其の六

其の六



この10日後…。

夕闇迫る酉の刻ちょっと前に、お小夜の娘、りんは母のお小夜とともに、神社のお堂の中にいた。


「ええかい、りん…。今日は、お前が火の神さんに早く大地を静かにしてくださいと願う役なんよ。酉の刻を告げる叩き音が聞こえたら、この、煎じ茶をお飲み。すぐに眠くなるから、ここにある布を被って寝てしまいなさい。そうすれば、暗くても大丈夫じゃろ?」


お小夜はお堂の床にちょこんと正座して、母の言いつけをまん丸にした目で時折頷きながら、しっかりと聞いていた。


「えらい子じゃねえ、りんは…。この双子谷は、こうして、村人が順繰りに大地を納める火の神さんへ祈祷するんや。ええかい、こうした祈りはね、この国の真ん中で暮らしてきた双子谷のもんが背負った定めなんよ。その定めを全うすることで、大地は火の神さんの怒りを鎮めて、そんお陰で、ながっぽそいこの国がちぎれないでいられるんよ」


「うん…。あたいらは、切れ目の上で暮らしてるから、大地にお願いする役目をもらって生まれてきたんよね?だから、りんはさみしくて怖いけど、こん役目はやるよ、かあちゃん…」


「うっ、うっ…、なんとえらい子やねえ、りんは…」


お小夜は嗚咽しながら、我が子を抱きしめ、長命散しの煎じ粉という毒薬を含ませた茶が汲まれた椀をりんのひざ元に置いた。


だが、この母娘のやり取りをお堂の外で立ち聞きしている者がいた…。

それは年端もいかぬ男の子であった。


***


お小夜は断腸の思いで我が娘をうす暗くなったお堂の中へ残し、走り去った。

両の手で涙が湧き落ちる目元を覆って…。


そして間もなく酉の刻入りを知らせる、竹落としの地叩き音が響くという段になって…、りんが一人っきりのお堂の中へと、立ち聞きしていた男の子が入って行った。


「りんちゃん…」


「あっ!三次郎ちゃん…?」


「ああ…」


三次郎はりんより3歳年長の、その年7歳を迎える栄六の長男だった。

村長の右腕的存在の栄六は、三次郎が生まれてすぐに妻を亡くしていた。

すなわち、三次郎は母親の顔を知らずに育ったのだったが、父の栄六は幼いうちから我が子にこう諭してきた。


”三次郎の母さんはな、大地にお前を産み落とすことで大地に帰ったんじゃ。大地を納める大神さんと交わした定めに従って…。お前はそのことを定めとして、この双子谷で生きていかんとな…”


もうすぐ7歳になる三次郎には、特異な死生観を代々伝承させてきた双子谷に生まれたことで、物心ついてより自分の”さだめ”ということに日々正視できていたのかもしれない…。


***


「…もうすぐ、酉の刻の落とし音があるから、ここはすぐ真っ暗になるけんね。まだ小っちゃいりんちゃんは、闇にさらわれちゃうよ。ここはおいらが朝まで一緒におるけん…。りんちゃんを守ってやる!」


「三次郎ちゃん…、あたいと一緒にお堂の中にいてくれるの?」


「うん!だから、その煎じ茶は飲まなくていいよ。おいらの膝の上で眠っちまえば済むさ」


「ありがとう、三次郎ちゃん!」


りんはにっこりと笑って、胡坐をかいて座った三次郎のもとへすたすたと駆けて行くと、頭を三次郎の膝に乗っけて横になった。

すると、酉の刻入りを知らせる落とし音が響く前に、りんはそのまま寝息を立てて眠った。


そんな可愛いりんの寝顔に目を落とし、三次郎は囁くようにこうつぶやいた。


「こんな幼いうちに、村長の家の子だからって、火の神さんに遣わせるのは不憫や。おいらはこのりんちゃんより、3年も余分にここで暮らせた。だから、大地に還るのはおいらでいい…」


しばらくして酉の刻入りの落とし音がお堂の中に届くと、りんの母親が置いて行った煎じ茶を口に含んだ。

やがて三次郎は静かに床に崩れ落ち、そのまま息を引き取る…。


***


翌朝早く…、お小夜夫妻がお堂の扉を開けて中に入ると、まだ眠っているりんを抱きかかえるように、三次郎が土色になって床に倒れていた…。


ことの次第をすぐに呑み込めなかったりんの両親は、思わずその場にへたれ込んで泣き叫んだ。

すると、そこへ三次郎の父親、栄六が勢い良く、堂の中へ飛び込んできた。


「栄六!これは、どういうこった⁉」


「お二人とも、これを読みやんせ。三次郎はりんの身代わりを買って出よったんじゃ。三つも幼いおなごを火の神さんに捧げるのはかわいそうだと…」


「じゃあ、三次郎は…」


「その顔色、見やんな。もう息をしてはおらん。おそらく、長命散しを混ぜ込んだその茶は三次郎が飲み干したのじゃろ…。ふう…」


「う~っ…、はあ~~、あれ?お父ちゃんとお母ちゃん…、もう迎えに来てくれたの…?あっ、そうだ。きのう、酉の刻のまえに三次郎ちゃんが来てくれて…」


この時、りんの両親と栄六は大粒の涙をこぼしながら、りんにやさしい目線を送っていた。

そして、その場では”よく頑張ったわね、りん…。でも、三次郎ちゃんが守ってくれたんやからね。そのこと、ずっと、忘れんでね”とだけをりんに告げ、3人の大人はそれぞれの子を抱き連れて、お堂を出た…。


その日から10日ほど経つと、双子谷を貫くI側に沿った山々から噴煙はとたんと止み、全国各地の噴火も次第に鎮静していった。


双子谷の領主は、三次郎という7歳の幼き男児が、年少である村長の孫娘りんの身代わりで火の神に一命を捧げたことで、日の本の国を創造した火の神の怒りは収まったと信じ、K藩を通じてその旨は徳川幕府に届けられた。


ことの経緯にいたく感心した時の将軍家○は、国を真っ二つに引き裂く火の神の怒りを鎮めた尊い信心の行いとして、双子谷へは長く年貢奉納の免除と特産品の高価買取りという恩賞を給わせた。


しかし…、その代償として、数十年に一度という天災地変が勃発すると、その鎮静の手立てとして、双子谷集落には、火の神を鎮める幼な子を生贄に差し出す命が下された。


そしてそのたび、順番が廻ってきた家の幼な子は、年長の子が身代わりを買って出て、その一命を大地に返礼するのだった…。


自己犠牲というには余りにも割り切りがたい、意識を超えた定めへの殉死心は、世間的には理解しがたい親子間の感情をも超越した特異極まる敢行と映っただろう。


荒ぶる大地の造り成した日の本の国の中心が裂ける火の神を鎮めてきた双子谷の幾多の幼い子供たちは、後の世に、”閉じ子”として厚く祭られ、現在のフォッサマグナ北端西麓の集落では、”閉じ子の伝説”として今も子々孫々へ語り継がれている…。





ー完ー





注釈:本話は完全なフィクションです。





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