第2話 測定不能

 探索者管理機構――EMB本部は、東群市の中心にある。

 ガラス張りの高層建築で、ダンジョンが出現する以前は、ただの行政ビルだったらしい。


 久瀬アラタは、その一室にいた。


「改めて、時間を取っていただいてありがとうございます」


 向かいの席に座る柊カナエが、丁寧に頭を下げる。

 彼女の声は落ち着いていて、感情が表に出にくい。


「用件はわかってます」

「助かります」


 机の中央には、黒い箱状の装置が置かれていた。

 最新式の魔力測定器だ。


「こちらは、通常の測定器とは仕組みが違います」

「……また壊れますか」


 率直な問いに、柊は一瞬だけ言葉に詰まった。


「可能性は、あります」


 アラタはため息をつき、椅子から立ち上がる。


「それでもやるなら、どうぞ」



 測定は簡単だった。

 装置の上に、手をかざすだけ。


 アラタが指示通りにすると、装置が低い音を立てて起動する。

 画面に数値が流れ始めた。


「……これは」


 柊の声が、わずかに揺れた。


 数値が、跳ね上がっている。

 通常なら、Bランクで数百。Aランクで数千。


 だが――。


「……止まりませんね」


 アラタが言うと同時に、画面が白く染まった。

 警告音が鳴り、装置が強制停止する。


 焦げた匂いが、部屋に広がった。


「……やはり、か」


 アラタは手を下ろした。

 予想通りだ。


 柊は黙って装置を見つめている。

 やがて、静かに言った。


「魔力値、測定不能。記録更新不可」

「いつも通りです」


 そう言って、アラタは座り直した。


 柊は視線を上げ、彼をまっすぐに見る。


「久瀬さん。これは、異常です」

「そうでしょうね」


 感情のこもらない返答。

 それが、余計に彼女を戸惑わせた。


「なぜ、そんなに落ち着いていられるんですか」

「慣れてますから」


 それは嘘ではなかった。



 柊は深く息を吸い、言葉を選ぶように続けた。


「スキルについても、未登録のままです」

「覚えがないので」


 事実だ。

 この世界で、彼はスキルを得た記憶がない。


 ――代わりに、経験がある。


 剣を振るった回数。

 命のやり取りをした数。


 それらは、数値にはならない。


「久瀬さんは……ダンジョンが出現する前から、戦いに慣れていたように見えます」


 柊の言葉に、アラタは目を伏せた。


 記憶が、勝手に浮かび上がる。


 石畳の城。

 血に濡れた剣。

 仲間だった者たちの、最後の背中。


 ――やめろ。


 ここは、現代だ。


「気のせいです」

「……そうですか」


 柊はそれ以上、踏み込まなかった。

 だが、疑念が消えたわけではない。



 建物を出ると、昼下がりの風が頬を打った。

 アラタは歩きながら、無意識に右手を握る。


 剣を持つ感覚が、まだ残っている。


 ――魔王城。


 不意に、はっきりとした光景がよみがえった。


 巨大な玉座。

 黒い魔力の奔流。

 目の前に立つ、魔王。


 あの時、自分は何を思っていた?


 ――終わらせなければ。


 それだけだった。


 恐怖も、迷いもなかった。

 ただ、役目を果たすために剣を振るった。


「……戻るな」


 アラタは立ち止まり、頭を振った。


 あれは、終わった話だ。

 今の自分は、勇者ではない。



 帰宅すると、ミオがソファで本を読んでいた。


「おかえり」

「ただいま」


 いつも通りのやり取り。

 だが、ミオはすぐに気づいた。


「……なんか、疲れてる?」

「少しだけ」


 嘘ではない。

 体ではなく、頭が。


「無理しないでね」

「してない」


 そう答えると、ミオは少し困った顔で笑った。


「それ、信用できないんだよなぁ」


 アラタは返す言葉が見つからず、視線を逸らした。


 妹は、何も知らない。

 だが、何かを感じ取っている。


 それが、怖かった。



 その夜、アラタは夢を見た。


 異世界の夜空。

 焚き火の前で、仲間たちが笑っている。


 もう、いない人たちだ。


 目が覚めると、額に汗がにじんでいた。


「……過去は、終わったはずだ」


 だが、現実がそれを許さない。


 魔力測定不能。

 スキル不明。

 異常な戦闘感覚。


 すべてが、過去とつながっている。


 ――それでも。


 アラタは布団から起き上がり、窓の外を見る。

 東群市の夜景が、静かに広がっていた。


 この世界で、守りたいものがある。


 それだけは、確かだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る