第16話
梓は適当な漫画を何冊か持って部屋に戻ったが、一時間ほど経ってまた来た。
読み終わったから続きを持っていくのかと思いきや、何故かそのまま居座り続けている。
「これはどうなんですか? タイトルは聞いたことありますけど」
「俺は好きだけど、ちょっとグロ要素があるから人を選ぶ感じだな」
「ふーん……一応読んでみよっかな」
梓はどうやら本棚にある漫画を一通りチェックして、読むやつと読まないやつを決めておこうとしているらしい。一巻だけ読んで、続きではなくまた別の作品を物色することを繰り返している。
「あー、その、なんだ……。勧めた俺が言うのもなんだけど、そんなに漫画読んでて大丈夫なのか? 半年後に受験だけど」
「内申良いから大丈夫ですよ。偏差値も六十はありますし」
「え? 成績聞かれたとき、普通とか言ってなかったか」
「いつも通りって意味です」
普通に良いってことか。ギャルなのに成績が良いとは……さすが清楚系といったところか。
うちの高校は偏差値五十ちょいが目標ラインなので、六十あるなら確かに大丈夫だ。
「……というか、そんなに賢いならもっと良い高校に行けるんじゃないか?」
「近い方が良いじゃないですか」
「おお……」
なんて腑抜けた理由だ、勉学を、受験を舐めているのか。……と言いたいところだが、他でもないこの俺が全く同じ理由で今の高校を選んでいる。自分のことを棚に上げて文句を言うのは得意だが、さすがにここまで一致していてはそれも苦しい。
そうして漫画や受験についてあれこれ話していると、一階の方から俺たちを呼ぶ声が聞こえてきた。ついに夕食の時間だ。
「……よし、いよいよだな。打ち合わせ通り、まずは初っ端からかますぞ。普通に会話してるフリをしながら階段を下りるんだ」
「フリ……まあ、はい」
自信が無いのか、あるいは親を騙すことに抵抗があるのか、梓はあまり乗り気ではなさそうだ。だがここで怖気づいていたら、いつまで経っても前に進めない。勇気を出して最初の一歩を踏み出すんだ。
部屋から出て、二人揃って階段を下りる。今まではタイミングをずらそうと苦心していたが、それも今日でおしまいだ。
「えーと、それで、何でしたっけ。……あっ、制服です。制服が可愛いのもあります」
「ああ、制服な。女子の制服は人気あるんだっけか」
女子の制服といえば当然、制服を着たついなの姿を思い出す。特に夏服を着たついなときたら、それはもう常軌を逸した可愛さだった。ついなの夏服姿には真夏の太陽もタジタジだぜ。
しかしそろそろブレザーを着た冬服のついなを見たい気持ちも高まってきている。あれはあれでやはり良いものだ。
……というかもう一ヶ月以上ついなの顔を見ていない。もう服は何でもいいから会いたくなってきた。いっそ服なんか着ていなくても構わないぐらいだ。
「男子の制服も良くないですか?」
「男の制服のデザインは気にしたこと無いな……。学ランじゃなくてブレザーなんだなーとしか」
「無頓着すぎません?」
話しながら夕食が並べられてるテーブルに着くと、父さんと明子さんが呆然とこちらを見て固まっていた。
「え……? な……」
「食べないの?」
「あっ、そ、そうね! うん、いただきます」
「あ、ああ。食べよう食べよう」
予想通り二人ともかなり動揺しているようだ。今まで全く話さなかった俺たちが急に仲良くなっているのだから、当然驚きもするだろう。
残念ながらこれはそういうフリをしているだけなのだが、いずれ本当に仲良くなるつもりだから許してほしい。
「あー、えっと、えー、そうだな。その、そろそろ夏休みも終わるけど、神次は最近どうなんだ?」
「……」
「……」
思わず梓と顔を見合わせる。これをなくすために話をしながら階段を下りてきたのに、いきなりまた出てきてしまった。
「いや、まあ。普通……」
「お、おお。そうか」
「梓は? どう?」
「うん、普通……」
「そ、そうなのねえ」
くそ、作戦は失敗だ。だが引き下がるわけにはいかない。反省はまた後でするにしても、とりあえず今はやれるだけやっておくんだ。
「えーと、それで、梓は結局どれが一番面白かったんだ? 色々読んでたけど」
「え? ああ、読んだ中だと、星のやつですね」
「星? 星……ああ、星な。でもあれは星というか……いや、これはネタバレになるな」
