第2話 Brute! 何なんだ、ミーヤって

第一章 闇を、垣間見る


 空間が裂けたような鈍い音が響き、無獣の影が大通りを揺らしていた。

 ウィッチーズスペース特有のざらついた空気は、ここが現実の裏側であることを容赦なく肌へ知らせてくる。


「エアリィ、視界取って! 角度は三時方向!」

「わ、分かってる!」


 アーシィの指示が飛んだ瞬間、エアリィは反射的に駆け出していた。

 足運びこそまだ粗く、魔力の流し方もぎこちない。それでも、恐怖に足を縛られていた初回よりはずっとましだ。


 対するアーシィは、風に紛れるような滑らかな軌道で無獣へ接近する。

 彼女だけ空気の密度が違う。戦場に慣れた者の、迷いのない足音。


「来るわよ……!」


 無獣の腕が二本同時に振り下ろされる。

 エアリィは必死に横へ跳んだが、地面が砕けた破片が頬を掠めた。


「うわっ、あぶっ……!」


「慌てない! 呼吸を整えて!」


 アーシィが間に割り込む。

 アルデバランの尻尾が青白く帯電し、彼女の動きに合わせて魔力の風がひらめく。


「イメージを具現化……グノームタウラス!」


 ハンマーが変形し、蒼の光をまとった。

 アーシィはその重さをまるで紙片のように扱い、無獣の懐へ滑り込む。


 ハンマーのヘッドが地面を叩き、振動だけで無獣の脚が揺らいだ。


「っしゃあ! 今度は俺の番だな!」


 エアリィは勢いよく弦を引く。

 だが、矢の軌道はわずかに右へ流れ、無獣の肩に浅く刺さった。


「くっそ、またズレた……!」


「焦ると魔力線が歪むの。落ち着いて!」


 言いながらアーシィは片足で破片を蹴り上げ、無獣の視界を奪う。

 その一瞬で距離を詰めると、ハンマーを横薙ぎに叩き込んだ。

 衝撃が空気を震わせ、無獣がぐらりと傾く。


「アル、ホールド!」

「承認。対象座標を確定……固定化開始」


 光の輪が無獣の周囲を取り巻き、回転しながら球体へ変質する。

 中で無獣は暴れ回るが、動くたびに自らを傷つけていく。


「エアリィ、狙いは一点! さっきのズレを修正して!」


「わ、分かった!」


 エアリィは深く息を吸い、視界を一点だけに絞った。

 余計な気配を切り捨て、指の震えを押さえ込み、ただ弦の感触だけを頼りにする。


「エアリィ スピア!」


 矢がまっすぐ光の球へ吸い込まれた。

 直撃と同時に無獣がけたたましい叫びを上げる。


「いいわ、そのまま……アーシィ クエイク!」


 アーシィのハンマーが空を裂き、バーニアの噴射炎が一瞬だけ渦を作る。

 振り下ろされた衝撃が球体の中心を撃ち抜き、無獣の体が波紋のように歪み、ひび割れが全身へ走る。


 砕け散る光。残されたのは静寂だけ。


「……よっしゃああ! やったぞ!」


「腕は上がってきてるわよ、エアリィ。でも浮かれすぎないの」


「い、いや浮かれてないし!」


 そうは言っても、エアリィの表情を見たら浮かれているのは明白だった。やれやれと肩をすくめてアーシィはエアリィに微笑みかけた。


 その静寂を破るように、黒いローブの影が現れる。

 光の屑の中から、フードを深くかぶったダークウィッチが姿をにじませる。

 口元だけが不気味に歪み、笑っているのか怒っているのか分からない。


「……やれやれ。アタシの無獣、よくも潰してくれたね」


 声音には微かな焦りが混じっている。

 しかし笑みだけは、壊れた玩具のネジ音みたいに湿っていた。


「逃げるな! 正々堂々と戦えっっ!」


「はっ、正々堂々だぁ? 生きるか死ぬかの戦いで何言ってんだか。やっぱり雁奥のお嬢様は平和ボケしてるねぇ」


 細く笑いながらも、その肩がわずかに震えている。

 無獣を失った焦りと、魔法少女二人に同時に狙われた圧が滲む。


「お嬢様なんかじゃ……ねえよっ!」


 エアリィは語尾を噛むように怒鳴り、弓を引き絞った。

 アーシィはその動きにぴたりと合わせ、音もなく背後へ回ってハンマーを構える。


 刹那の連携に、ダークウィッチは舌打ちした。


「降参しなさい!」

「はっ! するかよ……アタシだって死にたくないんでね!」


 不安定な魔力壁がぱん、と膨れ上がり、

 エアリィの矢もアーシィの一撃も、表面でねじ曲げられ弾き返される。


「これ以上は危ないねぇ……ちょっと引かせてもらうよ。次はもっと面白い無獣を連れてくる」


 悔しさを押し込んだ声の裏で、不気味な笑みだけが最後まで消えない。

 ダークウィッチは粒子となり、闇へ溶けるように姿を消した。


 ウィッチーズスペースがほどけ始め、現実の色が戻ってくる。


「ちっ……逃げられた。あと一歩なのに」

「でも確実に追い詰められるようになってる。焦らないで」


 光が弾け、二人は元の姿へ戻る。

 大樹は腕時計を見た瞬間、魂が抜けたような顔をした。


「……うわ、これヤバい! 会議! 会社戻らないと! じゃ、またあとで!」


「ちょっと! まだ説明が──!」


 明日美が呼ぶ声も振り切って、大樹は会社へ全速力で駆けていった。


「……まったく。あっちも逃げ足速いんだから」


 明日美は、いままでいた場所に戻ると、溜息混じりに呟いた。そして何かを探すように、周囲をきょろきょろと見回していた。


 -*-*-*-*-*-


同じ頃、大樹の一人娘、美夜子は学校帰りだった。

友達二人と肩を並べ、楽しげに歩いている。


「…………うん、そうだね。そうしようよ、トモちゃん、アキちゃん」

「じゃ、明後日日曜にスキー旅行の打ち合わせってことで決定ね」

「十時に中央駅北口のカフェ集合」

「うん、分かった。じゃあボク、こっちだから。またねー」

「ばいばーい」

「またねー」


三人が分かれると、美夜子はそのまま鼻歌まじりに歩きだした。


「ふふふ……スキー旅行かぁ。ゲレンデのカレーって、どうしてあんなにおいしいのかなぁ。ラーメンもいいよね。迷っちゃう」

「そうだ、あのペンションの夕食ってフランス料理で有名なんだった。うーん、どれにしよう……名物もあるし……ああもう決められない……」


完全に〝食〟のことしか考えていない様子だ。

パンフレットの料理ページをめくっては、頬が緩む。


「じゅるり」


