無事に負けて解放されたので、さっさとついなが待つ父兄スペースの真ん中に戻る。

「いやー、惜しくも敗れてしまった」

「あ、おかえり。なんかあっさりだった」

「ああ、かなり手強い相手だった。二組の奴らもさるものよ」

「うーん。一組の人は味方と戦ってたように見えた」

　我が一組の醜態はばっちり見られていたようだ。全く、あいつらときたら内輪揉めばかりしやがって……！

「スパイが紛れ込んでいたか。俺を擁する一組に勝とうとするには、そういう手を使わざるを得なかったのかもな」

「えー？」

　他のクラスが綱を引きあう様を眺めながら、のんびりと下らない話に興じる。まったりとしていてとても良い雰囲気だ。

　あとはこのまま終わってくれれば最高なんだが、もうすぐ百メートル走に出場しなければならない。一番短い距離が一番楽だと思って百メートル走を選んだが、朝早くにやる競技を選ぶべきだったか。

「――あのときばかりはバスケの神様が微笑みかけてきた気がしたな」

「おー。それでしんじはどうしたの」

「だから言ってやったんだよ。確かに俺たちは負けたかもしれないが、どうせお前らも次で負けるだろう、と……あ、集合かかったか」

　楽しくおしゃべりに興じていたら、ついに出番がやってきてしまった。

「百メートル走は花形競技。がんばれ」

「花形つってもなあ……。まあ行ってくるわ」

　各クラスから一人ずつ集めた八人で競争し、一着を取った奴が勝ち。これはわかりやすくて良いんだが、それが各学年の性別毎に三回行われる。つまり八×三×二×三で、えーと……百人以上が入れ替わり立ち代わりでうじゃうじゃと出場することになる。

　時間もあまりないから次々とテンポ良く走らされれるだろうし、花形なんて良いものじゃなさそうだ。

「えーと、天原くんは一年男子の三走目ですねー。一組のレーンの三人目に並んで下さい」

「うーす」

　実行委員らしき人の案内に従って、スタート地点の後ろに並んで座る。俺の相手は各クラスの三人目、横にいる奴らか。どいつもこいつも一筋縄ではいかなそうな面構えをしているように見えなくもない。

「昼飯食っていい感じにまったりしてたところで綱引きやって、そこからすぐ走れってのは厳しいわ。なあ？」

「え？　あ、ああ。それは確かに、そうだな」

　暇なので隣の二組の奴に話しかける。するとさらに隣の三組の奴も同意してきた。

「だなあ。特にうちは最後まで勝ち上がったから、きついの何のって」

「やっぱこの時間に百メートル走はおかしいよなあ。もうそんな元気無いっての」

「俺はこれのすぐ後にリレーもあるんだよな。ここで張り切りすぎると後がきつくなる」

　おお、何か知らんが次々と会話が伝播していっている。ついには八組の奴まで会話に交じってきた。

「……なあ、俺らはちょっと手を抜かね？　最後の十メートルだけ本気で走る感じでさ」

「あー、良いな。実質十メートル走にするのか」

「そりゃ楽だな。乗った」

「おお、それならリレーに余力を残せる。良い案だ」

　なんかそういうことになった。

　そして、そんな話をしている間にもう出番が回ってきた。まだ前の最後尾がゴールしていないというのに、なんて忙しなさだ。

『位置について、よーい……ドン！』

「うおおおおおおお！！！」

　スタートの合図が切られると同時に、全力で前に飛び出すように走る。中学の頃は散々フットワークの練習をやらされたこともあって、足腰には自信があるんだ俺は。

　さすがに一年のブランクがあるので長距離は厳しいが、短距離走ならまだやれる……！

「おおおおい！　何マジで走って……って、三人もだと！」

「は、はめられた！」

「あ、天原の野郎！　こっちでも抜け駆けかよ……！」

　フン、愚かな奴らよ。まさかこんな簡単な詐術に嵌められるとは。あと俺は疲れたとか面倒だとか言っていただけで、遅く走ることに同意していない。ただ周りに合わせて否定しなかっただけだ。

　俺の敵は、全力でスタートを切った他の二人だけ……！　そしてこいつらには多分勝てる……！

「うおおおおお！！！」

　地面を蹴るたびにグングン加速していく。よし、これならいける。

　そう思ったのも束の間、後ろから猛烈に追い上げてくる気配を感じた。というか何か叫んでいる。

「おおおお！！　天原には、天原にだけは負けられねえ……！」

　ちらりと横を見ると、やたらとフォームの綺麗な奴が俺に並びかけようとしている。めっちゃ目の敵にされているのはともかく、この妙に綺麗なフォームは……！

「さては陸上部……！　卑怯な……！」

「どの口が言ってやがる！」

　出遅れ組のくせに追いついてくるとは恐ろしい奴だ。だがもうすぐゴールだし、ほんの少しのリードを守り切れればいい。

　それに陸上の連中はスパイクを履いてしっかり土を蹴る感覚に慣れているはず。こんなズルズル滑る土の上では真価を発揮できないに違いない。

「うおおおおお！！！」

「おおおおお！！！」

　必死に足を動かしながらも、いよいよ追いつかれる――そう思った瞬間にゴールとなった。

　判定は一組の……つまり俺の勝利だった。恐らくクビ差でギリギリの逃げ切り勝ちだ。あと五メートル距離が長ければ差し切られていただろう。

「ぐううぅぅ……よりによって天原に負けるなんて……！　俺は何のために陸上を……！？」

「おい天原！　お前、あんな卑怯な真似を……！」

「そうだ！　このことはさりげなく奥宮さんの耳に入れてやる！」

　ぬう、敗残兵共が徒党を組んできたか。負けたのなら潔く散ればいいものを。

「待て待て、俺はただダルいとか言ってただけだぞ。遅く走ろうとか言い出したのは別の奴だ」

「ん……？　言われてみればそうだったか。言い出しっぺは誰だ？」

「そういえば俺の右の奴が言い出したはず。つまり五組だ」

「五組だと？　五組の奴は普通に走ってたじゃないか」

「じゃあそいつに嵌められたのか！　いないぞ、探せ！」

　連中は百メートル走った後だというのに、元気よく飛び出していった。よくわからんが、俺に矛先が向かないならそれでいいか。さっさとついなの所まで戻ろう。

「おーい、勝ったぞー」

「おかえりー」

　勝利の凱旋に、ついながぱちぱちと拍手をして出迎えてくれた。頑張った甲斐があったというものだ。

「ふー、やれやれ。一年振りに本気で走ったわ」

「うん、しんじは速かった。なんか他の人が変だったけど」

「権謀術数が蠢く恐ろしい戦いだったからな。危うく俺も嵌められるところだった」

「おー……」

「何にせよこれで出番は終わった。やっとゆっくりできる」

「ずっとゆっくりしてた気がするけど、おつかれさまー」

「先に予定があるゆっくりと、もう何も無いゆっくりは別物なんだよ。今までのは偽物のゆっくりだ」

　グラウンドではところてんが押し出されるように百メートル走が次から次へとスタートしている。

　あれが全部捌けたらリレーをやって、あとは閉会式をして終わりか。いやはや、長かった。

「あれ？　ついなの団体競技は？　リレーに出るのか？」

「わたしは朝にやった。千五百のすぐ後」

「おお、なんてタフな……。いや、そっちの方が精神的に楽か……？」

　朝にパパッと出番を終わらせれば、あとは最後までのんびり過ごすことができる。現についなはずっとリラックスしているようだ。

「狙い通り」

「うーん。さすが賢い」

　ドヤって満足気なついなと二人で閉会式まで見届け、体育祭は無事終了となった。