「え? 気になるんですけど」
「いや、全巻あるから。気になるなら読めばいい」
「ですね。後で借りに行きます」
ふう、どうだ。普通に会話してるフリをかましてやったぞ。
父さんと明子さんは、信じられないものを見たような目で俺と梓を凝視しながらまた固まってしまった。
「どうしたの、お母さん」
「どうしたって……梓こそ、どうしたの?」
「何が?」
「何がって……だって、こんな急に」
「急に?」
梓は良い感じにすっ呆けている。いいぞいいぞ、その調子だ。
自分から進んで経緯を話したら不自然だから、ちゃんと聞かれるまでは答えないようにしよう、という事前の打ち合わせ通りだ。
「だって、昨日まで神次くんと全然話してなかったのに、今日になって急に……」
「あー。別に今日から急にってわけじゃないけど」
「えっ、そうなの?」
「何日か前からちょくちょく話してたし」
よしよし、良い感じだ。明子さんも肩の荷が降りたように、ホッと穏やかに微笑んでいる。
「そうだったのか……。神次、何かあったのか?」
やっぱり来た。別に聞かなくたっていいだろうに、何でも知りたがる父さんの悪癖だ。
「何かっていうと……あー、あれだ。アイスをあげてから」
「アイス? ああ、そういえば夏休みに入ってからやたらとアイスのゴミが増えてたな」
うっ、これはまずい。アイスは夏休みに入ってから毎日買っているし、そのゴミは全てリビングのゴミ箱に捨てている。当然気付かれていたか。
だとすると、数日前から話すようになったというのは辻褄が合わない。いや、ずっと一人で食ってたけど、最近になって半分あげるようになった事にするか? でもずっと半分に分けられるアイスだけを買い続けていたのだから、それは不自然だ。
かといってここで何かを考えると、それこそ不自然になってしまう。とにかくすらすら答えるのが最優先だ。今この瞬間で何か適当にでっちあげるしかない。
「えーと、そう、バイトの帰りに買ったアイスを半分に分けててな……。それで、えーと、そう。何日か前に、ちょっと奮発して高いアイスを買ったら、そこから話すようになったんだ」
「あ、ああ。そうだったのか。高いアイスを……」
「ちょっと梓、あなたね……」
あれ、これだと何か梓が嫌な女みたいな感じにならないか? 安物だと心を開かないけど、高級品を渡したら態度が変わったみたいな……。ちょっと間違えたかもしれない。
ああっ、テーブルの下でべしっと足を蹴られた。やっぱり駄目だったんだ。
ちらりと向かいに座る梓の様子を見ると、特に気にせず澄ました顔で飯を食っている。しかし俺への攻撃はべしべしと継続中だ。
「それで、そう。ちょっと話してみたら、俺と同じ高校を受ける予定だって言うし、そこから色々話すようになって……」
しかし今さら高級アイスの話を引っ込めるわけにもいかない。もうそういうことになってしまった。
とにかく晩飯を早く食って、これ以上ボロを出す前にこの場を離れよう。
「ふう。ごちそうさま」
「ん? なんだ、ずいぶん早いな」
「ああ、今日はバイトが大変だったから腹が減ってたんだ」
適当な言い訳をして自室に避難する。
蹴られていたといっても卓上に音が聞こえない程度の強さだったので、別に痛かったわけではない。ただ澄ました顔とべしべし蹴ってくるギャップがちょっと恐かっただけだ。
「やれやれ……」
落ち着いて考えてみれば、高級云々の話は必要無かったかもしれない。別に少しずつ仲良くなっていったということにすればよかったんだ。
だが済んだ話はもうどうしようもないし、一応親に話をしている様を見せることができたので目標は無事達成だ。あとはこれを続けていけば、やがて気まずさやぎこちなさも解消されていくだろう。
とりあえずベッドに転がり、ついに成し遂げたという達成感に浸っていると、ドアをノックする音が聞こえてきた。
「……しまった」
そういえばこの部屋はもう聖域ではなくなったんだ。ここに逃げ込めば梓と遭遇しなくて済むという、避難所としての機能はもう無い。
渋々ドアを開けると、不満たらたらといった様子の梓が立っていた。
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