第9話
ついなの目当ての店は別のビルの四階にあるらしい。そのためまずはエスカレーターで一階に下りる。
吹き抜けを通るエスカレーターから周囲を見回すと、うちの制服をそこそこ見かけた。何人かはっきりこっちを見ているようだし、中には指差してくる奴までいる。
「あ、しんじ。こっち向いて」
「ん?」
後ろから呼ばれて振り返ると、目の前についなの顔があった。いくら顔が良いとはいえさすがに見慣れてきた……といっても、これだけドアップだとさすがに動揺してしまった。
「背が同じぐらい」
「お、おお」
エスカレーターの一段分で、ちょうど目線の高さが同じになったということか。おかげで普段見下ろしているついなの顔がちょうど目の前にある。
いつもの学校ではなく、駅前の商業ビルのエスカレーターの上。
春から着ていたブレザーではなく、衣替えしたばかりの夏服姿。
少し上からではなく、真正面から見るついなの顔。
あまりにも見慣れない光景が目に飛び込んできて、不意になんだか現実味が感じられなくなってきた。何だって俺はこんなに可愛い子とデートらしきことをしているんだ……?
「あ、しんじ。前」
「おっと」
ついなに言われて振り返ると、ちょうど一階に着いたところだった。危ない危ない。
うっかりついなの顔に見惚れていたようだ。エスカレーターで後ろを見ていると危険だし、今後はちゃんと前を見て……いや、せっかくの至近距離で真正面からついなの顔を見る機会が……うーむ。
「こっちこっち」
「おお、なんかさっきのビルよりオシャレな感じだ」
さっきのビルが何でも詰め込む系だったのに対して、こっちは何となく女性向けのテナントを集めたような雰囲気がある。俺一人だと場違いで到底入れないだろう。
またしてもエスカレーターに乗って上に向かうが、今度はちゃんと前を見ておこう。ついなの顔には視線を引き付ける力があるので、迂闊に見ると危険だ。
「あー」
後ろで何か言ってるが、聞こえない振りでやり過ごして二階に到着。
次は隣のエスカレーターで折り返して三階へ……と思ったら、ついながサッと俺の前に回ってエスカレーターに乗った。
「これでよし」
「なんだ? 前に……ああ、昇りで後ろだと同じ高さにならないのか」
ひょっとして背が低いのがコンプレックスなんだろうか。低いと言っても平均より少しだけ小さい程度で、標準の範疇に収まると思うんだが……まあこういうところは本人にしかわからないものか。
しかしそれよりも、俺はちゃんと前を向いているのに、何故かまたしても目の前についなの顔がある。うーん、やっぱり目が特に綺麗だ。陳腐な表現になるが、吸い込まれそうな目とはまさにこんな感じの目のことを言うんだろう。
「えーと、あと一階上」
ついなは俺の顔に見惚れるようなことはなかったので、何事もなく三階に着いてフロアマップを確認している。ついなが行きたいのは、四階にある家具や生活雑貨等を扱う店か。四階の大部分を占有していて、かなり規模の大きい店のようだ。
「ここはたまに来るけど、色々あって楽しい」
「ほう」
俺が色々あるホームセンターを好きなのと同じ感覚だろうか。
ついなにとっては本当に楽しい店らしく、最後のエスカレーターに乗る足取りも軽やかだ。
これはひょっとするとついていくのが大変になるかもしれない。そんな予感に怯えて、少し遅れてエスカレーターに乗る。四段下に乗ったので、もう完全についなを見上げる形になった。
「ここには珍しい物がいっぱいある。多分しんじも気に入るはず」
「ほほう」
ついなが話しながら三段下りてきたので、また目の前についなの顔が来た。うーん、肌も綺麗だ。
そして残念ながらすぐ着いてしまった四階には、色とりどりの小さい家具や雑貨がこれでもかと詰め込まれていた。
しかし雑然としながらもどこか得体の知れないオシャレさがあり、なんてことのない小物一つでも何故か魅力的に見えてしまう、そんな不思議な店だった。
「あー、またレイアウトが変わってる。えーと、調理器具は……」
「あっちにあるっぽいぞ」
「あっ、ほんとだ。行こ行こ」
ついなに急かされて調理器具が並べられている一角に向かう。
陳列されている商品は、半分は見たことがある形状の物だったが、残りの半分は何に使うのかさっぱりわからない。料理は未知の世界だ。
「なんだこの……穴ぼこだらけの箱みたいなのは」
「それはチーズを削るやつ」
