第18話

「えーと、話、話……」


 この期に及んでついなはまだ話し辛そうにしている。

 会うのが久しぶりということもあるんだろうが、あのなんでも気にせずスラスラ喋りそうなついながここまで言い淀むとは、本当に一体何があったんだ。


「ついな、話し辛いなら、いっそのこと何も話さないというのも一つの手だぞ」

「えっ、駄目。これは話さないと」


 恐いから無かったことにしようと思ったが、さすがにそうはいかないようだ。

 ついなは意を決して、それでもよっぽど言い辛いことなのか消え入りそうな声で話し始めた。


「夏休みの間のことなんだけど……」


 ひい、夏休みのことだと。それは当然そうなんだろうが、夏に何があったんだ。


「はい、アイスコーヒーとアイスティーね」


 おお、ナイスカットインだマスター。ついなはやっと始めた話を邪魔された形になるが、俺の方はまだ心の準備が整っていなかったから助かる。

 ついながアイスティーをこくりと一口飲んで口と喉を潤し、いよいよだ。


「えーと、まず花火大会に行って」

「ん? 花火大会?」

「うん。あのおっきいやつ」


 あれか、県外からも人が集まるかなり大規模の花火だ。ついながあれに行ったのか。浴衣とか着たんだろうか。


「それで、その……帰りに、ちゅーして」

「ほう。ちゅーを……ちゅー?」

「う、うん」


 ちゅーというのはあれか、キスか。花火大会の帰りにキスをしたのか。

 お、おおお? なんだか全身から嫌な汗がぶわっと出てきぞ。それにどういうわけか手も震えてきた。

 え? 誰と? どこのどいつが……いや、誰であっても仕方ないことだ。一夏のアバンチュール……。


「それから、プールにも行って」

「……なあ。それは、ついなが行ったって話なんだよな?」

「え? うん、わたし」

「ほ、ほほう……それで?」


 別の誰かの話という一縷の望みも絶たれてしまった。もう言いたいことはわかったし、正直話の続きなんか聞きたくないんだが……。俺は今、最後の見栄として冷静さを保っているように装わなければならないのだ。余裕ぶって話を最後まで聞かざるを得ない。


「それで、その、帰りにおうちに連れ込まれて、強引に押し倒されて」

「んぐっ」


 震える口元を隠そうとコーヒーを飲んでいたら変なところに入った。

 え? 何? なんでそんな丹念に俺の脳を破壊しようとするんだ。本当の彼氏ができたから偽物はお役御免、とだけ言ってくれればいいじゃないか。

 というかなんだ、ラブコメじゃなかったのかこれ。……もしかして、NTR系の十八禁漫画だった……?


「それで、その日からは週に五回ぐらい家に行って」

「ま、待て待て待て。ちょっと待ってくれ」

「う、うん」


 駄目だ、もう正気を保てなくなりそうだ。というか本当になぜそこまで詳細に話すんだ。

 彼氏か? 彼氏が俺の様子を見て嘲笑っているのか? 店の中は近所のマダムが数組いるだけだが、中継か? ついなが小型カメラで俺の様子を中継してるのか? 上等だ、こうなったらとことん敗者の憐れな姿を見せつけてやる。