美夜子はよだれが落ちそうになり、慌てて袖で口元を押さえた。


……その瞬間だった。


「美夜子……美夜子……聞こえるかい? 僕だよ……」


耳をかすめる気配に、美夜子はビクリと立ち止まる。


「え……? 誰?」


周囲を見ても、誰も彼女に声を掛けてはいない。

人通りの多い往来で、皆ただそれぞれの帰路を急ぐだけ。


「美夜子、どこを見ているんだい? 君の足元だよ」


足元にふわりと柔らかいものが触れた。

恐る恐る視線を下げると、そこに──見覚えのあるぬいぐるみがちょこんと座っている。


少し薄汚れた、くまのぬいぐるみ。


「ボクの……くまちゃん……? なんでこんなところに……」


美夜子がそれを抱き上げた途端、

ぬいぐるみのボタンの目が、ぼうっと赤く灯った。


吸い込まれるように美夜子の瞳が揺らぎ、

両腕がくまを抱きしめたまま、ぴたりと動きを止める。


往来のど真ん中で、時間だけが彼女からこぼれ落ちたように。


やがて、美夜子の口元がゆっくり、不自然に歪んだ。


「ふふふ……聞こえているわよ。どうしたの? どこかで悲しみが溢れたの?」


「違うよ。やっと新しい魔法少女が生まれたんだ」


二つの声が、美夜子のものとも他人のものともつかない調子で交錯する。


「へぇ、二人目か。やっと見つけたのね。じゃ、次はワタシが出ていってやろうかしら」


「ちょうどいい。もうすぐ悲しみが溢れそうな人間がいるんだ。明後日の日曜日、盛大に溢れさせてやろうよ」


「ふふ……最近は退屈してたのよ。どんな子かしら。ワタシを楽しませてくれるといいんだけど……もっと気持ちよく――」


くすくすと、小さく狂ったような笑い声。


次の瞬間、美夜子は糸が切れたように眼を閉じ、そのままうつむいた。


ぬいぐるみの目はもう光っていない。

ただ、不揃いな木のボタンがそこにあるだけ。


美夜子はゆっくり瞬きをして、きょとんと首をかしげた。


「あれ……ボク……なんでくまちゃん持ってるんだろ……ま、いっか」


疑問をごく軽く押し流し、愛用のくまのぬいぐるみを抱きしめたまま歩き出した。


通りには、もう何の異変も残っていない。


 -*-*-*-*-*-


「課長、出来上がった資料、ここに置いておきますね」

「ありがとう」


 無獣退治の直後だというのに、何事もなかったように職場で仕事をこなす大樹の姿があった。

 部下から書類を受け取り、机に置いた携帯電話が突然ブルブルと震えた。


「お、LANEか」


 画面を見ると、新着メッセージは〝北島〟の名前。

「北島って……ああ、あいつか? 一体何の用なんだ?」


『今後のことでいろいろ話しておきたいことがあるから、今度の日曜日に中央駅北口のカフェで会えないかしら?』


「日曜日か……えっと、予定は何もなかったよな。問題は……紗英に何て言って出ればいいんだ」


 魔法少女の話をするだけとはいえ、若い女の子と会う約束だ。

 妻に正直に言えるはずもなく、大樹は頭を抱える。


「うーん……仕方ない。嘘をつくことになるが、休日出勤ってことにするか」


 悩んだ末、渋々ながらも明日美の誘いを了承し、返信を打つ。

 悪いことをしているわけではないとはいえ、家族に嘘をつかねばならないことに胸が少し痛んだ。


『わかった。午前十時に中央駅北口のカフェで待ち合わせしよう。それと、俺にLANEするときは女の子言葉やめてくれないか?』


 送信すると、既読と同時に返事が飛んできた。あまりの速さに思わず感心する。


『なんでよ』


『考えてもみろ。俺みたいなおっさんが若い女の子とLANEしてるのを妻や娘に見られたら、家庭が崩壊する』


 ほぼ会話の速度で返ってくる明日美のメッセージ。

 本当に手元で打っているのか疑うほどのスピードだ。


『それもそうだな。わかった。今度からそうするぜ!』


「ぷっ……これが〝男言葉〟か。無理してんなぁ」


 直後、可愛らしいキャラクターが親指を立てる〝グッド〟のスタンプが送られてきた。


 大樹は思わず吹き出した。

 女の子言葉をやめろとは言ったが、語尾に〝ぜ〟を使う男なんて、今まで見たことがない。

 それとこのスタンプ……本当に俺の心配を理解してるのか? と、少しだけ不安になった。


「なんだかな……やっぱりまだ子どもなんだよな」


 肩を落としながらも、どこか微笑ましく感じていた。

 こうして、大樹と明日美は次の日曜日の〝魔法少女レクチャー第二弾〟の約束を取りつけるのだった。



第二章 魔法少女の、ルール


 それから特に大きな問題もなく数日が過ぎ、約束の日曜日がやってきた。


 静かな朝の光がリビングに落ち、大樹は鏡の前でシャツの襟を整えていた。

 休日出勤という〝嘘〟が、胸の奥でじわりと重く沈む。


「ふぁぁぁ……あれー? 今日ってお父さん仕事なのぉー?」


 階段の途中から、眠りの続きみたいな声。

 美夜子がくまのぬいぐるみを抱きしめながら、よろよろと降りてくる。


「あ、ああ。そうなんだよ。参っちゃうよなあ。今日中に資料をまとめないといけなくってさ」


 大樹は少しだけぎこちない笑みで、冷めかけのコーヒーを飲み干す。


「ふーんそうなんだぁ……うみゅぅ……」


 美夜子は返事になっているのかどうか分からない声を出した。


「ちょっと美夜子。まだその〝くまちゃん〟抱っこしたままなの?」


 キッチンで片づけをしていた紗英が、手を休めて振り返る。

 寝ぐせをひとつ結びにし、テキパキ動きながらも、母らしいあたたかさをにじませていた。


「だってー、くまちゃんがないと落ち着かないんだもん」


「はいはい。そこは本当に変わらないわねぇ」


 呆れながらも、声の奥はやさしい。

 長年の相棒であるくまのぬいぐるみを見つめる目には、

 娘の成長と幼さの両方を見守る、母の柔らかさがあった。


 大樹はその横をそっと通り、玄関へ向かう。


「じゃ、行ってくる」


「行ってらっしゃい。気をつけてね」


「いってらっふぁーい……」


 娘の寝ぼけ声に、紗英は小さく笑いながらタオルで手を拭った。


 扉が閉まると、紗英はソファにだらける娘に向き直る。


「ほら。今日お友達と約束があるんでしょ?

