第8話 癒しが変えた世界

 季節が、ひとつ巡った。


 王都エルグラートの街並みは、以前と同じように白く、同じように人で溢れている。だが、確かに変わったものがあった。


 「最近、戦が減ったらしい」

 「癒しの聖女の噂だろ」


 人々は、そう言って肩をすくめる。


 それは奇跡の話ではない。


 剣が折れたとか、魔王が倒れたとか、そういう物語ではなかった。


 ただ、人が立ち止まるようになったのだ。


 傷ついたとき、

 戦う前に、

 問い直すようになった。


 ――それでも、剣を取る意味があるのか、と。


 王都の外れ、小さな診療小屋で、セラは今日も人を迎えていた。


 看板はない。


 聖女を名乗ることもない。


 「こんにちは」


 それだけで、十分だった。


 重い病を抱えた者もいれば、心を壊しかけた者もいる。


 セラは、選ばない。


 ただ、戦うために来た者だけは、静かに断った。


 「生きるためなら、癒します」


 その言葉は、噂となり、やがて“約束”になった。


 神殿は、彼女を公式に認めることはなかった。


 だが、否定もしなくなった。


 秩序は、力で縛るだけのものではないと、彼らも学び始めたのだ。


 ある日、セラは一通の書簡を受け取った。


 差出人は、ルドヴィア司教。


 短い文だった。


 ――あなたのやり方は、危うい。

 ――だが、確かに人を救っている。


 それだけで、十分だった。


 夕暮れ時、レインが小屋の前で剣を手入れしていた。


 「世界は、変わったか?」


 彼の問いに、セラは少し考えた。


 「……全部は、変わっていません」


 争いは、まだある。

 悲しみも、消えない。


 「でも」


 彼女は、柔らかく笑った。


 「癒せばいい、とは思われなくなりました」


 それは、大きな変化だった。


 人は、他人の命を、誰かの力に預けすぎていたのだ。


 セラは、その手を取り戻しただけだった。


 夜。


 星空の下で、彼女はふと思い出す。


 かつての世界。


 間に合わなかった後悔。


 それでも、ここでは違う。


 「……今度は、ちゃんと届いてる」


 その言葉は、誰に聞かせるでもなく、空に溶けた。


 癒しは、世界を救わなかった。


 けれど――


 世界が、どう生きるかを選び直すきっかけにはなった。


 それで、十分だった。


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癒しの聖女は、剣を持たない 塩塚 和人 @shiotsuka_kazuto123

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