第11話
「あー、こんなところにいた」
「んー」
ついなの声で目を覚ます。どうやらいつの間にか寝ていたらしい。確か一生懸命走る人たちを精いっぱい応援していたはずなんだが……。
「よいしょ」
「……んー」
ついなは寝そべる俺の頭の横に座った。長いベンチだが多分ギリギリなので、少しだけずれて場所を空けてやろう。
「しんじはいつも寝てる」
「俺はいつもついなに起こされてるな。……いや、いつもってほどでもない……あれ? そういえばどうしたんだ?」
体育祭はクラス対抗でやるイベントだし、クラスの方を優先するようにしようという話だったはずだ。
「頑張ってたし彼氏のところに行っといでって送り出された」
「あー……」
何ともおせっかいな友人がいるようだ。しかし俺はその行動を讃えたい。よくやってくれた。
おかげで存分に体操服姿のついなを鑑賞して……なんだこのアングルは。腰のところから至近距離で見上げるような形はレアではあるが、全体像が全然見えないじゃないか。仕方ない、起き上がろう。
「起きるの? 寝ててもいいよ」
「いや、別に眠たいわけじゃなくて、ついなを見終わってから暇で寝てただけだから。……そうだ、三位だったな。すごかった」
「うん。そこそこ頑張った」
「あれでそこそこなのか……。そういや手も振ってたし、割と余裕あったな」
「あ、そういえばそのときしんじが無視した。知らない人はいっぱい手を振ってきたのに」
「無視じゃなくて呆気に取られてたんだよ」
「えー」
「わかったわかった。じゃあ俺も走るときそっちに手を振るから」
「百メートル走でやると怒られると思う」
そうしてしばらく話していると、グラウンドの方から昼食がどうのこうのと聞こえてきた。もうそんな時間なのか。
「……あれ、もしかして俺を探すのに時間かかったのか?」
「んーん。一組のところに聞きにいったら教えてくれた」
なら良かった。そういえば千五百メートルも走った後なのに妙にさらっとしてて爽やかな匂いもするし、デオドラント的なあれこれをしっかりやってから来たんだろう。走り終わってからすぐ探しに来たわけじゃなかったようだ。
「というかうちのクラスの連中の所に行ったのか。大丈夫だったか? なんか気持ち悪い奴がいたりしなかったか?」
「んー。なんか敬語ですごいハキハキ教えてくれた」
「ああ……」
誰が対応したのかは知らんが、急に話しかけられてびっくりして、さらに緊張でガチガチになったんだろう。そうなりそうな奴はいくらでも思い付く。
だがまあ、何はともあれ昼飯だ。ついなは何も持っていないし、俺も教室に置いてきてある。それぞれのクラスに合流しなければ。
そうして名残惜しくもついなと別れて教室に戻り、朝に近所のベーカリーヨシカワというパン屋で買っておいたパンをモサモサと食べる。ヨシカワは値段の割に味が良いと評判のパン屋で、俺も度々昼飯用に買いに行っている。五百円で肉や野菜がかすかに入っているパンが三つも買えるのは、最近の物価高を思えばかなり良心的だ。
おかげですっかり腹が膨れてしまい、もう走る気力もなくなってしまった。体育祭など忘れて昼寝したい。
「おい天原! 奥宮ちゃんが来てるぞ! 何待たせてやがんだボケナス!」
「んおっ!?」
うつらうつらと舟を漕いでいたら、椅子をガツンと蹴られてしまった。何だ何だ、奥宮さんが来ただと?
