第7話:作戦会議「富士を目指す」

第7話:作戦会議「富士を目指す」


大晦日を目前に控えた夜。古民家の広間には、場違いなほどに研ぎ澄まされた緊張感が漂っていた。


集まったのは、かつて「メデューサ」の名の下に夜を統べていた男たちだ。竜二、ケンタ、ヒロシ。彼らは油の匂いや日々の疲れを纏いながらも、どこか落ち着かない様子で畳に座している。その視線の先には、阿久津がホワイトボードに掲げた、あまりにも緻密な「作戦図」があった。


「……おい、神宮寺。これ、本当に暴走のルートマップか? 官公庁の視察資料の間違いじゃねえのか」


竜二が呆れたように声を漏らした。配布された資料の表紙には、重厚なフォントで『令和八年 新春共同参拝移動計画書』と記されている。


「阿久津、説明しろ」


俺はアルマーニの腕まくりを直し、小紋柄のタイを指先で整えた。


「承知いたしました」 阿久津は、弁護士が法廷に立つような厳格な所作で指示棒を執った。 「本計画の核心は『完全合法』にあります。ルートは中央自動車道、大月ジャンクションを経て富士吉田線へ。全行程において、法定速度からマイナス五キロを維持します。車間距離は、路面が乾燥している場合でも、警視庁が推奨する以上の余裕を保持。……そして、ここが重要です。PA(パーキングエリア)での休憩時には、各自トングとゴミ袋を持参し、周囲の清掃活動を行っていただきます」


「清掃……!? ゴミ拾いかよ!」 ケンタが声を裏返らせた。


「そうだ、ケンタ」 俺は立ち上がり、彼らの目を順に射抜いた。 「かつての俺たちは、ゴミを撒き散らし、騒音を撒き散らし、存在そのものが社会の不快感だった。だが、今の俺たちを見ろ。五億の資産、完璧な整備、そして洗練されたマナー。……いいか、令和の悪役令息の暴走とは、警察が『止めてください』と泣いて頼んでも、法的に一ミリの非も打てないほどに、完璧な善行を積み上げることだ」


「坊ちゃんのおっしゃる通りです」 阿久津が補足する。 「もし警察車両が追走してきた場合、それは我々の『護衛』と見なします。彼らが停止を求めてくる法的根拠を、我々は一つずつ潰してきました。定員遵守は当然。ハコスカの後部座席に無理やり詰め込むような真似は、シートベルト装着義務違反に当たります。一人でもベルトを忘れた瞬間、その者は破門です」


広間に沈黙が流れた。 かつての不良たちが、これほどまでに「正しさ」に怯える光景を、誰が想像しただろうか。だが、彼らの瞳の奥には、奇妙な高揚感が宿り始めていた。


「……面白いじゃねえか」 竜二が口角を上げた。 「日本一静かで、日本一礼儀正しい暴走族。警察が手出しできねえ横を、ゴミ一つ残さず走り抜ける。……最高にロックだぜ、神宮寺」


「よし。各員、愛車の整備状況を最終確認しろ。ウインカーの点滅回数まで法規通りか? リーガルの輝きに曇りはないか?」


「了解です、ヘッド!」


「ヘッドはやめろと言った。……これからは、俺たちは『表現者』だ」


俺は窓を開けた。冷たい夜気が、熱を帯びた広間を浄化していく。 遠くで、富士の裾野に続く道が闇の中に静まり返っている。


「阿久津。ビットコインの乱高下はどうなった」


「現在は安定。嵐の前の静けさでございますね」


「そうか。ならば、俺たちも嵐のように、それでいて春のそよ風のように、あの山を目指すとしよう」


俺はピンホールのシャツを指で弾き、幾何学の規律を胸に刻んだ。 ゴミ拾い。車間距離。定員遵守。 世間が「当たり前」と見なすその行為を、究極の美学にまで高めた時、俺たちは初めて、過去の自分たちを追い越せるのだ。


大晦日の夜が、すぐそこまで迫っていた。


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