第14話

「あー、あっぢ~~」


 夏は暑い。昼は暑い。夏の昼はえげつないほど暑い。

 夏休みに入り、倉庫内軽作業的な夏の短期バイトに励んでいるが、これはちょっとバイト選びを失敗したかもしれない。

 朝が早いのがネックだったが、そこそこ給料が高くて、十五時という割と早い時間に終わるならアリだと思い応募したが……十五時に解放されるのがデメリットだったとは。


「し、死ぬ……」


 倉庫内はやんわり冷房が効いているので問題無いが、そこから帰るのが辛い。特にこのギンギラギンに照りつけてくる日差しが駄目だ。日光が降り注がない夜に終わるバイトにするべきだった。

 もうあと少しで家に着くところだったが、たまらずコンビニに逃げ込む。冷房の効いた店内で汗が一気に冷やされてゆく。


「はふぅ……」


 ホカホカに茹った体の熱を店内に放射してから、アイスを一つ買って帰る。二つに分かれるチューチュー吸うタイプのやつだ。


「ただいまー」


 玄関の辺りは冷房が効いていないが、それでも屋外よりはかなりマシだ。ここまで来て、やっとバイトが終わった感覚になる。まさか一番辛いのが帰宅とは、実際に体験するまでは思いもしなかった。

 そのままリビングに入ると、今日も梓がソファーで寛いでいる。


「アイスいるかー? 多分ちょっと溶けてるけど」

「……うん」


 余った半分のアイスを梓に渡してから、そのまま風呂に直行するのがお決まりの流れだ。あまりにも汗をかきすぎているので、このままでは自分の部屋に入りたくない。

 風呂といっても湯舟に浸かるわけではなく、シャワーを浴びるだけ。それもお湯ではなく水のままだ。それでもお湯といってもギリギリ過言じゃない程度の水温になっている。


「あばばばば……」


 顔面でシャワーを受けながら、ふと梓のことを考える。あいつは最近、餌付けされても何も言わなくなってしまった。

 最初は「…………と」だったのが「…………がと」になり、そして「……りがと」と来たなら、ついに「ありがと」になるのかと思いきや、まさか何も言わなくなるとは……。

 一応ずっとそれなりに間隔を空けていたのだが、夏休みに入ってからはほぼ毎日バイトの帰りに買ったアイスを渡しているのが良くなかったのかもしれない。確かついなが言うには、ありがたみがなくなるんだったか。


「んぶぶぶぶぶ……どうしたもんかね」


 順調だと思っていたが、急に暗礁に乗り上げてしまった。

 別にお礼を言われるために餌付けしていたわけではないのだが、やはり急に変わったとなると何か原因があるはずだ。


「もしかして気付かれたか?」


 夏になってから、梓の露出が大変なことになってきている。一応タンクトップ的なものを着て、極めて丈の短いズボン的なものを履いてはいるが……つまり腕も脚もほぼ丸出しだ。確かに肌を出すのはギャルの得意技だが……あの技は俺に効く。効果てきめんだ。

 急に現れた清楚系ギャル美少女義妹の太ももなど、見ない方がどうかしている。それでも必死に視線を吸い寄せられまいと頑張っているが……まあ成果は芳しくない。そんな俺の視線を察知されたのだとしたら、急に何も言わなくなったことの辻褄が合ってしまう。


「ふーい……」


 風呂場から出ると梓はまだリビングにいた。アイスを食べ終えて、容器を口で膨らませたり萎ませたりして、ペコペコ鳴らしながらスマホをいじっている。

 見た感じだと学校ではあまりはしたないことはしなさそうだし、今までもこういうことをするイメージは無かった。最近になって、やっと家でリラックスできるようになってきたのかもしれない。

 そんな梓を横目に見ながら、冷蔵庫から麦茶を取り出す。コップ一杯の麦茶を一気に飲み干し、失われた水分を補給した。


「ぷはー……」


 飲み終えて一息吐いたところで、こちらをじっと見ている梓と目が合った。なんだなんだ、腰に手を当てているこのポーズがダサいとでも言いたいのか。


「……あの」

「ん? なんだ?」


 そっとさりげなく手を腰から離していると、珍しく梓から声を掛けてきた。なんだなんだ、麦茶ぐらい黙って飲めとでも言いたいのか。


「バイトって大変ですか?」

「バイト? そりゃ大変っちゃ大変だけど……。因みに一番大変なのはこのクソ暑い時間に帰ってくることだ」

「ふーん。そうですか」


 それで聞きたいことを聞き終えたとばかりに、梓はまたスマホに視線を落とした。なんなんだ?

 梓の方から特に必要のないことで話しかけてくるというのは、今まで一度もなかったことだ。これはどういうことだろう。

 いやらしい視線を向けていることに気付かれて嫌われたというわけではないのか? いや、視線は確かにいやらしかったかもしれないが、決していやらしい気持ちを抱いているわけではない。その辺りの微妙な心境を汲んでくれたのか?

 よくわからんが、関係改善への道が振り出しに戻ったわけではなさそうだ。


 そして梓に話しかけられて気を良くした俺は、意気揚々と――部屋に戻った。

 決して焦ってさらに話をしようとはしてはいけない。話が続かないことはわかり切っているからだ。

 リビングに留まり続けてもいけない。せっかく話をしたのに、その後沈黙が続いては気まずくなってしまうからだ。

 とにかく少しずつ、少しずつ実績を積み重ねていけばいい。

 そうすれば、いずれ「お兄ちゃん」と呼んでくれる日も来るはずだ。


「……いや、ちょっと微妙だな。早ければ良いけど、三十路過ぎの梓からそんな風に呼ばれても困る」


 関係改善は急がなくてはならないか。「お兄ちゃん」と呼ばれて嬉しいのは十代の間だけだ。

 二十代前半でもまあ……ギリギリ良いが、後半になるともう駄目だ。その頃にはすっかり落ち着いてギャルっぽさもなくなってるだろうから、「兄さん」とかが良い。


「えーと、今後の予定は……」


 明日はバイトで、明後日もバイト。その次も……あれ、ずっとバイトで休みが無い。いつの間にこんなに詰め込んだんだ。

 ともかく休みが無いならバイトが終わってから何かしなければならない。

 八月の上旬でこの有様なら、もう夏休みがバイト漬けで終わることはほぼ確定だ。この際それはいいとしても、せめてこの夏で梓との関係改善ミッションを終わらせるように頑張るとするか。

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