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執筆活動の開始

若き哲学者気取りの愚人というのが私の二つ名である。私はこれまで専ら読者としてカクヨムを利用してきた。そんな私が密かに痛感していたのが文学の商業化であり堕落であった。読者のレベルに符合したライト小説ばかりが日の目を浴びる事態。理解できぬものは遠ざけられ、流行から外れたものは見向きもされぬという状況は看過しがたい。義憤を感じた私は決意した。啓蒙家にならねばならぬと。

 カクヨムの、そして文学の歪みを正さねばならぬ。ではそのために私に何ができるか?鍵は評論というジャンルにあると私は考えた。評論は日の目を浴びることがないジャンルの典型だ。昨今においても話題に挙がるものは企画絡みのものやAI論ばかりである。だが私は評論にこそ突破口があるのではないか、と考える。物語で人々の蒙を啓くのは限界がある。なぜなら物語は結局、読者を『楽しませること』が目的となっているので、啓蒙という事業には相応しいとは思われないからだ。体系的な論述文章こそ腐敗した文学界に一石を投じる事ができるのではないだろうか?

 私は使命感を感じながら、新たなる一歩を踏み出す。執筆の世界、この大いなる原始の沃野に知性という杖を携えながら私は確固とした足取りで進む。願わくは私の目的が成就されんことを!

                   2025/12/25

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