには触り方だのと考えていると頭がどうにかなりそうだ。一旦忘れよう。
「そうだ、それでウチのクラスにも気付いた奴が何人もいたんだ。案外みんな目ざといのかもしれない」
「おー。チカとユッコだけじゃなかった」
これは恐らく注目を集めているからだと思う。俺とついなが一緒にいるときは基本的にずっとジロジロ睨んできているから気付くんだろう。一応ついなに気付かれないように気を配ってはいるようだが、俺に対しては一切の気遣いが無い。何なら目が合うこともよくあるぐらいだ。
「だから今後も、多少はそれっぽいことをする感じになるだろうな」
「うん。わかった」
ついなは躊躇無く頷いた。……そうか、わかったのか。
これは以前のやんわりした許可証じゃなくて、マジのちゃんとした許可証を貰ってしまった。
実印と母印を捺して直筆のサインまで入ったやつだ。これがあれば何でもできるレベルの……いや、何でもはできないが、多少のことは大目に見てもらえるやつじゃないか。
……また試されるときが来てしまったようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます