第5話

「餌付けに大事なのは餌のチョイス」

「餌て」


 いやまあ、餌付けというのだから餌なんだろうけど。


「甘いお菓子がいいと思う。小分けにされてるやつなら自然に渡せるし」

「うーん? どういうのがあるんだ?」


 俺は長らく父子家庭で過ごしてきたわけだが、俺も父さんも甘いお菓子を好んで食べることはなかった。よって説明されてもどんな物かよくわからない。


「買いに行こ。すぐそこにスーパーがあるから。コンビニよりお得」

「お、おお」


 スマホで調べてもすぐ出てくるのだろうが、現物を見た方が確実だ。お言葉に甘えて一緒にスーパーに向かうことにする。……しかしこれは見ようによっては、放課後デートということになるんじゃないか?

 自転車に乗って、本当にすぐ近くにあったスーパーへ。学校の外で奥宮さんと並んで歩くというだけで、どうにも非日常感がすごい。ましてやそれがスーパーマーケットの中ともなれば、もう何が何やらといった感じだ。


「しんじ、これ。こういうの」

「ん? ああ……こういうのがあるのか」


 一口か二口で食べられるサイズの小さいチョコ菓子を個包装にして、それが大量に入った大袋で売っていると。


「こういうやつならあげやすい」

「なるほど。大きいお菓子をあげると不自然だけど、この中の一つだけならちょうど良いのか」

「そうそう」


 奥宮さんに勧められるがままに、ビスケットにチョコがくっついたお菓子の大袋を購入した。船の模様が特徴的な一品だ。

 とりあえずどんなものかと、スーパーの外に置いてあるベンチに座って食べてみることにする。ちょっと味見ができるのもこういった大袋の良いところだ。

 ガバっと開けて二つ取り出す。俺の分と、奥宮さんの分だ。


「はい」

「……餌付け?」


 一つ渡したらとんでもないことを言い出した。


「いや、そういうわけじゃなくて……さすがにここで一人で食うのは無いだろ。教えてもらったんだし」

「なるほど」


 奥宮さんがわかったのかわかってないのかわからんが、とにかく一つ食べてみる。味がわからないもので餌付けするわけにもいかない。


「うまっ。何だこれ」

「うん、おいしい。わたしはこれが一番好き」

「……うーむ、今までこれを知らずに生きてきたのは人生の損失が……いや、ここで知ることができて得したと考えるか」

「おおー」


 俺の発言に感銘を受けたのか、奥宮さんは表情を変えずに目を輝かせて、ぱちぱちと拍手をしている。

 気分が良くなったのでもう一つあげよう。いくらでもあるんだし、俺ももう一つ食うか。


「お腹空いてるからいつもより美味しい」

「ああ、それもあったか。今日は昼が……」


 ……俺が弁当を半分食ったからじゃないか。嬉しそうにお菓子を食べる奥宮さんの様子を見る限り、別にあれを当て擦っているというわけではなさそうだが……。

 梓にあげる分を確保して、残りは全部奥宮さんに献上しよう。


「よし、これは全部持っていってくれ」

「……すごい餌付け? わたしを飼うの?」


 かうって何だ。買うなのか、飼うなのか。どっちにしても大変だ。にしてもさすがに安すぎないか。


「これはほら、あれだ。弁当のお礼。俺が半分食っちゃったからな」

「あー。別にいいのに」


 遠慮しようとする奥宮さんの膝の上に置いて、押し付けるような形で受け取らせる。これでも手作りの弁当代と考えたら安いものだ。

 ともかくこれで用は済んでしまった。名残惜しいがここで解散だ。


「よし、それじゃあ早速実践してくる」

「おー。頑張れー」


 奥宮さんと別れ、少し急いで家を目指す。お菓子をあげるのならば、あまり遅くなって夕食間近になると効果激減だ。

 家に入ってみると、やはり梓はいつものようにソファーで寛いでスマホを操作していた。

 そして俺もいつものようにリビングを通って手洗いうがいをするのだが……そこからまたリビングを通る際に、奥宮さん直伝の餌付けをぶちかましてやる。


「…………なあ、これいるか?」

「……え?」


 話しかけられるとは思っていなかったのか、梓は目を丸くしてこちらに振り返った。なお、名前はまだ呼べない。


「ほら、これ。今日初めて食ったんだけど、ものすごく美味くてな」

「ああ、それ……」


 鞄からお菓子を取り出して見せてみると、梓はどうやら知っていたらしい。俺は知らなかったが、奥宮さんは一番好きと言っていたし有名なお菓子なのか。

 しかし梓はいるとは言っていないし、餌付け作戦は失敗か。ここは一旦引くとしよう。


「えーと、いらないなら、まあ……」

「……えっと、いります」

「え、ああ。そうか。じゃあ、はい」


 梓が手を出してきたので、味が違うらしい二つを手に乗せてやる。餌付け作戦、まさかの大成功だ。


「…………と」

「ん? 何か言ったか?」

「言ってないです」

「そうか」


 多分「ありがと」の最後だけ聞こえたと思うんだが、しつこく聞き返すと餌付けの成功が台無しになってしまうだろう。聞こえなかったことにして部屋に戻る。

 とりあえず早速奥宮さんに成功の報告だ。「大成功」とメッセージを送り、あとは土下座するスタンプでも連打しておく。するとすぐに、サムズアップするスタンプを連打し返された。

 奥宮さんは学校では誰がアタックしても即玉砕する謎の美少女ということになっているらしいが、俺に対しては全くそんな感じではない。何ならかなり気が合う方だと思うし、どちらかというと親しみやすい性格だと思う。


「……うーん」


 あまり本気になってしまうと、駄目だったときが辛いんだが……。どうしたものだろうか。


「……」

「……」

「な、なあ。神次は最近どうなんだ? 高校にもそろそろ慣れたか?」

「んー。まあ普通にやってる」

「梓はどう? もう馴染めたかしら」

「うん。普通にやってる」


 夕食は相変わらずで気まずい空気がはち切れんばかりに満ち満ちていたが、個人的には昨日までよりかなりマシになった。

 俺の梓の間に会話は一切無いのだが、何というか……餌付けで一回まともに会話できただけで、随分と気が楽になった気がする。


 そして翌朝。昨晩は簡単に寝付けて朝までぐっすりだったので、すっきり爽やかに時間ギリギリの登校だ。

 今日は別に梓と朝食の時間をずらそうとしたわけではなく、朝一番で奥宮さんにお礼を言っておこうと思ったが故のギリギリだった。


「あ、しんじだ。おはよー」

「おっ。おはよう」


 駐輪場の奥の方のいつもの場所に自転車を停めて少し待つと、奥宮さんがのんびりやってきた。俺より遅いということは本当にギリギリの中のギリギリだ。


「昨日もすぐ連絡したけど、餌付け作戦は無事成功した。いやあ、本当にありがとう」

「うん。よかったよかった」

「おかげで家でも過ごしやすくなったし……本当に奥宮さんに相談して良かった」

「う、うん。でもしんじが頑張ったからだし」


 おや、珍しく奥宮さんが照れているように見える。

 恐らく容姿に関しては飽きるほど褒められてきただろうが、こういうことで賞賛されるのは珍しいのかもしれない。

 そうして俺はニッコニコ、奥宮さんはテレテレしたまま校舎に入って教室に向かう。

 当然その様子もバッチリ目撃されているわけで、教室に入ると一斉に視線が集まるのだが、昨日散々虚言を弄して連中の結束にヒビを入れ続けたおかげか、今日は囲まれたりはしなかった。


 奥宮さんのおかげで家は落ち着いたし、奥宮さんをダシにしたおかげで学校も平穏そのもの。

 いやはや、これはもう奥宮さんには頭が上がらないぜ。

 そうしてしばらく平和に過ごし、事態が動いたのはそこから二週間後のことだった。

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