第2話 触っていいですか、と聞かれる距離

■ 午後のカフェ三狐


 昼下がり。

 窓際の席に、陽が落ちている。


 ヤコは、カウンターの内側。

 エプロン姿。

 耳も、尻尾も、そのまま。


「ヤコちゃーん」


 ミユが、いつもの席に座る。


「……来たな」


「来ました」


 当然のように。


「今日、耳……元気ですね」


「元気とは何じゃ」


「ぴーんってしてます」


「機嫌は、悪くない」


 尻尾が、ゆらりと揺れた。


■ 境界線


 隣の席。

 初めて見る客。

 大学生くらいの女性。


 ちら、と視線が伸びる。

 すぐに、引っ込む。


 ――一拍。


「あの」


 声が、かかる。


「……はい」


 ヤコは、視線を向ける。


「触って……いいですか?」


 言葉は、丁寧だった。


 ミユが、ぴくっと反応する。


 店内が、少し静まる。


「……だめじゃ」


 即答。


「あ、すみません!」


 女性は、慌てて頭を下げる。


「嫌だったら、全然……!」


「嫌、ではない」


「え?」


「“触られる前提”が、好きではないだけじゃ」


 間。

 女性は、考える。


「……じゃあ」


「うむ」


「どういう時なら、いいんですか」


 ヤコは、少し考えた。


■ ヤコの答え


「……妾はな」


 カウンターに、肘をつく。


「“触る”より先に、“話す”のが好きじゃ」


「話す……」


「妾の名前を呼ぶ」


「……ヤコさん」


「うむ」


「今、機嫌はどうか聞く」


「普通じゃ」


「今日は、忙しいですか」


「まあまあじゃ」


 ミユが、口を挟む。


「今の、模範解答です」


「えっ」


「合格ライン」


 ヤコは、頷く。


「それからじゃ」


「……それから?」


「それから、“触っていいか”を聞く」


 女性は、目を丸くする。


「……距離、あるんですね」


「ある」


 はっきりと。


「それが、妾じゃ」


■ ミユ


「私もね」


 ミユが、言う。


「最初は、“可愛い!”しか言ってなかった」


「覚えておる」


「……すみません」


「今は?」


「名前で呼ぶ」


「うむ」


「嫌な日は、触らない」


「うむ」


「……あと」


 ミユは、少し照れる。


「触らなくても、一緒にいられる」


 ヤコは、耳を揺らす。


「それで、よい」


■ すれ違い


 別の客が、会話を聞いていた。


「……面倒だな」


 小さな声。


 祐介が、視線を向ける。

 ヤコは、止める。


「よい」


「……でも」


「“面倒”は、“考えた証”じゃ」


 祐介は、黙る。


 ヤコは、その客を見る。


「触られぬ妾は、

 不便か?」


「……いや」


 少し考えて。


「……分からない」


「それで、十分じゃ」


■ 少し近づく


 先ほどの女性。


「……もう一回、いいですか」


「うむ」


「ヤコさん」


「何じゃ」


「今日は……触っても?」


 ヤコは、ミユを見る。


 ミユは、肩をすくめる。


「……一瞬だけじゃ」


「はい!」


 そっと。

 指先が、耳に触れる。


 一秒。


「……ありがとうございます」


「うむ」


 女性は、少し泣きそうだった。


■ 余韻


 夕方。

 店の外。


「今日、よく話したな」


 祐介が言う。


「うむ」


「疲れた?」


「少し」


「でも」


「……嫌ではない」


 ヤコは、空を見る。


「距離を、測ってもらえた」


 耳が、ゆっくり揺れる。


「それは、触られるより、悪くない」


(第2話・終)


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キツネ耳彼女と、その後の街 〜共存を選んだ町の、静かな現実〜 狐日和 @yako_project

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