カクヨムの歪み

復活の日

快楽主義化した小説—読者の欲望の集積—

 異世界転生、異能力、そして軽薄なラブコメディ。昨今のカクヨムを形成する主要な小説はこれらであると私は考えている。これらのジャンルに共通する腐敗の兆候は、快楽主義だ。快楽主義的であるといえる最も大きなジャンルは異世界転生である。このジャンルの一部に見受けられるおぞましさ(このような表現を使うことを敢えてお許しいただきたい)に私は慄然とする。そしてそれらを盲目的に評価している読者連の知性をも私は疑った。


 ではなぜ異世界転生の一部の小説が快楽主義的であるといえるのか?察しがつく方はすぐにお分かりになるだろう。ここではっきり筆にするのも憚られることであるが、特に性的逸脱をあたかも良いことのように書き立てる兆候だ。私はしばしば理解に苦しんだ。なぜこのような破廉恥で、文学とはいえぬような代物が評価されるのか?だがよく目を見開いてみれば腐敗の源流にあるのは他ならぬ読者の存在だと私は気付いた。


 はっきり言明すると異世界転生小説というのは我々の欲望の集積なのだ。我々は誰しも退屈極まりない日常に変化をもたらす何かを求めている。二十世紀においてそれは戦争であり、大恐慌であり、階級闘争であり、政治運動であった。だが昨今の日本においては、そのいずれも最早、存在し得ない。この退屈な日常を劇的に変革するものなど何処にもないのだ。それを知った我々は失望し日々を盲目的に過ごしている。そして変わり映えのしない現実に苛立っている。その怒りと不満の捌け口の一部となっているのが文学界でありカクヨムである。


 あああれば良いのに、こうならば面白いのに、という現実では解消できぬ欲求が異世界転生というジャンルを生んだ。そこでは主人公は何不自由なく自己を発揮し、認められ、転生するまで灰色だった日々を変革することができた。そのような作品を読者は求めていたのだ。怒りと不満を解消する玩具として、現実を変えられぬもどかしさに歯噛みする無力者たちの慰めとして、異世界転生は人々から喝采を浴びた。読者の現実逃避の快楽への供犠、それが異世界転生である。これが私が当ジャンルを快楽主義的であると批判する謂れだ。


 では私が望むのは異世界転生に機銃掃射を浴びせかけ尽く殲滅することなのか?と聞かれれば答えは否だ。人間の欲望というものに我々は決して抗えない。故に私がいくらこのように抗議しようとも、事態はまるで改善されないだろう。私は人間の欲望を是認する。だが、所詮は現実逃避の快楽に走っている異世界転生というジャンルを私は真正の文学であるとは決して言わないだろう。読者の欲望に上目遣いで胡麻を擂る文芸が、果たして美しいかどうかと言われれば答えは否だ。

 


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