第17話

「違うんだ、悪気は無かったんだ。あれはちょっとしたボタンの掛け違いというか、言葉の選び方を間違えたというか……。ちょっと慌ててたもんだから、ついうっかりそういうことになってしまって……」

「いいですよ別に。私は実際に性悪女ですから」

「いやいや、そんなことは無いぞ。梓は優しくていい子で、ただ俺が至らぬばかりに――」


 うーむ。梓は俺のベッドに座り、腕と足を組んでツンとそっぽを向いている。すっかりヘソを曲げているようだ。

 しかし本当に怒っていたらそもそも俺の部屋には来ないだろうから、これは恐らくそういうポーズに過ぎないはず。ただここで「どうせあんまり怒ってないんだろ」的な態度を取ってしまうと本当に怒りそうなので、とにかく平謝りを続けるしかない。

 仲良くなったフリは、俺一人では実行できない。梓の協力が必要不可欠なんだ。


「――つまり梓の可愛さときたら町内どころか県内をも席巻するほどで、高校に入学したらたちまちマドンナ的存在としてその名を轟かせて……」

「はあ、もういいですよ。慌ててたのはわかってたし、何か全然関係無い話になってるし」

「そ、そうか? いやあ、本当に悪かった」


 良かった、何とか許されたようだ。

 あとうっかり嘘を吐いてすまん、うちの高校にマドンナ的存在はもういるんだ。ついなが卒業するまでは、多分梓は二番手的存在なんだ……。

 いや、でもついなには彼氏がいるということになっているから、その分のマイナスポイントは無視できない。ひょっとすると本当に梓がナンバーワンに君臨することも不可能ではないか……?


「それより、また聞かれちゃいましたけど。最近どうってやつ」

「ああ、あれな……。あれは多分、二人ともパニック状態というか、頭が回ってなかったんだろうな」

「……まあ、そんな感じはしたかも」

「だから今日みたいなのを続けていけば、近い内に慣れてくれるんじゃないか」


 今回は仕掛けた俺たち子供側も、仕掛けられた大人側も双方慌てていたように思う。……いや、梓だけは落ち着いていたか。

 まあとにかくあんなのは初回だけで、次からはお互い落ち着いて話ができるはずだ。


「じゃあ今日は星のやつ借りていきますね。あと何かおすすめあったりします?」

「そうだな、星のやつが気に入ったなら……下の方の背表紙が青いやつ。それなんかも良いんじゃないか」

「じゃあこれも持っていきます」


 梓は漫画をごっそり抱えて出ていった。しかし借りたということは返しに来るということで、これはさすがに仲良くなったフリも上手く……うん? これ、フリか?


「……まあいいか」


 何にせよ家庭内の問題は概ね解決に向かっているということだ。

 もうすぐ夏休みが終わることだし、気分も新たにして二学期に臨むとしよう。


 ……と思っていたのだが、いざ始業式の日が始まると、朝からどこか様子がおかしかった。


「うーむ」


 いつもの時間についなが来なかったのはまだいい。長い夏休みで忘れていたが、ついなは弁当を作ってこない日はギリギリに来ないんだった。

 しかし始業式の途中で目が合ったとき、気まずそうな顔でサッと目を逸らしたのはどういうわけなんだ。

 さらにさっきスマホに届いた『お話があります』という文面は一体……。

 少なくとも、昼飯でも食いながら夏休みの話でもしよう、という緩い雰囲気ではなさそうだ。


 始業式が終わって教室に戻り、担任が来るまでの間に夏の思い出を語り合う声がガヤガヤと聞こえてくる。久しぶりの再会に積もる話もあるのだろう。教室中のどこもかしこも騒がしく、話が弾んでいるようだ。


