第15話

 単純な倉庫内軽作業をこなしながら考え続けた結果、梓との関係改善は親を使うのが手っ取り早いという結論に至った。

 そもそも気まずくなっているのは夕食時、親に気を使わせてしまって変な話の振り方をされるのが主な原因だ。気まずさを改善しようとして余計に気まずくなる嫌なループに、父さんも明子さんも春からずっとはまり続けている。そろそろ解放してやらないとストレスで胃に穴が開いてしまいそうだ。


 というわけで、親のためにやるのだから親をダシにしてもいいだろうというスタンスでいく。

 そんな関係改善の第一歩。今まで餌付けを続けてきたおかげで、ここで大きく踏み出す勇気が持てる。

 さあいくぞ、まずはいきなり名前を呼んでやる。


「なあ梓、ちょっといいか?」

「んー? 何ですか……え? ええっ!?」


 バイトから帰って風呂からあがった俺は、いよいよ意を決して梓としっかり話をすることにした。梓は俺に名前を呼ばれたことで驚いているようだ。目を見開いてまじまじと俺を見つめている。

 梓はリビングにあるL字のソファーの長い辺に座っているので、俺は短い辺の方に座る。さすがに隣には座れない。

 あとはなるべく脚を見ないように気を付けながら話をしなければ。


「梓がこの家に来てからもう四ヶ月……いや、五カ月ぐらいになるか」

「え? うん、そうですけど……え? 何ですか、急に」

「急じゃない。前々から考えていたことだ。じっくりやっていこうと思っていたが、さすがにそろそろちゃんと話をしようと思ってな」

「いや、急に名前を……まあいいですけど……。……それで、何なんですか? 話って」


 梓は自分の髪の毛を一房手に取って、もじもじと弄繰り回している。今はまだ清楚系ギャルらしく黒髪ロングだが、そう遠くない内にド金髪のイケイケギャルになってしまうだろう。できれば黒髪の内に「お兄ちゃん」と呼んでもらえるようにしたいところだ。


「ああ。単刀直入に言うと、父さんと明子さんの胃に、そろそろ穴が開きそうな気がする」

「胃に穴……あの、それほんとに単刀直入ですか?」

「あれ? ちょっとずれてたか? まあとにかく、めちゃくちゃ気を使わせてしまっているということだ」

「あー……はい。いっつも同じこと聞いてくるアレですよね」

「そう、いっつも普通と答え続けているアレだ」

「毎日同じこと聞かれても、答えようがなくないですか?」


 それは実際そうだ。ちょっとぐらいは違うことや違う角度から聞いてほしいものだが、ただ最近どうだとばかり言われてもどうしようもない。


「そうだな。だからそもそも、あの質問をされないようにしてしまおうという話だ」

「それはそうなったら良いですけど……。どうやって?」

「あれは俺たちが何も喋らないから気まずくなって、何でもいいからとにかく会話をしようとした結果だろう。つまり俺たちが何かを話せばいい」

「あー、まあ……。確かに……」

「つまり俺たちが仲良くなったフリをすればいいんだ」

「仲良くなった……フリ?」


 ついなと付き合っているフリをし続けた結果、俺とついなは何か知らんが仲良くなった。それと同じことを期待しての作戦だ。

 フリであろうと仲良く話をし続けていれば、いずれそれが本当になる……はず。


「とにかく晩飯を食ってるときに、何でもいいから一言二言話すようにすればいいんだ。関係改善の兆しが見えたら多少はストレスも減るだろう」

「は、はい。それはわかりますけど」

「よし。大筋はそれでいいとして、あとはディティールを詰めていこう」

「ディティール?」

「急に話すようになったら、そのきっかけを聞かれるかもしれないだろ。特に父さんは、そういう放っておけばいいものをわざわざほじくり返そうとするところがある」

「はあ、そうなんですね」

「だから話すようになった、尤もらしい理由を用意しておこうというわけだ。何かないか?」

「えー……何かって言われても……」


 梓はギャルなのにタジタジになってしまっている。『フリ』経験者として少し話を急に進めすぎたか?