 そのままじゃ寝ぐせとくまちゃんセットで集合になるわよ?」


「はーい……ふぁふ……」


「ほんと、朝は弱いんだから。はい、起きる。で、顔を洗う。目が覚めるわよ」


 そう言いながら、紗英は美夜子の頭をやさしく撫でた。


 -*-*-*-*-*-


 何とか言い訳を整えて家を抜けてきたものの、大樹の胸はまだざらついていた。娘と妻に嘘をつき、これから女子……いや、若い魔法少女と話をするために外へ出ている。

 その事実が、真面目な彼には妙にこそばゆく、道中ずっと落ち着かない。


「密会って言ったら密会なんだよな……いやいや、今日は仕事みたいなもんだ。うん、大事な〝魔法少女会議〟だから。疚しい気持ちなんて一欠片も……ない、はず……」


 自分に向けて言い訳のセルフアナウンスを何度も繰り返しながら、大樹は雁奥中央駅北口のカフェに到着した。

 ガラス扉に手をかけると、軽い〝チリン〟のベルの音が店内へ弾けた。大樹には、その軽やかさが妙に皮肉に聞こえる。


「はぁ……行くか」


 覚悟を決めて一歩足を踏み入れると、店の中央の少し目立つ席に明日美が座っていた。デニムのスカートに明るい色のニット。年相応に洒落っ気がある。


「よう、早いな」


「よう……じゃないわよ。なんでスーツなの!?」


「しょうがないだろ。休日出勤って言って家を出てきたんだから」


 ぼやきつつ、中年らしい「よっこいしょ」で向かいに腰を下ろす。


「で、話ってなんだ?」


 おしぼりで顔を拭く大樹に、明日美はあからさまに顔をしかめながらも口を開いた。


「……あなたに、ちゃんと説明してなかったから。あたしたちのこと、敵のこと、全部」


「ほうほう、なるほどな。あ、すみません、ホット一つ」


 注文を終えると、明日美は真剣な目で続きを語りはじめた。


「まず、あたしたちが戦ってるダークウィッチについてだけど」


「ああ、あの怪獣を操るやつか。何度かやったから、少しは流れも分かってきたけど……毎回逃げられて悔しいよなぁ」


「そう。その〝怪獣〟を私たちは無獣って呼んでる。ここまでは知ってるでしょ」


「そう、無獣だ。その無獣は奴らがどこかから捕まえて連れてくるのか? いや、どこかで飼ってたりしてな……はっはっは」


 ふざけながらコーヒーをすする大樹を、明日美は睨んだ。


「ふざけないの。あれはどこかから連れてきてるんじゃない。人の心の〝悲しみ〟が具現化した姿なのよ」


「悲しみ? 世の中悲しみだらけだろ。この前紗英に小遣い減らされてさ──」


「その程度じゃ生まれないの。質も重みも全然違うわ」


 明日美は重く言い切る。その深刻な声色に大樹もようやくおどけるのをやめた。


「深い絶望、やり場のない怒り、無力感……そういう重たい感情が積み重なるとね、人の中で悲しみが飽和するの。その溢れる寸前を、やつら、ダークウィッチは狙うのよ」


 彼女はティーカップを指でなぞりながら続けた。


「悲しみを抱えきれなくなった人間に、ダークウィッチは囁くの」


──君の悲しみの原因はすべてここにある。だから世界を壊せばいい


「ってね」


「……怖い話だな」


「悲しみを逃がせない人は、それで変質するの。溢れた悲しみが形になって、無獣が生まれる。そして同時にウィッチーズスペースが展開される」


「あの不思議な空間か」


「外界を複製した別位相よ。だから少しくらい壊れても外には影響しない。だからあたしたちはそこで戦うの」


 そこまで聞き、大樹は眉をひそめた。


「じゃあ、外の世界に影響がないなら……そのまま気が済むまで暴れさせとけばいいんじゃないか?」


「少しくらい、って言ったでしょ? 中で破壊が進むと〝均衡〟が崩れるのよ」

「……均衡?」

「そうね……ちょっといい?」

 明日美は飲み終えたペットボトルを取り出し、少し押しつぶす。

 ぺコッという小さな音を立てて、また元に戻った。内側に残った水滴が一滴ツーッと流れた。


「空気を少し抜いたくらいじゃ形は変わらない。でも──」


 今度は強く押しつぶし、ぐしゃ、と潰す。


「全部抜けば、こうなる。ウィッチーズスペースも同じ。均衡が崩れると〝ひしゃげて〟、元の空間が抉り取られるの」

 明日美の手の中で、無惨に潰れた透明なペットボトルの向こう側に明日美の顔が歪んで見える。

「こうなったペットボトル、あなた、元に戻せる?」

 明日美は潰れたペットボトルを大樹に渡す。

「いや……無理だな」

「そう、無理なのよ。空間も同じ。ウィッチーズスペースができた空間が潰れてしまったら、外界も元に戻らない」


「……どれくらいの範囲だ?」


「無獣発生地点から半径五から十数キロ。丸ごとよ」


 大樹は息をのんだ。


「抉り取られた空間はどうなる?」


「ダークウィッチが、破壊エネルギーをマイナスの魔力に変換して吸い上げるの。だから時々、世界で起きる大規模災害……あれに影響していることもある。全部じゃないけどね」


 大樹は言葉を失った。 ニュースで聞く災害の裏に、そんな影が潜んでいたとは思いもしなかった。


「無獣を倒せば空間は戻る。でも忘れちゃいけないのが、無獣の元となった〝人〟」


「そう、その無獣の元になったという人だ、無獣を倒したらその人はどうなる?まさか……」

 いつか聞いたダークウィッチの声が頭をよぎる。

 生きるか死ぬかの戦い──あの言葉。


「安心して。倒してるのはその人の悲しみの権化であって本人じゃない。本人は無事よ」

 その一言に、大樹の肩の力がわずかに抜けた。

「だから助けるの」

「助ける?」

「そう。元は普通の人間だから、放っておけない。必ず近くに倒れているからね」


「じゃあ……戦いが終わったあと、毎回お前が……?」


 カップの縁に視線を落としながら、大樹は言葉の重さを測る。


「介抱して、必要なら病院へ連れて行ったり、色々なケアをしているわ」


 明日美は言いながら、テーブルの端を指でこつこつと叩いた。

 それは飾らない仕草。むしろ、それが「いつものこと」だと言っていた。


「例えば……そうね。あなたと初めて会った時って、新東坂のあたりだったわよね」


「ああ、そうだな。そう言えば、なんで明日美があんなところに?」


「あの時は、前に倒した無獣の無獣発生者が新東坂のあたりに住んでてね。その人の安否確認とか、ちゃんと生活できているかとか様子を見に行ってたんだ」


「そんなところに行ってまで、ケアをしてるのか?」


「まあ、これも魔法少女としての役目かなって思ってる。 その人ねすっかり元気になったから、これで終わりかなーって思って帰ろうと新東坂駅に入った時に無獣が現れてね」


「そうだったのか」


「そ、あとはあなたも知ってる通りよ」


「なるほどな……ということは、俺が魔法少女になってからも何回か無獣倒してるよな。俺ってば、何も考えずにさっさと帰ってるけど……もしかして?」


「そうよ、あなたが帰った後にね。毎回言おうと思ってたけど、あなた、さっさと行っちゃうんだもの」


「……ごめんな」


「いいの。知らなかっただけなんだから」


 明日美はミルクティーの残りをそっと飲み干すと、空になったカップを両手で包み込んだ。

 陶器越しに伝わる温もりを確かめるように指先を押し当て、小さく息を吸い込む。まるで、胸の奥で固まっていた言葉をようやく掘り出すような仕草だった。


「あ、あのね……それと……あなたに初めて会った時、言えなかったことがあるの」


「なんだ? いまになって」


「……た、助けてくれて……ありがとう……」


 ぽつり。

 その一言は、まるで熱に浮かされたような震えを帯びていた。

 明日美は顔を真っ赤にし、視線をテーブルへ落としたまま、声だけで大樹に触れた。


「ああ、なんだ、そんなことか。気にすんなって」


「気にするよ……あたしがもっとちゃんとしてたら……あなたを巻き込まなくて済んだのに……っ」


 言葉の最後は、もう声にならなかった。

 彼女の肩が小刻みに揺れ、ぽたりと涙がカップの縁に落ちた。


「えっ、ちょ、待て待て待て! な、泣くなって! こんなところで!」


 大樹は慌てて両手を振り、明日美の前で右往左往する。

 しかし、もう遅い。店内の空気がざわりと揺れた。


「え、あの席……女の子泣いてる……」


「大の男が向かいに座って……あれ、やばいやつじゃない?」


「おっさんと若い子……警察案件では?」


「怖いわねぇ、痴話喧嘩かしら……」


 刺すような囁きが半径数メートルから容赦なく降り注ぐ。

 そのどれもが大樹にだけクリティカルヒットしてくる。


「いや違うって! 違うから! ほら、な、明日美、とりあえず落ち着け! 俺は気にしてないから!」


「……ぐすっ……うん……ありが、とう……」


 明日美が少しずつ涙を拭い、呼吸を整える。

 大樹はようやく胸を撫で下ろしつつ、周囲に向けてぺこぺこと頭を下げた。


(……あーあ。絶対誤解されたよなこれ……変な噂、広まらなきゃいいけど)


 ひとまず落ち着いたものの、大樹の胸の奥には別の重い感情が残った。

 普段は気丈で肝も据わって見える明日美が、こんなふうに人目もはばからず泣くという現実。


(こいつ……美夜子と同じ年なんだよな)


 その事実が不意に胸へ刺さる。

 好きな服を着て、友達と笑って、悩むことといえばテストや恋バナでいいはずの年齢。


 なのに彼女は──

 人知れず誰かの悲しみを背負い、命の危険がある戦いの中心に立っている。


(……そりゃ、泣きたくもなるよな)


 大樹はそっと視線を落とし、涙の跡を拭う明日美の横顔を見つめた。

 中学生の少女が背負うには重すぎるものを、彼女はずっと一人で抱えてきたのだろう。


 そしてようやくそれを誰かに伝えられた。

 その誰かが、自分なのだと思うと──胸の奥が静かに熱くなった。


 -*-*-*-*-*-


 明日美がようやく泣き止み、二人のあいだにひっそりとした静けさが落ちた。

 ミルクティーの表面に残った泡が、ゆっくりと輪郭を失っていく。

 大樹は胸の奥に沈んだ石をそっと押し込むように、長く息を吐いた。


「……そっか。そんな世界で、ずっと一人で戦ってきたんだな」


 明日美はストローの先をつまみ、苦笑しながら小さく揺らした。

 普段はどこか勝気な彼女の横顔に、かすかな疲労の影が落ちている。

 休日のざわめきが広がる店内で、ここだけ別の温度を持った空気が残っていた。


 そのときだった。


 入口のドアがチリンと鳴り、軽快な笑い声が店に流れ込んできた。


「でさー、数学の先生に怒られちゃったわけよー」

「アキちゃん、またやらかしたの?」

「だから誤解ってばー!」


 わいわいと近づいてくる声の中に、大樹の鼓膜を震わせる一言が混ざった。


「ねね、ボク、お腹すいたよ」

「えっ? みゃこって朝ごはん食べないで来たの?」

「朝ごはん食べないなんてあり得ない! しっかり食べたよ!

 でももうお腹空いてるの!」


 その名前が、大樹の胸を強く叩いた。


(……みゃこ?)


 大樹は恐る恐る視線を上げ、客の影に紛れるように姿勢を低くしながら入口付近を見る。


 そして──見つけてしまった。

 同時に、条件反射のように視線を逸らす。


(見続けたら、気づかれる……!)


 胸の奥でそんな焦りが跳ねた。

 昔聞いた覗き込めば、向こうからも見られるという言葉が、妙に生々しく蘇る。


「……なんで……なんで今日なんだ……!」


 背中を冷たい汗がすべり落ちた。

 よりにもよって〝仕事に行く〟と嘘をついたこの日に、なぜこの店。


 明日美が怪訝そうに目を細める。


「ちょっと、どうしたのよ急に」


「み、みゃこだ……! 俺の娘が入ってきたんだよ!」


「娘さんが? それで……?」


「俺、今日は〝仕事〟って言って家を出てきたんだぞ!

 で、もしだ。この店で──」


 大樹は身を乗り出し、声を極限まで絞った。


「〝見知らぬ女子中学生と二人でお茶してる父親〟を見たら……

 お前ならどう思う!?」


 明日美はぽかんとし、その後ゆっくりと顔をしかめた。


「……疑うわね。全力で軽蔑するし、多分一生口きかないと思う」


「だよな!? しかも入り口付近の席に座ってるし!

 これじゃ出られない! ずっと下向いてるか? いや、トイレ側に来られたら確実にバレる!」


 大樹が半泣きで囁くと、明日美は冷静に顎に手を当てた。


「じゃあ……まずあたしが先に店出るのは?

 で、時間差で大樹が出る。

 見つかっても〝偶然〟で押し通すとか」


「無理だ! 会社はここから四十分の新東坂だぞ!?

 なんで中央駅のカフェにいるんだ俺は! どうやって誤魔化せってんだよ……!」


「じゃあ、あなたのパートナーに聞くのは?

 何か手はあるかもしれないでしょ?」


 さらりと言いながらも、明日美は本気で大樹の逃走ルートを考えていた。

 誤解されれば自分も巻き添えになるのに、やけに落ち着いている。


「猫なんて連れてきてないぞ!」


「猫じゃない。パートナー。テレパシーで話せるの。言わなかった?」


「初耳だよ!? なんでそんな大事なこと今言う!?」


「とにかく、このまま座ってるほうが危険。

 ……そうね、トイレに隠れたら?」


「え、トイレ!?」


「いいから早く!」


「わ、わかったよ!」


 大樹は椅子をそっと引き、限界まで低姿勢で影のように移動し、

 美夜子たちの視界に入らない角度を探しつつ、トイレへと走る。


 人生でいちばん必死なトイレへの移動だった。


 -*-*-*-*-*-


 大樹はこそこそと体勢を低くしながら、美夜子に気づかれないように、そーっと店の奥にあるトイレへと駆け込むと、ドアを閉めて一息ついた。


「……っぶな……しかし、スピカと本当にテレパシーで話できるのか? ちょっと呼びかけてみるか」


 大樹は脳裏にスピカの姿を思い浮かべながら心の中でスピカに話しかけてみた。


『コホン……あーあー、こちら大樹、大樹です。スピカさん聞こえますか? どーぞー』


『どうしたの? 変な呼びかけして』


 しばらくすると、やけに不機嫌そうなスピカの声が頭の中に響いてきた。


『うおっ、ホントに聞こえてきた。なんか変な感じだな。スピカ、実は大変なことが起こったんだ!』


『何よ、藪から棒に……』


『おまえ、異世界から来たのに、日本語の変な言い回し知ってるんだな。まぁいいや、実はな、いま家族に内緒で駅前の喫茶店で明日美と会っているんだが、困ったことに娘が同じ店に来たんだ』


