第3話 聖女と呼ばれて

 ノーウェン村を出る朝、霧が立ち込めていた。


 「すぐ戻れますよね……?」


 そう口にしながら、セラは自分でもその言葉を信じ切れていないことを悟っていた。


 「保証はできない」


 隣で手綱を握るレインは、正直にそう答えた。


 王都からの正式な招集。拒否権は、事実上なかった。


 馬車はゆっくりと村を離れ、土の道を進む。振り返ると、見慣れた家々が霧の向こうに溶けていった。


 ――置いていく、わけじゃない。


 自分に言い聞かせるように、セラは胸の前で手を組んだ。


 数日後、視界が一気に開けた。


 高い城壁。白い石畳。空に向かって伸びる尖塔。


 「……大きい」


 思わず、声が漏れる。


 「エルグラート王都だ。大陸で一番、人と力が集まる場所だ」


 門をくぐった瞬間、空気が変わった。


 視線が、刺さる。


 興味、警戒、期待――そして、祈るような目。


 「見て……あの子が」

 「本当に、あの聖女?」


 胸が苦しくなる。


 「私は……ただの人です」


 誰に届くわけでもない言葉を、セラは小さくつぶやいた。


 案内されたのは、王都中央にそびえる白亜の神殿だった。


 中は静かで、空気が張りつめている。


 「ようこそ」


 奥から現れたのは、年配の女性だった。背筋は伸び、柔らかな笑みを浮かべている。


 「私はルドヴィア。神殿を預かる者です」


 その声音は穏やかだったが、目は鋭かった。


 「あなたの“癒し”は、神の奇跡としか言いようがありません」


 「……違います」


 セラは、はっきりと首を振った。


 「私は、神様じゃありません。ただ……治ってほしいと願っただけです」


 一瞬、空気が止まる。


 やがてルドヴィアは、ゆっくりとうなずいた。


 「だからこそ、聖女と呼ばれるのです」


 その言葉に、セラは言い返せなかった。


 その後、形式的な“確認”が行われた。


 病を抱えた者、古傷に苦しむ兵士、声を失った少女。


 セラは一人ひとりに向き合い、手を取り、祈るように癒した。


 奇跡は、何度も起きた。


 拍手はなかった。ただ、深い沈黙と、抑えきれない畏敬が残った。


 儀式が終わったあと、セラは静かな部屋に通された。


 「ここで休んでください。あなたは……国の宝ですから」


 その言葉に、胸が冷えた。


 ――宝。


 人ではなく。


 夜。


 窓の外で、王都の灯りが瞬いている。


 「……レインさん」


 部屋の外に立つ気配に、声をかけた。


 「俺は、君の剣だ」


 短い答え。


 セラは、少しだけ笑った。


 「私は……誰かの道具には、なりたくありません」


 しばらくの沈黙のあと、レインは低く言った。


 「なら、守る」


 その言葉は、誓いのようだった。


 その夜、王都では噂が駆け巡る。


 ――本物の聖女が現れた。


 そして同時に、


 ――その力を、どう使うべきか。


 セラはまだ知らない。


 “呼ばれた”瞬間から、逃げ場はなくなっていることを。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る