「別に何でもいいぞ。これなら話すようになってもおかしくないと思える理由だ」

「じゃあー……アイスをくれた、とか?」

「おお、本当にやってることなら説得力もあるな。じゃあそれでいこう。アイスをあげたら、何か話すようになったフリだ」

「フリっていうか……まあいいけど……」


 よし、何とかなった。「はあ? そんなん知らんし。ウザ」とか言われるんじゃないかと心配だったが、取り越し苦労だったようだ。


「じゃあ一応会話のデッキも構築しておくか。俺も『最近どうだ?』とか聞いてしまったら話にならない」

「デッキ……」

「何か共通の話題があれば、それ一本で延々いけるぞ」

「うーん、共通……共通……」


 そういえば俺たちはお互いのことを全くといっていいほど知らない。そのため何が共通しているのかも不明だ。


「ちなみに俺はファッション関係はからっきしだ」

「それはまあ、見てたら大体わかります」


 ギャルが好きそうな服の話はあらかじめNGを出しておいたが、なんか失礼なことを言われてしまった気がする。毎日同じ半ズボンを履いているのが駄目だったか。

 しかし共通する何かがあるだろうか。……いや、別に共通してなくても、あくまでもフリなんだから適当でいいのか。


「そうだな、漫画は読むか?」

「漫画は、まあ。人並には」

「じゃあそれでいくか。俺の部屋から適当に借りていってることにするか」

「ことに……」


 それで適当に漫画の話を振っていく方針でいくとしよう。適当に話を合わせてくれれば何とかなるはずだ。

 あとはもう一つネタがあれば盤石なんだが、何か、何か……そうだ。梓は中学三年生の夏、つまり受験シーズンだ。


「時期的には受験関係の話も悪くない気がするな」

「あっ、受験の話はしたいです。同じ高校に行こうと思ってますし」

「え、そうなのか。それなら話すことはいくらでもあるな」


 これならしばらくの間は話すネタに困らなさそうだ。そして、ネタが切れる頃には本当に仲良くなっているだろう。少なくとも普通に会話できるぐらいのところまではいけるはず。

 そうしてしばらく話を詰めた後に、来るべき夕食に備えて部屋で休むことにした。


「やれやれ……。これでやっと、何とかなりそうだ」


 このクソ長い夏休みの間中、ついなと会わずひたすらバイトし続けるという灰色の日々を送っているんだ。せめて家庭内の問題でも解消しておくぐらいのことはしておきたかったが、これでその目途は立ったと言えるだろう。

 ベッドに寝そべって一息吐いていると、コンコンとドアをノックする音が聞こえてきた。


「んん……?」


 誰だ? 心当たりが全く無い。

 父さんはまだ仕事だし、そもそもこの部屋に来ることは滅多に無い。

 明子さんはそろそろパートの仕事が終わる頃合いだが、まだ帰ってきていないはずだ。それにそもそもこの部屋に来ることは全く無い。

 となると梓しかいないわけだが、当然この部屋に来ることは全く無い。無いが、梓しかいない。

 恐る恐るドアを開けてみると、本当に梓が立っていた。


「おお、どうしたんだ」

「どうっていうか、漫画を借りようかなって」

「あ、ああ。じゃあ、入って……本棚から適当に持っていってくれ」


 貸し借りしたフリのつもりだったが、当然実際に借りて読む方が良い。

 良いんだが……俺の部屋に梓がいる。この光景に脳が困惑してしまっている。


「あ、けっこうある……。んーと……」


 梓は本棚の前に立って、どれにしたものかと悩んでいるようだ。

 俺は小学校高学年から今に至るまで、小遣いのほとんどを漫画に使っているのでラインナップは豊富だ。


「んー……え、な、何ですか?」


 思わず眉根を寄せて梓を見続けていたからか、不意に目が合ってびっくりされてしまった。


「いや、この部屋に梓がいるのが、なんか不思議だなあと思ってな」

「あ、それは私も……。なんか不思議ですね」


 あ、ちょっと笑った。初めて見る笑顔だ。

 よしよし、関係改善のフリは問題無くやれそうな気がしてきたぞ。

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