『……浮気者……変態……』


 スピカの声が妙に冷たく、氷の欠片が落ちたみたいだった。


『ちょっ、誤解するような言い方やめてくれよ、ちがうって!』


『ふふ、慌てるところを見ると余計怪しいわね。……まぁ冗談よ。経緯はなんとなくわかってるわ。んで、あなたはどうしたいの?』


『もう、大人をからかうのもいい加減にしてくれよ。まぁ、有体に言えば、娘にばれずにこの場を穏便にやり過ごしたい』


『ふーん。なんだそんなこと。あなた、ハーティジュエル持ってるんでしょ? だったら変身すれば?』


『ここはウィッチーズスペースじゃないぞ?』


『アクティブモードじゃ無理ね。でも、資格照合の工程だけ通す〝スタンバイモード〟なら現実世界でもいけるわよ』


『資格照合……?』


『そう。変身の一番最初に走るプロセスよ。

 まずハーティジュエルが資格を照合しようとして、

 あなたは毎回そこで弾かれるでしょ?』


『毎回怒られるやつな……』


『でも、あなたの身体に埋め込まれた〝魂情報〟が照合を再起動して、

 本来の魔法少女の構造に身体を合わせるために、

 肉体を女性体に再構成するの。ここまではいつもと同じ』


『う、うん……?』


『問題はその先。

 魔力増大とか、魔法少女としての外装展開とか、

 アプリケーションの起動とか……つまり戦うための全部を、

 スタンバイではまるごとカットするわけ』


『……は?』


『だから、こうなるの。

 身体だけ魔法少女規格に変わって、機能は全部オフ。

 外見だけ女の子の途中停止状態。だから、魔力消費もほとんどない』


『んん……つまり……?』


『もうっ。要するに変身の半分だけよ。

 本番前に衣装は着ないけど、身体はもう女の子、みたいな感じ』


『ああ、そういうことか……なんとなくわかった』


『じゃ、説明終わり。私ちょっと休むわね。眠いから後よろしく』


 次の瞬間には、もうスピカの気配は頭の中から消え去っていた。


『スピカ! スピカ!? おい、スピ……、ったく、しょうがないかぁ』


 大樹はハーティジュエルを首に巻き、大きく息を吸い込み、覚悟を決めてなるべく声を抑えて叫んだ。


「アクセプト! スタンバイメタモルトランスレーション──エアリィ!」


 ……その瞬間。


「! な、なんだ!?」


 最悪なタイミングで、男性がトイレに入ってきた。

 個室からの奇声に、思わず声を上げたのだ。


 大樹の身体はハーティジュエルから放たれたピンク色の光に包まれる。

 光の奔流の中で身体はみるみる小さくなり、男性的なシルエットは柔らかい少女の輪郭へと再構成されていく。


「トイレの中が光ってる……フラッシュ? と、盗撮?」


 扉の隙間から漏れたピンク色の閃光を見て、外の男性は完全に不信感に支配されていた。


(ふぅ、ほんとだ、変身できた……うわっ、なんだこりゃ。スーツ姿のままじゃないか)


 少女の身体に変わった大樹にはスーツが絶望的に大きかった。

 袖は手を飲み込み、ズボンは腰に留まらず落ちそうになる。靴はガバガバで歩けばカポッと鳴る。


(俺ってこんな大きかったんだな……どこもかしこもブカブカだよ)


 大樹は袖と裾を折り、ベルトを一番きつくし、靴はあきらめた。


 そっと個室の扉を開けると、用を足していた男性がこちらを振り向いた。


「えっ? お、女の子??」


 男性用トイレから、ぶかぶかスーツの謎の少女が出てきたのだ。驚かない方が難しい。


「あ、ごめんなさーい、おほほほ、間違えちゃいましたぁ」


 少女の姿の大樹は、ずり落ちそうなズボンを押さえながら急ぎ足でトイレを後にした。


(スタンバイモードだと髪の毛はピンクじゃないんだ……ちょっと茶色がかってるんだな)


 洗面台の鏡に映った自分を、思わずもう一度見てしまう。


(はぁ……戦ってるときとは違う。これは、ただの〝女の子〟の俺だ)


 魔法少女の華やかな姿ではなく、茶色がかったロングヘアの、日常に紛れ込むただの少女の姿。


 その奇妙でくすぐったい感覚に、大樹は喉を鳴らした。


 -*-*-*-*-*-


「へぇ、そうやって変身できるのね。って──何よそのおかしな格好は」


 大きな靴を引きずりながら、ズルズル・ヨタヨタとトイレから出てきた大樹の姿に、明日美は思わず目をむいた。

 変身そのものにも驚いたが、それ以上に女の子が父親サイズのスーツを着て歩いてくるという珍妙な光景が衝撃的だった。


 今度は、明日美が周囲の視線を痛いほど感じていた。


「あ、あはは……スタンバイモードだってさ。スピカ曰く、こうするしかないらしい」


「そうかもしれないけど……」


 明日美は、女の子の姿の大樹を頭から足元まで眺め、眉をしかめる。


「あのさぁ……何でもいいけど、その服どうにかならない?」


「しょうがないだろ? これしか着るものないんだから」


「うーん……そうだ。あなた、一応社会人だからお金は持ってるわよね?」


「ん? まぁ、財布くらいは。クレジットカードもあるけど……」


「よし、決まり! いまからあなたの服を買いに行きましょう!」


「えー!? いいよこのままで! みゃこがいなくなるまで店にいれば──」


「嫌よ! その格好のあなたと並ぶのは、あたしが恥ずかしいの! さ、行くわよ!」


 明日美はサッと荷物をまとめると、大樹を置き去りにして飛ぶように店を出て行った。

 ドアがカランコロンと鳴り、店員の気の抜けた声が響く。


「ちょ、ちょっと待てよ! このブカブカの靴歩きにくいんだから!

 って、おい、俺が全部払うの!?」


 大樹は女の子らしい可愛い声で叫びつつ、ズルズルと靴を引きずって伝票を取り、ヨタヨタとレジへ向かう。


「あ、あの……少々お待ちください……えっと、十五円あります……レシートいりません」


 女子学生が父親サイズのスーツを着て会計しているようにしか見えない。

 財布を取り出すのにも苦労しつつ、なんとか支払いを済ませた大樹は、急いで外へと駆け出した。


 店を出る直前──美夜子の真横を通り過ぎる。


 美夜子は、スーツを着た妙な女の子を「なんだあれ?」と一瞬見るが、

 まさかそれが自分の父親だとは露ほども思っていない。


 店のドアを無事に抜けると、肩の力がどっと抜けた。

 美夜子に見つからなかった安堵で、全身がへなへなになる。

……と同時に、胸のどこかでむずむずした違和感も生まれていた。


(これ……落ち着かねぇな……)


さっきトイレの鏡に映った自分を思い出す。

歩幅はちょこちょこだし、声も妙に軽くて、髪なんて腰まである。

戦闘中はテンパってて気付かなかった〝女の子としての俺〟が、

今日はやけに生々しく存在していた。


(平時にこれって……慣れたら絶対ロクなことにならねぇ気がする……)


