其の参

其の参




双子谷の長は、5歳未満の子供を除く村人全員に領主から伝令された幕府の命を明かした上で、皆から意見を求めた。


その場では喧々諤々の議論が噴出したが、結局は幕府の命に背くわけにはいかない…。

行き着く結論は、ここに尽きた。


村長は悩んだ末、これ以上ない程の深く短いしわを何筋も茶けた眉間に刻ませ、「…ならば、老い先短いご老体に、火の神への献身を担ってもらうしかなかろう」と、具体的な生贄候補に言及した。


すると、この村では若頭的若者、稲照しの彦三が村長にこう問い質した…。


***


「では、村長はこの集落の誰を”生贄”にすると言うんでっか?」


屈強そのものの武骨なその若者は、誰もが抱いている疑問を真正面から集落の長に尋ねぶつけた。


それを受けた村長は、大きくため息をついた後、苦渋の表情を浮かべながらこう答えるのだった。


「…ここは、葉擦れの丘のお刃根さんに担ってもらうのが妥当だろうと思う」


「うむ…、さすがは村長の目利きじゃ。お刃根さんは長く胸を患い、この春には諏訪からこの類の病では名医と誉れ高い安納せんせが見治めてくださったが、さじを投げた。然るに、老いらくのお刃根さんはもう寿命だと断じたんだ。…それならば、余命いくばくのお刃根婆さんにはこの集落を存続させるため、率先してもらったらええ」


この時点で、集落を引っ張る立場を自負していた体躯の眩しい彦三といは、お刃根婆さんの息子へ目線を向け、一気に決断を迫った。


ここで村長の助役的存在にあった、栄六が口を開く。


***


「…どうだろうか、五郎太よう。お前も手元の財を空にしてまで、諏訪からその筋の名医を呼んで、おふくろさんの病の床には手を尽くしたんだ。…その安納せんせは、はっきり寿命だと診断した。もう、おめえの心想いはおふくろさんへも届いただろう」


「…お刃根さんはよう…、この集落にはずっと力を注いでくれてたんだ。その最期となれば、日の本の国を折らせてなるものかと祈祷し続けてきた我が里の当該祈念を成就させんとする思いやないか?それはよう…、双子谷の衆が寄せる今実情の想いってことでもあるやろ?」


ここで皆は、互いの目を貪るように見合った。


人は人に下駄を履かせる…。


善人の溢れる飛騨山脈の麓で必死なる生計の途を長く踏んできた双子谷集落の老若男女は、一応に自己の持ち得る善意というカガミに踏み絵という道案内を余儀なくされていた…。

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