第2話:不眠の焼きごて、なのに眠気
衛兵に両腕を掴まれ、私は壇上から引きずり下ろされる。
貴族たちが、モーゼの海割りのように左右に分かれ、道を開けた。
同情する者は一人もいない。
誰もが私を、好奇と嘲笑の目で遠巻きに見ている。
(絶対嫌だ!)
修道院での安眠スローライフはどこへ?
眠れない塔?
冗談じゃない。
それだけは、絶対に、駄目だ。
理由は分からない。
でも、私の魂が叫んでいる。
眠れないことは、死よりも辛い、と。
「離して!」
「おとなしくしろ!」
生まれて初めて出すような声で抵抗するが、鍛えられた衛兵の腕はびくともしない。
引きずられる道すがら、視界の端に、さっきまで私を断罪していた王太子と聖女の姿が映った。
王太子は、忌々しいものでも見るかのように私を睨みつけている。
そして、その隣の聖女は―――その唇の端が、ほんのわずかに、吊り上がっているように見えた。
(……!)
ぞわり、と背筋に悪寒が走る。
だけど、それを確かめる間もなく、私は大広間の外へと連れ出された。
***
ガタン、と揺れる馬車の中。
窓の外は、すでに夜の闇に包まれていた。
王都の華やかな明かりが遠ざかっていく。
私は必死に、頭の中に流れ込んできた「小説の知識」を検索する。
だけど、何度頭をひねっても、「断眠塔」なんて単語はヒットしない。
(作者が書いていない、未公開の設定? それとも、私が知らないだけ?)
どちらにしても、最悪の状況であることに変わりはない。
やがて、馬車は王都を抜け、荒涼とした街道をひた走る。
どれほどの時間が経っただろうか。
遠くから、不穏な音が聞こえ始めた。
ゴーン……ゴーン……
古びた柱時計の鐘を、無理やり大音量にしたような、耳障りな金属音。
その音が近づくにつれ、私の頭はズキズキと痛み始めた。
やがて、視界の先に、巨大な塔のシルエットが浮かび上がる。
不気味に光る紋様がそこかしこに走る、歪な形の灰色の塔。
頂上には二つの大きな振り子がある。
あの不快な鐘の音は、そこから響いてきているらしかった。
あれが、断眠塔。
馬車が止まり、扉が開けられる。
「降りろ」
看守に乱暴に突き飛ばされ、私は塔の中へと足を踏み入れた。
中は、囚人たちのうつろな呻き声で満ちていた。
誰もが深い隈を刻み、亡霊のように壁に寄りかかっている。
眠りたくても、眠れない。
そんな怨嗟の声が、空気となって肌にまとわりつくようだった。
「こっちだ」
連れてこられたのは、塔の一室。
そこには、灼熱の炉と、焼きごてが用意されていた。
焼きごての先端は、まぶたを無理やりこじ開けたような、奇妙な目の紋様をしている。
それが赤く、赤く熱せられていた。
「すべての囚人には、『
看守が、事務的な口調で言った。
「これを刻まれた者は、二度と眠りに落ちることはない」
(
また、知らない単語が出てきた。
だけど、そんなことを考えている余裕はない。
看守が、熱された焼きごてを手に、私に近づいてくる。
「やめ……やめて……!」
「動くな!」
別の看守に腕を押さえつけられ、椅子に座らされる。
抵抗も虚しく、私のうなじが晒された。
ジリジリと、空気が焦げる音。
不気味な熱。
その瞬間、私の脳裏に、遠い昔の記憶がノイズのように過った。
(……なんだろう。この、焼けるような音と熱。どこかで……覚えがあるような……?)
そして、看守が容赦なく、焼きごてを私のうなじに押し当てた。
ジュウウウウウッ!
(ああ、そうだ。思い出した。この音は―――)
――私が「あのオフィス」で聞いた、最後の幻聴だ。
(私は、あのデスクで、あまりの疲労に、眠りに落ちたはずだ。永遠に続くかのような、安らかな眠りに……)
(―――では、なぜ?)
(なぜ、私は、今、ここにいる?)
(あの眠りの続きは? あの後、私はどうなった? 目が覚めた記憶はない。誰かに起こされた記憶もない。私の記憶は、あの心地よい眠りに沈む瞬間で、完全に―――)
ジュウウウウウッ!
(―――途切れている)
(そうか。そういう、ことか)
(あれは、ただの眠りじゃなかった。あれが、私の「終わり」だったんだ)
ぞわり、と全身の肌が粟立つ。
死んでいた。
私は、あの時、確かに死んでいたのだ。
じゃあ、今の私は?
この、痛みを感じ、恐怖している「私」は、一体何なんだ?
思考が、恐怖で凍り付く。
肉を焼かれる痛みよりも、自分が一度死んでいたという事実の衝撃が、魂を根こそぎ揺さぶる。
―――だけど。
その、どうしようもない恐怖と、存在が揺らぐほどの巨大な衝撃すらも。
じわり、と。
まるで、インクが水に滲むように。
私の意識の根底から湧き上がってくる、たった一つの、純粋な欲求が、全てを塗りつぶしていく。
(……ああ……でも……そんなことより……)
(……ねむい……)
激痛が走るはずだった。
絶叫するはずだった。
だけど、私の身体を貫いたのは、痛みでも、死への絶望でもなかった。
それら全てを些事へと変えてしまうほど、根源的で、抗いがたい、絶対的な欲求。
―――強烈な、「眠気」だった。
■■■お願い■■■
お読みいただきありがとうございます!
「断眠塔やばい」「記憶の取り戻し方新しい!」と思っていただけましたら、
・右上の『≡』をタップ
・フォロー
・レビューページ【+】ボタンで【☆☆☆】を【★★★】に(レビューなしでも押せます!)
をしていただけると、執筆の励みになります!
★1つでも、フォローだけでも飛び上がるほど嬉しいです。
何卒よろしくお願いいたします!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます