第02話 馬鹿に付ける薬


「おにーちゃんおにーちゃんおにーちゃん、おにーちゃーーーん!」


 ある日、ポーションの納品から家に帰ると、フーリが扉を勢いよく開けてパタパタと駆け寄ってきた。

 勢いよく胸に飛び込んできたフーリを受け止め、その頭を撫でる。


「ただいまフーリ。どうした?」


「おかえりおにーちゃん! あのね、これみて、これ!」


 フーリは俺の眼前に、ボロボロになった紙を突き付けてきた。


「ごめん、フーリ。もうちょっと離れて。せめて目が焦点を結べる距離じゃないと見えない」


「昇天?」


 ポカンと間抜け面をさらすフーリを引きはがし、突き出された紙に目を通す。


「えーっと、伝説の秘薬?」


「そう! でんせつのひやく!」


 俺が全部読み終わる前にフーリはその紙を抱いてクルクルと回りだした。よほど機嫌が良いようだ。


「今日ね! 冒険者ギルドのお手伝いで倉庫を整理してたらね! ボロボロの本に挟まったこの紙が落ちてきたんだ! 難しくてよくわかんなかったけど、この薬を塗れば賢者になれるんだって! ギルドのお姉さんが言ってた!」


「えーっと、なになに? 『馬鹿に付けるポーション』? 聞いたことない薬だな。材料は……アルハイミテル、伝説の花か。それと世界樹の朝露、エンシェントドラゴンの卵、勇者の御髪、そして魔王の角か。なるほどなるほど。よし、フーリ、よく聞け」


「うん」


「諦めろ」


「ガーン! え、え、なんで!? その薬があればフーリも頭良くなれるんだよ!?」


 これでもかと言うほどショックを受けた顔をしてフーリが詰め寄ってくる。その目じりには涙も浮いていた。


「あのなフーリ。まずはこのアルハイミテルっていう花、調合士の間では有名だけど、生息地はすごく険しい山の奥深くなんだよ。まぁ、採りに行けないこともないけど。世界樹の朝露も、エルフたちと仲良くなれれば貰えるかもしれない。だけどね、ドラゴンの卵と勇者の御髪、魔王の角は流石に無理だ」


「なんで!?」


「勇者は数十年前に召喚されたらしいけど、どこにいるかも分からないし、魔王なんて強すぎて角を奪うなんて不可能だよ。卵もただのドラゴンならまだしも、エンシェントドラゴンなんて、巣に近づいただけで殺されちゃうよ」


「えっと、でも。馬鹿が治るかもしれないんだよ?」


「そんな薬、聞いたことないしなぁ。誰かのいたずらじゃないかな。馬鹿は死なないと治らないっていうし、材料を集める途中で死んで、馬鹿が治るとかそういう落ちなんじゃないかなぁ。だからフーリ、諦めよう」


「せっかく見つけてきたのに……シュン」


 シュン、などと自分の口で言い、耳と尻尾をペタンと下げて落ち込むフーリ。その大きな瞳から大粒の涙がポロリと落ちた。庇護欲を誘うその姿に、悪いことをしている訳でも無いのに胸が痛む。


「こらユージュ! どうしてフーリを虐めているんだ!」


 そんなフーリの声が聞こえたのか、どこからともなく現れた父さんが強い口調で叱ってくる。


「い、いやだって。明らかに眉唾ものでしょこんなの」


「そんなのやってみないと分からないじゃない! あぁ、かわいそうなフーリちゃん。意地悪なお兄ちゃんに虐められたのね……」


 父と同じようにどこからともなく現れた母は、フーリを抱きしめて頭を撫でている。

 この両親はフーリに何かあると本当に急に現れるんだよな……。

 父になぐされめられ、母に頭を撫でられながら、フーリは首を横にフルフルと振った。


「ううん。フーリが馬鹿なのがいけないだけ。おにーちゃんは悪くないの……」


「あぁ、なんて健気で良い子なの……ユージュ! お兄ちゃんなんだから妹には優しくしなさい!」


「そうだぞユージュ! お兄ちゃんはな、妹の望みを叶えるために存在しているんだぞ!」


 俺の存在理由、そんなんなの?