「マスター、ハイボールを下さい。めっちゃ濃いめで」

「はいよ。……じゃない。昼に酒は出してない……というか神次くん、高校生になったばかりだろ。昼間から何を頼んでるんだ」

「堅いこと言わないで下さい。後生です」

「いやいや……そんな可愛い彼女がいるのに自棄になってどうするんだ。ほら、ナポリタンだ。あとこっちの嬢ちゃんはショートケーキだったな」


 そういえば昼飯も注文してたか。

 仕方ない。俺が口の周りをケチャップでベタベタにしてる様でも見て嘲笑うがいいさ。


「んぐんぐ……。それで? 週五で家に連れ込まれてるって話だったか」

「うん。最初は猿みたいになるって」


 あれ。このナポリタン、味がしないぞ。めちゃくちゃ赤いのに無味無臭だ。タバスコをたっぷりかけてどうにかしよう。

 というか店内の様子がおかしい。ぐにゃぐにゃに歪んでるし、流れてる音楽も何か変だ。グワングワンと聞こえてくる。


「……しんじ? どうしたの?」

「いやあ、どうもこうも……」


 眩暈と耳鳴りがひどいようだ。舌と鼻も機能を停止している。どうやら俺は相当参ってしまっているらしい。

 もうとにかく話を早く終わらせてさっさと帰ろう。そして梓に泣きつこう。家から近い店を選んでよかった。


「あー、それで? 結局どういう話なんだ」

「そういうことになったから、話を合わせてほしくて。できたらで、いいんだけど」

「んー? ああ、夏休みに入ってすぐ俺と別れてたってことにしたいのか」


 そうじゃないと付き合っている期間が重なるという話だったか。


「え? なんで?」


 ついなはきょとんとした顔で首を傾げている。駄目だ、話にならない。楽しい話でもないし、さすがに面倒臭くなってきた。

 ここはもう一方の当事者を呼びつけた方が早いか。俺もそいつのツラを一目拝んでおこう。


「よし、じゃあそいつもここに呼んでくれ。それできっちり話をしよう」

「そいつ?」

「だからその彼氏だよ。ついなの話はよくわからんから」

「彼氏……いるけど」


 ついなはじっと俺を見つめている。

 いる、というのは店内に潜んでるのではなく、俺のことを言っているのか。


「そうじゃなくて、一緒に花火大会とプールに行った奴だ。週五でついなを家に連れ込んでる野郎だよ」

「うん。しんじ」

「そう、そのしんじを…………ん? それは同じ名前の奴じゃなくて、俺ってことか?」

「うん。彼氏はしんじ」


 なんだ? 俺がついなと花火やプールに行って、週五で家に連れ込んでいるということなのか?

 はて、身に覚えが全く無い。俺は延々バイトに明け暮れていたはずだ。

 ひょっとして俺とよく似た誰かと勘違いして……いや、これは何か話が絶望的に噛み合ってない可能性があるぞ。


「よしわかった。俺が話を全く理解してないということがわかった」

「うん。そんな感じがした」


 やはりそうか。どこかでボタンを掛け違えて、そこから延々とズレた認識が続いていたのだろう。

 何がどうズレてるのかわからないので、俺がどう勘違いしていたかを説明するか。


「えーとだな、俺じゃないどこかの男と花火大会とかプールに行った話かと思ったんだが……」

「そんなの行かない」

「じゃあその花火とかプールとか、家に連れ込まれたとかって話は何なんだ……?」

「だから、そういう話になった」

「話に……なった?」

「うん。昨日チカ達と話して……その、いつの間にか」


 これはさては、最初だな。話のド頭を聞き逃して、そこから全部が狂ったんだ。

 最初に何か……あ、マスターのカットインだ。なんてことをしてくれたんだ……!


「チカっていうのはついなの友達だな。それで昨日ってことは夏休みの最終日に会ったわけだ。……んで、何を話したんだ?」

「そう。何人かで会って、夏休みはどうだったのって話になって……えっと」

「ふむ」

「ついなは彼氏といっぱい遊んだんでしょって言われて、全然会ってないのも変だと思ったから、そこそこって」

「ああ……」


 なんかもう大体話が見えてきた。あんなに絶望したのが、こんなアホな話だったとは……。


「もちろん花火は行ったんでしょ、どうだったのとか言われて、行ったことになっちゃって」


 もう確定だ。そういう話になった、というのはそういう意味か。


「帰りにちゅーされたことになって、そのあとは海に行ったのって話になって、日焼けしてないからプールだねって決め付けられて」


 テンション高めの友人が好き勝手言う真ん中でオロオロしているついな、という絵が目に浮かぶようだ。


「わたしの水着姿を見たら我慢できるわけないって話になって、その……」

「俺が強引に家に連れ込んで押し倒した、と」

「う、うん。それで一度したら猿になるって言うから、週に五回のペースで……」

「週五……」

「あっ、最初は週七だったけど、頑張って減らした」

「そ、そうか」


 女子だけで集まると結構エグい話もするというが、今回の件はその一端に触れたんだな。

 しかしぽわぽわした雰囲気のついながこんな話をするとは……いや、今回は巻き込まれただけか。


「朝からなんか余所余所しかったのは、俺を勝手にケダモノにしたからか」

「うん、ごめん……。で、でも優しくて上手ってことにした」

「……」


 そいつはとてもありがたい話だ。俺の評判は一体どうなっているんだろう。

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