「ほー。……ん? これは金やすりか。なんで工具がこんな所に」
「それはにんにくとかを擦りおろすやつ」
「へえー……何か凄いな。知らん物が色々ある」
「でしょ。やっぱりしんじも気に入った」
これはホームセンター的な楽しさと通づるものがある。よく知らん物がいっぱいで何か楽しいやつだ。
そのままあれこれと目についた物について話しながら、ゆっくりと店内を見て回る。しかし目につく物が多すぎて、なかなか先へ進めない。
そうしてかれこれ一時間近くよくわからん道具を見たところで、やっとお目当ての道具を発見したようだ。
「あ、あった。マッシャー」
「まっしゃー?」
ついなが手に取ったのは、取っ手の先に何やら極限まで目を粗くした網のような何かが取り付けられている物だった。またしても謎のアイテムだ。
「うん。マッシュポテトを作るやつ。頑丈なのが欲しかった」
「……ああ、それでマッシャーか。この網で潰すんだな」
なんて一点特化型の道具なんだ。イモを潰す以外に使い道が無さそうじゃないか。
「そう。今まで木べらで代用してたけど、やっぱり欲しくなった」
「そんなにイモを潰すのか」
「うん。マッシュポテト好きだし、ポテトサラダと、あとは……」
「潰したジャガイモだと……あ、コロッケだな」
「コロッケは駄目」
「そんな……」
コロッケくんが何をしたって言うんだ。
「コロッケは作るんじゃなくて買うもの。わたしが今まで作った料理の中で、一番労力に見合わなかった」
「ほー。難しいのか?」
「うーん。難しいより、とにかく面倒。絶対買った方が良い」
何かの歌では割とあっさり作っていたが、実際にやるとお手軽ではないのか。まあ揚げ物という時点で面倒臭そうではあるな。
その後ついなは、バカみたいなデカさのスプーンみたいな物と、これまたデカいブラシのような物を買った。やっぱり俺にはよくわからんが、ついなは何となくホクホク顔に見えるので良い買い物ができたのだろう。
とりあえずこれで用は済んだので、あとは自転車置き場に向かって解散だ。……と言いたいところだが、かれこれ二時間も歩き回っているので、さすがについなはお疲れの様子だ。
「ついな。ちょっと休憩しよう」
「うん。つかれた」
エスカレーターの近くにベンチがあったので、そこで一旦小休止だ。久しぶりに座ると、思った以上に足に疲れが溜まっていたことがわかった。
「あー疲れた。ちょっとこの店で歩き回りすぎたな」
「でも楽しかったから仕方ない」
俺がこれは何だあれは何だと聞き続けているだけだったような気がするが、ついなも楽しめていたなら何よりだ。
「あっ、天原くんだ。やっほー」
「ん? やっほー?」
何か呼ばれたようなので振り返ると、同じクラスの女子がいた。俺を囲みつつグイグイ来る子にドン引きしていた一人だ。他にも二人いるようだが、そっちに見覚えは無い。
「天原くんここに来るの珍し……あっ、ごめん。お邪魔だったか。また明日ねー」
「おー」
たまたま俺を見かけて話しかけてきたが、近付いたことで俺の陰に隠れていたついなに気付いたようだ。慌てた様子で去っていった。
「しんじはもてもて」
「んん? いや、あれはただクラスが一緒ってだけで、別にモテてるわけじゃ……」
「そうなの? でも朝も女の子に囲まれてた」
「朝? 囲まれ……ああ、あれは俺が本当についなと付き合ってるのか聞きに来てただけで……。というかなんでそんな事を知ってるんだ」
「一組の前を通ったときに見た」
移動教室か何かで通ったのか。俺の席は窓際だから、確かに教室の方を見ればすぐわかる。
しかし別に悪いことをしたわけでもないのに何故か追い詰められている気がする。どうにかして話を逸らさなければ……。
「あ、そうだ。これ」
先日梓に餌付けしたお菓子の余りが鞄に二つ入っていることを思い出したので、一つをついなに渡す。
「んー? あっ、餌付けだ」
「疲れてるときには甘い物が一番だからな」
「ありがとー。……でも、すごい完璧なタイミング」
「ついな直伝の餌付けだ」
「免許皆伝」
疲れた体にチョコの甘さが染み渡る。これで元気を取り戻し……はしたものの、なんか立ち上がるのが億劫だったのでしばらくダラダラと過ごし、さすがにそろそろ帰らないとまずいという時間になってやっと重い腰を上げることになった。
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