慌てて周囲を見回すと、もう教室にはほとんど誰も残っていない。仕方なくふらふらと廊下に出ると、確かについなが待っていた。
「おはよー、しんじ」
寝起きのダルい気分が一発で吹き飛ぶ可愛さだが、今の奴に俺を呼ぶよう頼んでしまったのか。これはいけない。
「ついな、今の奴は乱暴者だから近付かない方がいいぞ。俺を呼ぶときはもっと優しそうな奴に……」
「あっ、おい天原! てめえふざけんなよ! さっきの恩をもう忘れたか!」
「恩? ああ、西崎だったか。じゃあ……えーと、こいつはついなが走ってるとき、最前列を快く譲ってくれたナイスガイだ」
「おー、ナイスガイ」
「えっ!? あっ、いや。俺はクラスメイトとして……いや、友達として当然のことをしたまでで……じゃあ失礼します!」
荒っぽい無法者の西崎だが、ついなに一言声を掛けられただけで真っ赤になってしまった。隠していた牙もポロッと抜けて、いつの間にか俺の友人になってしまったようだ。
そのまま舞い上がって走り去って行った西崎を見送り、ダラダラと二人で階段を下りる。うーん、やはりダルい。
「あ、そういえば今度はどうしたんだ? クラスの方はいいのか」
「うーん。なんか女子はみんなバラバラになったから、わたしだけ残っても仕方ない」
「ふむ、四組はまとまりが無いのか」
「あとせっかく全校生徒がいるから、やっぱりこういうときにアピールした方が効果的」
「なるほど。それは確かにそうだ」
もう学校中に認知されてるとは思うが、中には噂に疎い奴がいるかもしれない。そういう奴にも知らしめようということか。
「しんじが友達と一緒ならいいかなと思ったけど、また寝てたから」
「あれはヨシカワが悪い。奴の奸計にはまって急激に血糖値を上げられたんだ」
「吉川?」
肉や野菜がかすかに入っているパンとはつまり、ほぼ炭水化物だ。そんな物を一気に三つも食えば血糖値が爆上がりで即気絶よ。
そうしていつものように適当な話をしながらグラウンドに出る。しかしアピールのためというなら、さっきのように木陰のベンチでダラダラするわけにもいかない。どうしたものか。
「どっか良い場所あるか? 俺はずっと寝てたからよくわからん」
「うーん。こっち」
ついなに連れて来られたのは、父兄が観覧する用のスペース……だったものだ。今日はほとんど来ていないので席はガラガラで、今では生徒達が思い思いに座るフリースペースのような扱いになっている。
そしてここは競技に出る生徒が一旦集まる場所のすぐ近くなので往来が激しく、かなり人目に付きやすいようだ。
各クラスのスペースは生徒達がそれぞれ教室の椅子を運んできたものを使うのに対し、ここは少しだけクッションが付いたパイプ椅子が並べられている。こっちの方が少しだけ上等だ。
「ここ」
「うってつけの場所だな」
俺は並べられている椅子のド真ん中にドカッと座り、ついなはその隣にちょこんと座る。出番が来ても集合場所はすぐそこなので、気を抜いていても安心だ。今日はもうずっとここにいるとしよう。
しかし騒がしいはずの体育祭だが、何というか……色んな方向から聞こえてくる歓声。放送部がマイクを通して実況する声や、生徒達が行き交う足音。それら全てが今の俺には子守歌のように聞こえてくる。
腹一杯になった昼下がりの、ふわふわとまどろむ感じはとても抗い難い。
「しんじ、しんじー。出番だよ」
「……ええ? もう?」
横から肩をてしてしと叩かれて起こされた。感覚的にはもう少し後だと思うんだが、うっかり寝入ってしまったのか。
「綱引きだって」
「綱引き……ああ」
そういえば団体競技にもどれか一つ出る必要があって、俺は一番危険がなさそうな綱引きを選んだんだった。
他の競技だとドサクサに紛れて俺を攻撃してくる奴が大勢いるはずなので、ただ綱を引っ張るだけの競技を選ばざるを得なかった。
「行かないの?」
「……なんか十人ぐらいでやるらしいし、一人いなくてもバレないんじゃないか?」
「でもあっちで呼んでる」
言われてみれば、確かに集合場所の辺りでクラスの連中がこっちを睨みつけながら、早く来いなどと叫んでいる。さすがに行くしかないか。
「じゃあ行ってくる……」
「がんばれー」
ついなの声援を背に受けて、よたよたと集合場所に向かう。勝ってしまうと次があるトーナメント形式だったはずなので、きっちり一回で負けるようにしなければ。
「おい天原、お前奥宮さんを侍らせながらグースカ寝こけるってどんな神経してんだよ」
「侍らせながらって何だ。人聞きの悪い言い方をするんじゃない」
「実際そんな感じだったぞ」
「……マジか」
さすがに今後はどう見られるかも気を付け……まあいいか。ついなが気にしてないなら何も問題無い。
「というか天原、せめて見えない所に行けや。なんであんな目立つ所で見せつけるように……!」
「そうだ、あまりにも酷だろう。お前には人の心が無いのか?」
「上田のやつなんか、お前と奥宮さんをじっと見ながら一筋の涙を零したんだぞ!」
「む……」
あれは俺ではなくついな側の都合なので、俺に文句を言っても仕方がない。しかし反論はできないので、罵倒を甘んじて受け入れるしかないか。
……そう思っていたところで、横から救いの手が差し伸べられた。
「まあ待てお前ら。天原はこう見えて良い奴なんだ。そう責めてやるな」
「に、西崎……!? アンチ天原筆頭のお前が、一体どういう風の吹き回しだ?」
「なに、天原は恩を忘れない男だってだけの話よ。俺は天原のことを誤解していたんだ」
「……あっ! さては西崎、てめえ天原の伝手で奥宮さんと何かあったな!?」
「それはさすがに自重しようって話だったのに、抜け駆けしやがったのか!」
「いや、あれはそういうのじゃなくて、あくまでもたまたまだ。偶然の幸運が俺を天上へと誘って、天使の福音があたかも荘厳な――」
「そんな厳つい顔して何を気色悪いこと言ってんだ! 殺すぞ!」
クラスの団結力を競い合う団体競技の直前で、クラス内でまたしても内紛が起きてしまった。
綱引きが始まってもいがみ合い続けた俺たち一組は、二組相手に為す術も無く完敗した。
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