第5話 癒しが招く歪み
王都の空気は、わずかに変わっていた。
セラが“聖女として留まらない”と答えてから、数日。街は以前と変わらず賑わっているように見える。だが、その奥には、目に見えない緊張が張りつめていた。
「癒してもらえなかったらしい」
「順番待ちだって言われた」
石畳の端で交わされる小声が、耳に刺さる。
セラはフードを深くかぶり、簡素な治療所の一角に立っていた。神殿の外。あくまで“個人”として、人を癒す場所だ。
「次の方、どうぞ」
声は、いつも通り穏やかに保った。
だが、全員を救えるわけではない。
この日、彼女の前に現れたのは、足を引きずる壮年の男だった。古い戦傷が化膿し、歩くたびに苦悶の表情を浮かべている。
「お願いします……今日中に、仕事に戻らなきゃ……」
触れれば、治せる。
それは、わかっている。
だが、その背後には、すでに十数人が並んでいた。重症者も、子どももいる。
――選ばない。
そう決めたはずなのに、現実はそれを許さない。
セラは、ゆっくりと息を吸った。
「……今日は、ここまでです」
男の目が、大きく見開かれる。
「な、なんで……」
言葉が、喉につかえたまま、男は立ち尽くした。
その夜。
王都の裏路地で、小さな騒ぎが起きた。
癒されなかった者が、癒された者を責めたのだ。
「なんで、あいつだけ!」
「順番だって、言ってただろ!」
拳が飛び、悲鳴が上がる。
セラが駆けつけたときには、すでに血が流れていた。
「やめてください!」
声を張り上げる。
だが、その瞬間――
「だったら、全員癒せよ!」
誰かの叫びが、刃のように突き刺さった。
全員。
その言葉が、胸をえぐる。
治せるのに、治さない。
優しさが、罪になる瞬間だった。
「……ごめんなさい」
セラは、震える声でそう言った。
その場にいた全員を、癒した。
骨折も、裂傷も、怒りで荒れていた心さえも。
静寂が、路地に落ちた。
その翌日。
神殿から、正式な通達が出た。
“無秩序な癒し行為は、王都の治安を乱す”
遠回しな言葉だが、意味は明白だった。
セラは、レインの前でうつむいた。
「……私、間違ってますか?」
「いや」
レインは即答した。
「だが、世界の方が、まだ追いついていない」
その言葉は、慰めではなかった。
現実だった。
セラは、初めて理解する。
癒す力は、救いであると同時に、
人の欲と恐れを、はっきりと映し出す鏡なのだと。
そして――
この歪みは、もう戻らない。
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