ほーりーない

香久山 ゆみ

ほーりーない

 こちらに背を向けて、ずっと窓の外を眺めている。

「ねえ」

 呼び掛けたって、ぴくりとも動かない。聞こえないふり。私の機嫌がよくないって分かっているから。

「ねえ」

 返事も愛想もない。

 窓の外はあいにくの空模様で、小雨が降っている。曇天で夜空はいっそう暗い。

 昨夜帰宅した時に、リビングのテーブルの上に置かれていた紙片を、びりびりに破いた。今朝になっても気持ちは晴れず、ろくに挨拶もせずに家を出た。

 だって、仕方ないじゃないか。

 昨日の私は無性にむしゃくしゃしていたのだ。

 年の瀬も迫りようやく病院へかかったところ、忙しさを理由に放置していた不調の原因は副鼻腔炎と判明した。処方された薬をのむと、ひどい眠気に襲われ、さらにお腹が張った。我慢していたけれど、午後のミーティングの最中に「ブッ」と盛大に放屁してしまった。皆、大人なので何事もなかったように会議は進行されたが、いたたまれず消え去りたかった。

 もう本当に最低の誕生日だった。誰からも祝われないだけでも哀れなのに、さらに余計な恥までかいて。一人暮らしの家に帰り着いたところ、テーブルの上に四つ折りされた白い便箋が置かれていた。

 開くと、手書き文字で最初に「きみにおくる」と書かれているのが見えた。改行して、「ひとりぼっちだと泣くきみに、なにを贈ろうか」から始まり、つらつら何行もことばが重ねられている。最終行まで読み飛ばすと、「おたんじょう日、おめでとう」で終わっている。これは、手紙というよりも、……ポエムだ。なんだ、これは。

 無性にいらついて、それをびりびりに破いた。彼は何も言わなかった。

 ちゃんと読まなかった。何が書いてあったのだろう。あとでこっそり拾い集めてテープで修繕しようという気持ちはあったが、ふて寝した翌朝には、紙片はすっかり消えていた。

 一人暮らしの家に手紙が置かれていたことに、なぜか恐怖は感じなかった。感じる余裕もない程疲弊しているのかもしれない。

 イブの前日に当たる、私の誕生日。うちでは毎年クリスマスも兼ねてお祝いしてもらった。「少し早いけれど」と、イブ前日に誕生日とクリスマスを兼ねたちょっと豪華なプレゼントを貰った。

 両親はサンタクロースのふりをするようなロマンチストではなかったけれど、代わりに年の離れた兄がその役を務めていた。

 イブの夜に靴下をぶら下げておけば翌朝にはプレゼントが入っている。家族からはすでに誕生日プレゼントを貰ったはずだから、サンタクロースに違いない。幼い私は純粋にそう信じていた。

 けど、小二の時に同級生からサンタクロースを信じていることを馬鹿にされて、私はその羞恥や怒りを兄にぶつけた。

「お兄ちゃんがサンタのふりしたせいで、うそつきって言われた! ばか! きらい!」

 私の癇癪を兄はやさしく受けとめた。

「僕はね、いつかサンタクロースになるつもりなんだ。だからその練習をしてたんだよ」

 あまりにも平然とそう言うから、私はまたそれを信じたのだった。もう周りには言わなかったけど。

 だから、白い手紙を見た時に、兄を思い出した。

 そんなはずないのに。

 兄の筆跡だと思ったけれど、今となっては自信がない。兄の字を覚えているには、私は幼過ぎた。

「ねえ、ニャンタ」

 バラエティ番組を観ながら、窓際へ声を掛ける。猫は一心に空を見上げたままだ。ニャンタは、すでに兄の生きた年齢を越えた。

 近所の空き地に仔猫が捨てられていた。皆、保護されていったのに、隠れていたのか一匹だけが空き地に取り残されていた。

 私はしょっちゅうその子の所へ遊びに行き、エサをあげた。

 黙って家を出て行く私を、いつも兄が迎えに来てくれた。「ニャンタ」と名前を付けたのも兄だ。私達はその猫を飼いたかったけれど、許しが出なかった。

「こんな小さいのに野良なのは可哀相だ」と兄は言った。

「自分達で面倒を見るって言ったって、あんた達はこれから部活や友達の方が大事になるのよ。そしたら、結局ママが世話をすることになるんだから」と母は言った。

「仔猫は大変だよ。昔、飼っていたことがあるから、詳しいけどさ」と父は言った。

 そう述べた兄も母も父も、もういない。

 クリスマス前に、兄の推薦入試の合格結果が出た。

 そのお祝いに、家族で旅行することになった。

 けど、出発前に私はまた癇癪を起こして、泣き喚いて、挙句熱を出した。皆、家族旅行は諦めようとしたけれど、留守番に祖母が来て私の世話をすると申し出た。運よく人気の宿が取れたのだし、兄が高校に上がれば家族旅行の機会も減るだろうから。そう言って、三人を送り出した。

 しかし、兄も母も父も帰ってこなかった。交通事故だった。

 葬儀を終えて家に帰ると、ひょっこりニャンタが顔を出した。私の様子を見て、祖母はあっさり猫を飼うことを決めた。祖母のアパートでは猫を飼えないため、祖母が越してくる形で新しい生活が始まった。

 私達の家なのに、どうして兄も母も父もいないのか。幼い私は理解できなかった。

 けど、深夜に台所で「どうしてあの時送り出してしまったのか」と独り嗚咽する祖母を見て以来、私は祖母にかなしみを気取らせないよう努めた。

 その祖母も、数年前に亡くなった。

 ニャンタは夜空を見上げる。

 サンタクロースとなり夜空を駆ける兄が、悪天候に困っていないか心配しているのだ。

 イブの夜は忙しいから、だから兄は昨夜のうちに私に手紙をくれたのだ。

「ニャンタ」

 ようやくニャンタが振り返る。

「おいで」とニャンタを抱く。冷えた毛並みが少しでも温かくなるように腕の中に包む。すぐに私よりも高い体温が伝わってきてほっとする。

「おやつだよ」

 兄に倣って、ニャンタにクリスマスプレゼントを贈る。皿にカリカリを入れると、しっぽを振りながら食べに行く。

 ニャンタ、長生きしてね。ひとりにしないでね。

 そう願うけれど、ニャンタも高齢猫だ。耳も遠くなった。カリカリも全部は食べきらずに、皿に少し残ったまま戻ってきた。

「にゃあ」

 私の膝の上にのって、口からポロンと何か出した。カリカリのうちのお気に入り、魚の形をした一粒だ。

 こうして時々私にプレゼントをくれる。ニャンタは兄に似ている。

 家のどこかから手紙を見つけて来たのも、破った紙片を隠したのも、きっとニャンタだ。この家のことなら、いまや兄よりも詳しいだろうから。

 そんな時、私は嬉しくて、そしてぎゅっと苦しくなる。

 きっとニャンタもサンタクロースになる練習をしているのだ。いつかいなくなってしまっても、私がひとりぼっちだと泣かないように、少しでもたくさんの贈り物をしてくれるんだ。そう考えると、かなしくて、淋しくて、心許なくて、泣き叫びたくなる。けど、その代わりにただ温もりを享受する。小さな体を抱きしめ、顔をうずめる。ニャンタは私を慰めるようにおとなしく身をゆだねてくれる。

 いつの間にか雨は止み、夜空には星が浮かんでいる。

 メリークリスマス。サンタクロースもつつがなく皆にプレゼントを届けることができるだろう。

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