 視線の先では、明日美が肩を震わせて笑いを堪えている。


「……何笑ってんだよ」


「あなたの慌てっぷりが可笑しくって。あ、ご馳走様でした。ありがと」


「いや、まあ……いいけどさ。んで、俺はどこに行けば? 今日しか使わないんだし、テキトーにその辺の安売りの店でいいんだぞ」


「ダメに決まってるでしょ。今日はあたしがしっかりコーディネートしてあげるから、ついてきて!」


「しょうがないなぁ、ちょっとめんどくさい……

本当にテキトーでいいんだけど。あ、なんならお金渡すから明日美の気に入ったやつを買ってきてくれても良いぞ。公園とかベンチで待ってるからさ」


「だからそんなのはダメだってば! 服は着る人に合わせてしっかり選んで買わないと」


 もうこれ以上は、自分の意見は通らないと悟った大樹は、明日美に従うしかなかった。


「ほら、ぼさっとしてないで。服買いに行くんだから!」


「はいはい、お供しますよ……って、なんで俺がこんな格好で買い物……」


ぼやきながら追いかける女の子の姿の自分を、

大樹はまだうまく受け止められていない。


ただ、この日を境に。

日常のなかで「女の子として歩く時間」が、

ちょっとずつ、気づかれないように増えていくことだけは──

さすがにまだ想像すらできていなかった。



第三章 嬉し恥ずかし、ショッピング


 そして、明日美と奇妙な姿をしている少女の大樹は、雁奥中央駅に隣接するショッピングモール、〝カリオスモール〟へとやってきた。

「とりあえず、服屋に来たのはいいんだが……」

「あ! これ可愛い! これはちょっと大人っぽ過ぎるかなー? うーん……だったら、こっちの方がいいかも!」

「はぁ……結局楽しんでいるのは明日美じゃないのか?」

 あれやこれやと忙しそうに店内を駆けずり回り、棒立ちしている大樹に嬉しそうに服を合わせている明日美。確かに大樹より明日美は楽しんでいるように見えた。


「結局、何着試着させられたんだ……」

「とりあえず、ピンクのフード付きワンピと黒のニーソックス、靴は編み上げのショートブーツね」

 試着室から、上から下までばっちり揃えた姿で、ウンザリとした表情の大樹が現れた。明日美の見立ては完璧で、現在の大樹の姿にピッタリと合っていた。

 明日美は、自分のコーディネートに納得したように、うんうんと満足そうに頷いて大樹のことをマジマジと眺めていた。

「うん、可愛いじゃない」

「これ、別にスカートじゃなくってもいいんじゃないか?」

 大樹は、いま着ている、というか着させられているワンピースのスカートの裾を、指でつまんで軽く持ち上げている。

「いいじゃない、せっかく可愛い女の子になったんだから、おしゃれしたほうが楽しいわよ」

「そういうものなのか?」

「そういうものよ」

「さて、服も着替えたし、どうする? もう一回どこか喫茶店とかに入って話すか?」

「……次は下着ね……」

「えっ、ちょ、ちょっと待てよ! し、下着はいいよ」

「ティーンズ向けのランジェリーショップは……あ、ここね」

「おい、俺の話聞いているか? 下着はさすがにいらないって! ほら、外から見えないし。な?」

 明日美は大樹の話を無視して、ショッピングモールのサイトのフロアマップとにらめっこをしていた。

 大樹は当然拒否をするのだが、それを明日美が許すはずもない。

「よくない! 女の子の体はデリケートなんだからね! 大事にしなきゃ」

「いや、デリケートって、俺は男だし。うわわわっ、お、おいっ、そんな引っ張らないでくれってぇ!」

 大樹は半ば引きずられるようにして、明日美に連れまわされている。


 そして、女性の下着売り場の前まで来るが、いくら妻と娘の買い物に慣れているとは言っても、流石に大樹はこの店に入るのを躊躇っている。

 大樹は店舗の入り口で必死に抵抗を試みるが、力強く明日美に背中を押されてしまい、なだれ込むように店内へ入れられてしまった。


 この店でも明日美は、いままで以上に楽しそうに、大樹に様々な下着のフィッティングを始めた。

「これなんかどう? フリルがとっても可愛いわよ」

「どうって言われても。はぁ、もうどうでも良いよ……」

「お客様? サイズ測りましょうか?」

 明日身が色々な下着を大樹に合わせていると、何処からともなく店員が明日美たちの前にやってきた。大樹の表情はもうウンザリといった感じだ。


「ええ、お願いします。この子初めて買うので、サイズとか全然わからないんですよ。だからこの際スリーサイズも測ってあげてください」

「は、初めてですか?」

 店員は、明日美の初めてという言葉に少し驚いていたが、てきぱきと大樹の胸のサイズを測り始める。

「この方のサイズなら……そうですねぇ……Dの60くらいでしょうか……」

「え……な、何ですって? そんな馬鹿な……お、男に負けたなんて……」

 店員から大樹のバストサイズの計測結果を聞くと、明日美は壁に向かって項垂れるのだった。

「? お、お客様? ど、どうなさいました?」

「あ、あははは、な、なんでもありません。ええ、なんでも……ううう、あたしだって、あたしだって」

 明日美はかなりショックを受けた様子で、ぶつぶつと独り言を呟いていじけている。そんな明日美を店員は不思議そうに見つめ、その場にいる大樹は、ばつが悪そうに笑うしかなかった。


「結局パンツも合わせて、二セットずつ買ってしまった……」

 大樹は渡された紙袋をそっと開くと、中身を確認しながら溜息を吐いた。

「はぁぁぁぁぁぁぁ、終わりだ、俺は男として終わった気がする……」

 大樹は両手に大量の女性物の衣類の紙袋を抱え、暗い表情を浮かべて魂が抜けてしまいそうなほどの深い深い溜息を吐いた。

 確かに元の大樹のガタイのままで女性の格好をしていたのならば、男として、いや人間として終わってしまっていたかもしれないが、いまの大樹は可愛らしい女の子の姿である。

 とは言え、大樹の男としての心が、それを許さなかったのも事実だ。あえてフォローをするなら、いまの大樹……少女の姿のコーディネートは完璧である。いまの姿であれば、男の子なら決して放っておかないだろう。大樹はかなり可愛らしい容姿をしているので、落ち込むほどではない。


「そんなに落ち込まないでよ。それよりほら、鏡を見てみて」

「え?」

 大樹は明日美に促されて、店内にある姿見を見た。

 そこには、可愛らしく少し恥じらいの表情を浮かべ、長い栗色の髪の毛を二つに括っている少女の姿があった。着ている服は大樹が買ったものだが、髪留めだけは明日美がプレゼントしてくれた。魔法少女になったお祝い、だそうだ。

 大樹は自分の女の子としての姿に、思わず我を忘れて見とれてしまっていた。

「え、これが、俺? かわい……いや、ごほんっ……ま、まぁ、な、なかなかいいんじゃないか? 馬子にも衣装ってやつだな」

「ほんと、あたしが嫉妬しちゃうくらい可愛い女の子よ。元男とは思えないわよ」

「元男って! 俺をオカマみたいに言わないでくれよ」

 ポカポカと明日美を軽く叩きながら、大樹は真っ赤になって抗議する。

「あはは、ごめんごめん! でも、ほんとに可愛い」

 明日美は涙を浮かべながら笑って、大樹の抗議のパンチを防ぎながら感心している。

「これからあたしと会う時は、変身してその服を着てから会うといいわよ」

「……」

 大樹は明日美の提案に悩み沈黙している。

「女の子同士ならおかしくないでしょ?」

「確かにそうだけど……」

 大樹はいまいち納得がいかないといった様子で、ガクリと肩を落としていた。


 -*-*-*-*-*-


「あー楽しかったぁ。今日はあなたとこういうことができてよかったわ。あたし、女の子同士で買い物ってしたことなかったから」


 明日美は本当に心の底から楽しそうに笑っていた。その言葉に、大樹は思わず足を止める。


「え、友達とかって……」


「んーとね、あたしってさ、実は学校でけっこう浮いててね。友達って呼べる子はいないのよ」


 明日美は少し明るく照れくさそうに言ってはいるが、その奥に薄い影があるのを大樹は見逃さなかった。


「みんな話しかけてくれるけど……気を遣ってるのがバレバレなの。別にいじめとかはないし、感謝してるけどね」


「明日美……」


「だ、だからね……その、もしよかったら、これからも時々でいいから……今日みたいに、一緒に遊んでくれたら嬉しいなって」


 頬をほんのり赤くして笑う明日美。

 対照的に、大樹はきまり悪そうに目を泳がせた。


「でも、俺は……」


「ごめん、それ以上は言わないで。迷惑だってわかってるし。あの……〝友達として〟、たまにでいいから遊んでほしいなって……。ほら、男の姿で会うのは、あ、あたしが恥ずかしいからで! 別に深い意味じゃなくて! あぁもう、何言ってるかわかんないじゃない!」