「いやー、三回戦負けで、そこからはもう地獄の練習練習、また練習よ。むしろ今日からやっと休みが始まったって感じだわ」

「ひえー……公立でそこまでやるのか」

「ウチは顧問が気合入ってっからなあ。それで、そっちはどうだったんだよ。海とか行ったんだろ?」

「え? ああ、海な。うん、行った行った。それはもう見事な海だった」

「あ、もういいわ。大体わかった」

「いや、違うんだって。誰が最初にブイにタッチできるかという白熱の勝負が……」


 本来なら俺も話に加わって、海でただ泳いできたアホ共を煽ってやりたいところなのだが、さすがに今はそういう気分になれない。

 ホームルームが終わり、あとはもう待ち合わせ場所である駐輪場に向かえば、ついなに会って何がどうなったのかもわかるのだが……。


「嫌な予感がすごい……」


 夏。夏なんだ。高校生の女子ともなれば、一夏も会わざれば刮目したくないほど変わることも当然ある。

 現に同じクラスの山下さんなんかは、何がどうしてそうなったとツッコミたくなるほどの変貌ぶりだった。もっさりした二つ結びのメガネっ子で、悪く言えば芋っぽい感じの山下さんが……なんでイケイケの茶髪ギャルになっているんだ。クラスの全員が見て見ぬフリをして、なんだかずっと余所余所しい空気が漂ってたじゃないか。

 あれは男か? 男の影響でああなったのか?


「…………よし、行くか」


 じっとしていても悪い想像ばかりが頭を巡ってしまうので、意を決して駐輪場へ向かう。

 多感な高校一年生の夏休みの間、一切会っていなかった……どころか、連絡すら取っていなかったんだ。何があっても、何がどう変わっていてもおかしくはない。

 こんなことになるなら、途中で何度か勇気を出して連絡を取ればよかった……。


「あっ、しんじ」

「お、おう。久しぶりだな、ついな」


 本当に久しぶりだ。だが相変わらずあまりにも可愛くて……そして、見たことがないほど気まずそうにしている。


「うん、久しぶり……。え、えっと。話が……」

「ここじゃ人が多いし、どっか行くか」


 駐輪場はまだ下校する生徒が大勢行き交っているので、何かの話をするのに相応しくない。どこかに移動した方がいいだろう。

 ここは精一杯の見栄を張って駅前のシャレオツなカフェでも、と思ったが、あの辺りは昼時になると昼飯を食いに会社から出てきたサラリーマンとOLでごった返すはずだ。なので仕方なく、住宅地の方でひっそりとやってる喫茶店に入ることにした。


 この喫茶店は我が家から割と近く、小さい頃には父さんに連れられて、中学に上がってからは一人で何度も来たことがある、言わばホームグラウンドだ。父子家庭はどうしても外食の機会が多くなるのだが、大いにお世話になったものだった。

 恐らく話は苦しい内容になるだろうから、せめてフィールドだけでも俺の有利にはたらくようにさせてもらうことにした。


「おー、アンティーク喫茶店」

「ここはそんな良いもんじゃないぞ。ちょっと昔からやってるだけだ」

「神次くん、久しぶりに来たと思ったらいきなり言うじゃないか……」


 話をしながら店に入ると、内容がマスターにバッチリ聞かれてしまっていた。


「お久しぶりです。でもやっぱ、ここをアンティークと言われるとさすがにつっこまざるを得ないというか」

「アンティークなんて気の持ちようが全てだから黙ってたらいいんだよ。オンボロと骨董品は紙一重よ」


 マスターのよくわからない持論を聞き流しながら、勝手知ったる店内を勝手に進んで奥の方のいつものテーブル席に着く。ずっと誰もいなかった向かいの席についなが座っているのが不思議な気分だ。


 ここのマスターは俺が小さい頃はダンディーなイケオジといった風体だったが、最近では渋みが増して若干オジという感じではなくなってきている。時の流れは早いものだ。

 そんなマスターにそれぞれが注文して、やっと落ち着いて話せる環境が整った。

 さあ、どんな話でも受け止めてやるぞ。そして受け止めきれなかったら何も聞かなかったことにして全て忘れよう。

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