「フーリちゃん。確かにあなたはあまり頭が良くないかも知れないわ。でも、それでも良いのよ。だってこんなにかわいいんだもの。そのままのフーリちゃんで良いの。世界で一番かわいい、私の自慢の娘だわ」


「そうだぞフーリ。お前は少しだけ頭が弱いが、それを補う良いところが沢山あるんだ。いや、良いところなんて無くったっていい。ただ生きていればそれだけでいいんだ。だから、何も気にしなくていいんだぞ」


 父さん、母さん。娘に甘すぎではありませんか?

 フーリは慰められながら目元をグイと拭い。もう一度首を横に振った。


「ううん、少しじゃない。フーリはすごく頭が悪いの。分かってる。だから、頭が良くなりたい。早く冒険者試験に合格して、沢山クエストも達成して、お父さんお母さんにいっぱいお礼するんだ! フーリのことかわいがってくれる大好きなお父さんとお母さんだもん!」


 フーリは涙を流して赤くなった瞳でまっすぐに父と母を見ると、一度ずつ強く抱きしめた。

 そんなフーリのいじらしい姿に、目を見開きワナワナと震えだす父さんと母さん。しばらくすると二人の目から滂沱の涙が流れだした。


「フーリ、フーリ! お前はなんて優しくて良い子なんだ! 父さんは世界で一番の幸せ者だ!」


「いいえ父さん、世界で一番の幸せ者は私よ! だってこんなに優しくて素晴らしい娘がいるのだもの!」


 こんなに常識人である息子がいることも少しは誇ってくださいよ。

 感動の抱擁を終えた後、父が俺の方につかつかと歩いてきて、俺の肩を掴んで口を開く。


「よし、ユージュ。お前はこの紙に書かれている材料を集めてきて、伝説の秘薬を作りなさい」


「父さん!?」


 何言ってんの!? 無理無理無理、絶対無理だって!


「世界で一番かわいい妹の頼みだもの。ユージュ、出来るわよね?」


「母さんまで!? ちょ、ちょっと落ち着いてよ。ここに出てくる材料、全部伝説級の合成材料なんだけど!? それに俺の腕じゃそんな薬の調合できないし!」


「素材は頑張って集めればいいだろう」


「腕は頑張ってあげればいいじゃない」


 こ、この両親は……まるで晩飯のリクエストをするかの如く言ってきやがって……。


「さあ、フーリちゃん。薬はお兄ちゃんに任せておうちでゆっくりしていましょう」


 呆然と立ち尽くす俺を無視して、母さんがフーリの肩を抱いて家の中に入ろうとする。しかし、フーリはその場を動かなかった。


「フーリちゃん?」

 

「……フーリもおにーちゃんと一緒に行く」


「ふ、フーリ? 何を言っているんだい?」


 フーリの言葉に父さんと母さんが戸惑う。


「だって、これはフーリの為のものだもん。頭の良いおにーちゃんには必要ない薬だから。だからおうちで待ってるなんてできない。フーリも、おにーちゃんと一緒に行く!」


「いや、俺は行くなんて一言も……」


「よく言ったフーリ!」


「よく言ったわフーリ!」


 俺の言葉は父さんの大声でかき消された。


「フーリがそこまで言うのなら、父さんは止めない。かわいい愛娘の決意を止めることなど、出来るはずがない」


「ええ、そうよ。かわいい娘には旅をさせよと言うもの。私も身を引き裂かれるほどつらいけれど、フーリちゃんの旅立ちを見送らせてもらうわ」


 父さんは男泣きし、母さんはハンカチを涙で濡らす。


「いや、だから俺は……」


「ユージュ」


 俺の声はまたも父さんにかき消された。

 父さんは俺の耳に口を寄せると、低い声で囁く。


「フーリに何かあったら許さんぞ。体を張って、命を張ってでも助けるんだ。分かったな。絶対だぞ」


「……はい」


 かくして、俺とフーリの旅が始まるのであった。

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