 顔を真っ赤にしてワタワタする明日美に、大樹はつい笑ってしまう。


「あはは。そっか……うん、明日美ちゃんは可愛いなぁ。迷惑なんて思ってないよ」


「え!? か、かわ……そ、そういうの急に言わないでよ! ほら、ほらほら! さっき途中だった話するから! ほら、座る!」


 完全に照れ隠しの動きで、ベンチの横をポンポン叩く明日美。

 大樹は肩をすくめながら座る。


「コホン……さっき、無獣化した人を助けた後の話をしたでしょう?」


 大樹は、思い出したかのように頷いた。


「なんでケアが必要なのかわかる?」


「確かに、なぜなんだ?」


「無獣化の原因だった悲しみは、そのまま残ってるの。だから、また溢れたら再無獣化の危険がある。ダークウィッチに狙われることもあるし」


「それって……」


「だから、少し話を聞いてあげたり、何度か会いに行くの。心が軽くなるまで。学校終わってから行くことが多いかな」


「そんなの……君はまだ中学生だろ? 遊びたいだろうし、友達だって欲しかったよな。辛すぎるよ……」


 気づけば大樹の目から涙がひと筋落ちていた。

 女の子になってから涙腺が緩んでいることを自覚しつつ、それでも止まらない。


「ちょ、ちょっと! 泣かないでよ。仕方ないのよ。あたしが頑張らなきゃ、もっと悲しい人が増えるから」


「でも……でも、仲間になれてよかった。君に寄り添えるなら……俺は嬉しいよ」


「……仲間、か」


「いや、違うな。仲間ってだけじゃない。もう俺たちは友達だ! だから、今度は俺も協力するからな!」


 言い切った大樹の言葉に、明日美の瞳が大きく揺れた。


「……ありがとう。本当に……嬉しい」


 明日美は涙をこらえながら、大樹の手をぎゅっと握り返す。


 その瞬間──

 少女の姿の大樹と明日美の間に、確かな〝友情〟が芽吹いた。



第四章 脅威の、ライバル登場


「じゃ、スキー旅行はまずこのプランを候補に入れようか」

「ふふふ……ラーメン、カレー、鍋、バイキング、とんかつ……」


「みゃこちゃん落ち着いて……。何しに行くかわかってる? スキーだよ? スキー」

「うん、ステーキも良いよねぇ。じゅるり」

 美夜子は目をキラキラさせ、どこか遠い天国の食卓でも眺めるように涎寸前の顔をしていた。

 トモミは心配そうにし、アキホはすでに諦めの境地に至っている。


「はあ……みゃこちゃん大丈夫かな……」


「ねえトモミ、もう埒があかないし、この子の食欲スイッチ入ったら止まらないからさ。

 みゃこは放っといて、あたしたちで話進めちゃお」


「え、いいのかなぁ……」


「大丈夫大丈夫。みゃこは食べ物の方角にだけ正確だから」


「アキってば……苦労してきたんだね……」


 結局、美夜子はほぼ食い倒れ旅行の妄想の世界から帰ってこず、

 アキホとトモミの二人で、旅行の買い出し日程や集合場所などをどんどん決めていく。


「じゃ、旅行の買い出しは次の日曜ね。集合はアキの家」


「了解~」


「あれも……これも……食べたい……むにゃむにゃ……はっ! えっとまたねー!」


「あはは……」


 ようやく少女たちの会議が終わり、それぞれ家路についた。


 帰りながらも、美夜子は何を食べるかのことで頭がいっぱいだった。


「スキー旅行、楽しみだなあ。お小遣い……足りるかなぁ?

 お母さんは絶対ダメって言うし……。

 お父さんにお願いしたら、前借りできたりしないかなぁ……」


 そんな呑気な独り言の最中だった。


 ──人の波のど真ん中に、ぽつんと〝くまのぬいぐるみ〟が置かれていた。


 落とし物にしてはあり得ない位置。

 誰も避けようともしないし、ぶつかりもしない。

 まるで、存在そのものが視界からすり抜けていくみたいだった。


 ただ一人、美夜子だけが立ち止まる。


「……ボクの」


 くまのぬいぐるみは、薄汚れ、くたびれ、しかしどこか呼吸する影のように鎮座していた。

 美夜子は吸い寄せられるようにその前へ進み、じっと見つめ──そっと目を閉じた。


 街の喧噪が、ふっと遠ざかる。


 そして。


 ぱち、と目を開いた。


 その瞳は、さっきまでの少女のそれではなかった。

 緑の光を宿し、縦に細く収斂し、静かな獰猛さが忍び込んでいる。


「ふふ……遅かったじゃない。で──どうなの」


 ぬいぐるみの口は動かない。

 だが、機械仕掛けのように淡々とした声が、美夜子の耳朶だけを震わせた。


「機は熟した。君が囁けば、悲しみは溢れる」


「そう。場所は?」


「ここから西へ八百メートル。雁奥中央病院、五一二号室」


「ふうん……いいわね。すぐ行ける距離」


 ふ、と美夜子の足が地面から離れる。

 ぬいぐるみも、それに合わせて影のように浮上した。


 だが、周囲の誰も気づかない。

 飛んでいる目の前を歩行者が横切っても、視線は彼女たちを認識しない。


 世界から切り離された、密やかな上昇。


 やがて二人は、空の高みに吸い上げられるように昇り、 方向転換し──一瞬で西の空へと疾走した。


 数秒後──


 日が傾き始めた西の空が、ゆっくりと、異様な色へ染まり始める。


 ウィッチーズスペースが現れる。


 無獣が、またひとつ生まれたのだ。


 -*-*-*-*-*-


 そして──同時刻。


 大樹と明日美が空を見上げた瞬間、世界がざわりと波打った。


「! 空が……」

「……来たわね。やつらが」


 頭上ではウィッチーズスペースが広がりはじめ、街の色が薄く反転していく。


「明日美! 無獣だ、急ぐぞ!」

「わかってる……アル!」

「スピカ!」


「はいはい、来たってば。っていうか大樹、その格好……ぷぷっ……可愛いじゃない」

「笑うなって!」


 二人は首のチョーカーに触れ、息を揃える。


「アクセプト!」


 二人のその声に呼応するように、スピカとアルデバランの一本だった尻尾が小さく帯電しながら三本にパラリとほどけた。

 分かれた三本それぞれが淡く明滅し、細い光の筋を生む。

 その光は三方向から寄り集まり、ひとつの太い〝魔力の糸〟として束ねられる。

 束ねられた光の糸はまっすぐ大樹へ、そして明日美へと伸び、接続の瞬間、四者の魔力が静かに同期した。


 同時に、チョーカーの宝珠から黄色の光が溢れ出し、脈動を始めた。


「キューティメタモルトランスレーション──アーシィアップ!」


 明日美の指先が描くハート軌跡が、空間に滲む魔法陣をなぞる。

 首元の宝石がひときわ力強く輝くと、光粒が帯状になって明日美の体を包み込み、手足から変質が始まる。


 白に黄色の縁を施したグローブが滑らかに生成され、足は黄色いロングブーツへと形を変えた。


 髪は地の力に持ち上げられるようにふわりと浮き、光へと還元されながら再構成される。

 色は鮮やかな黄色へ。カチューシャは黒い蝶の羽のような装飾に変質し、伸びた髪を一つに束ねた。


 舞い上がるリボンの光は、フリルと白いラインを施した黄色いジャケットとスカートを〝編むように〟形作る。


 最後に──チョーカーの宝珠が白いリボンへと変化し、胸元へ転移。

 中央の宝珠が太陽のように暖かく輝いた。


「大地の優しさで包んであげる! キューティアーシィ! おまたせっ!」


 大樹のチョーカーも、風を孕んだ布のように光がふくらみ、わずかに揺らめく。

 首元の微かな脈動を感じ取ると、大樹は大きく息を吸い込み、叫んだ。


「キューティメタモルトランスレーション──エアリィアップ!」


 指先で描いたハート軌跡が空間の魔法陣をなぞり、共鳴するように首元のピンク色の宝石が輝きを増す。

 柔らかな光が一気に膨らみ、眩い粒子となって大樹の全身にまとわりついた。


 光の粒子は手足へ形を落とし込み、ロンググローブ、ロングブーツ、段々フリルのスカートを次々に生成してゆく。


 さらにあふれた光は渦を描きながら大樹の髪へ巻きつき、風に引かれる軌跡のように髪が伸びていく。

 色は柔らかなピンクに染まり、散った光の粉がくるりと舞って、白い二つのリボンをツインテールにそっと結びつけた。


 チョーカーは白いリボンへと姿を変え、胸元へ転移。

 宝珠が清らかな薄桃色に揺らめき、優しい光を放つ。


「そよ風のように幸せ運ぶ! キューティエアリィ! おまたせっ!」


 ふたりが並び立つと、魔力の余波がしゅんと収束し、空気が一瞬だけ澄んだ。


 ──その瞬間。


「あーっはっはっはっは! ようやく出てきたわねぇ、魔法少女!」


 上空から、時代錯誤なほど古めかしい高笑いが降ってきた。


 ビルの屋上。

 黒いマントにレザードレス。露出の高い衣装を風にたなびかせ、

 エアリィたちと同じ年頃の少女が、獲物を値踏みするように見下ろしていた。


「明日美と同じくらいの女の子……?」

「あれは……ミーヤ! あー、ついに出てきちゃったかー……!」


「知ってるのか?」

「知ってるも何も……エアリィ、あいつは本当に強い。いつものダークウィッチとは格が違うわ」


 アーシィは息を呑んだまま、上空をにらむ。


 ミーヤはわざと優雅にスカートを持ち上げ、貴族のようにお辞儀した。


「はじめまして。あなたが新しい魔法少女ね?

 ワタシはミーヤ。ふふ、よろしく……キューティエアリィ?」


「あっ、これはどうもご丁寧に。キューティエアリィと申し──」


「わざわざ返さなくていいのよ!」


 アーシィに後頭部を叩かれ、エアリィは涙目で頭を押さえる。


「いたっ! 殴った!? 年上なのに!?」


「くっくっくっ……おまえ本当に面白いなぁ……気に入ったわ」

「やめてくれよ……!」


 ミーヤは唇の端を吊り上げ、甘い声で続けた。


「でもせっかく覚えてあげても無駄になるかもね。

 だって──あなたたち、今日で終わりだもの」


「おいミーヤ! あんた中学生くらいだろ!? そんな露出の高い恥ずかしい服着て!

 親が知ったら泣くぞ!? 学校にはちゃんと……」


「……はぁあぁぁ? その少女趣味まみれのピンクフリフリに言われたくないわねぇ」


「ちょ、ちょっと二人とも! 言い合ってる場合じゃ──」


 アーシィが制止するが、ミーヤは冷たく切り捨てる。


「おまえ、ほんとうるさい。

 言ったでしょう? 今日は終わりって。

 ふふ……この子はとても強いわよ。

 あなたたちに倒せるかしらねぇ?」


 ミーヤの足元で、マントの影が形を変えて脈動した。


 エアリィの背筋に、凍り付くような寒気が走る。


 ──本物の敵が来た。


 ミーヤは背後の巨大な無獣をちらりと振り返った。

 その視線は、拾ったガラクタの性能を確かめる子どものように軽く、

 あまりにも無邪気で、あまりにも残酷だった。


「行っておいで。……ねえ、〝おまえの好きにしていい〟って言ってるんだから」


 無獣の体表が、黒い泥と金属片のようなものを混ぜ合わせた質感で、

 ぐじゅり、ぐじゅりと歪む。

 まるで、存在すること自体が間違った生命のようだった。


 ズ……ン。

 一歩踏み出すごとに大地が低くうなり、足元では床材が波打つようにたわむ。

 ウィッチーズスペースの色も不安定に揺れ、光の筋が音もなく裂けた。


 魔法少女たちの姿を捉えた瞬間、

 無獣の口の裂け目がぎちぎちと横に広がり、

空気を震わせる咆哮が世界を貫いた。


「なっ……こいつ……見たことないほど……禍々しい……!」


 アーシィの声は震えていた。

 あの冷静なアーシィが、明らかに尻込みしている。


「いや……これは本当にまずい……

 エアリィ、絶対に近づかないで……! あれ、触れただけでただじゃ済まない……!」


 アーシィの焦りが、空気に重く沈む。


「ふふっ……いいわ、その顔。

 怖いの? ねえ、エアリィちゃん。怖がってるのね?」


 ミーヤは唇に妖しい曲線を描き、片手を頬に添える。

 まるで甘いお菓子を味わう前のように、期待で満ちていた。


「〝壊れる瞬間〟って、すごく綺麗なのよ。

 どんな音が出るのか、どんな形に折れるのか……

 おまえたちならさ、ほら……もっと面白い音がする気がするの」


 その声は囁きなのに、氷柱を首筋へ滑らされたような冷たさがあった。


「くっ……ミーヤって……何者だよ……

 ほんと、あの子の親の顔が見てみたいぞ……!」


 エアリィの声は怒りよりも、戸惑いと恐怖が滲む。


「おまえたち、〝壊れる準備〟はいい?」

 ミーヤは愉悦に染まった目で、ゆっくりと指を鳴らした。


 その合図に応えるように、無獣の影がぐにゃりと伸び、

 魔法少女たちへ襲いかかる。


 影と咆哮が迫り、空気が破れ、

 圧倒的な殺意の奔流が二人を飲み込もうとする。


 二人はいつでも攻撃も防御も取れるよう、自然と腰を落とし構えを取った。

 エアリィはごくりと喉を鳴らし、禍々しく膨れあがった巨大な無獣と、その背で黒く微笑むミーヤを交互に見据える。


 空気がひりつく。

 戦いの幕が、いままさに上がろうとしていた。

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