夢双令嬢は二度寝したい~元社畜、おやすみ改革を邪魔するヤツは睡眠チートで殴り倒します~

@tana_aron

第1章 不眠の監獄で「二度寝」するために、特別独居房を占拠しました

第1話:本日の就寝、はじめます

 午前二時。フロアの蛍光灯は節電で半分、でもアラートの赤は容赦なく点滅している。


 後輩の田中が椅子を回して、青い顔のまま私を見た。


「先輩……やばいです。スキーマ、俺、前のバージョンのまま……」


「落ち着いて。整理しましょう」


 外面モード、できる先輩を起動する。


 席を立ち、ホワイトボードに線を引く。

 原因切り分け、優先順位、担当分担。


「復旧は私。田中さんは影響箇所の列挙と暫定パッチの適用。クライアント連絡は私がやる。なんとかしましょう」


 泣きそうな顔の田中。


「すみません……次のプロジェクトでは、絶対、先輩の右腕になるって言ってたのに……」


「今からでも遅くない。やりましょう」


 ミスを責めてもデスマーチは終わらない。だからまず私が受け止める。その方が、炎上はすぐ収まる。


 あっという間に三夜が過ぎる。


 休憩室の硬いソファで目を閉じ、いつもの「羊を数えるスクリプト」を頭の中で起動した瞬間——


 じゅう。


 羊が次々に炎に飛び込んで、こんがり輝くラムチョップになっていく。

 なんじゃこりゃ。


 じゅう、じゅう。おいしそうで、眠れない。


 ああ、これはあれだ。さっき田中が「お詫びです」と渡してきたラム肉弁当のせいだ。


(炎上案件のお詫びにラム肉弁当とは。田中め、天然が過ぎる。絶対に飲み会のエピソードトークにしてやる)


 アラームが鳴り、私は立つ。

 コーヒー、コードレビュー、顧客への進捗報告。


「原因は仕様ですか、バグですか」


「——仕様にすべきバグ、という一番厄介なやつです」


 田中は何度も「すみません」を繰り返し、そのたび私は「次に活かそう」と短く返す。


 彼はまだ頼りない。そこに他人を放っておけない私の悪癖あくへきが上乗せされて、立派なデスマーチの完成だ。


 だからいつかは任せる。そんでたくさん寝る。


 デスマは六夜で終わった。


「先輩、すごすぎます……! こんなに早く、被害も最小限で収まるなんて……」


「まあね〜」


 眠すぎて謙遜も忘れた。


(1秒でも早くふわふわ羊の国で眠りたい)


 喉まで出かかったそれを飲み込み、私は席に沈む。


 くまの浮かんだ顔を隠すために、フードを深くかぶる。まぶたを閉じる。


(羊のぬいぐるみさえあれば完璧なのに)


 耳の奥で、またじゅうじゅう鳴っている。

 羊たちは列を成し、炎の渦に軽やかに飛び込み、じゅう、じゅうと香ばしくなる。


(はっはっは、燃えろ燃えろ)


 炎上が終わった今、ラム肉弁当も愛おしい。気になって眠れないことを除けば。


(しかしやたら旨かった。今度田中に100個おごらせよう)


 100匹目の羊がラム肉に変わったところで、意識がふわりと遠のく。


 ログの文字列が溶け、アラート音が遠い潮騒しおさいになる。

 胸の奥に、ようやく手に入れた就寝の予感が甘く満ちる。


 ——すやぁ


 世界が沈む。


 最後にひとつだけ、心の中で宣言する。


「本日の就寝、はじめます」


 私は静かに、深く、眠りへ落ちた。


  ***


「――リネム・メイフィールド! 貴様との婚約は、本日ただ今をもって破棄させてもらう!」


 キン、と甲高い声が頭に響いた。

 目の前には、王太子。金髪を輝かせた見目麗しい青年。その彼が、憎々しげに私を睨みつけている。隣では、庇護欲をそそる小柄な少女――「聖女」が、怯えたように彼の腕にしがみついている。


(……は? 婚約破棄? リネム?)


 待って。何、これ。

 私の名前は、リネム? メイフィールド?

 違う。私の名前は、そんな洒落たものじゃなかったはずだ。もっと、こう、ありふれた……。


 周囲を見渡せば、きらびやかなシャンデリア。着飾った貴族たちの、好奇と侮蔑が入り混じった視線。そして、私が今着ている、やけに豪奢で動きにくいドレス。


 まるで、物語の一場面のような光景。


 いや、違う。

 「まるで」じゃない。

 私は、この光景を、物語を「知っている」。


(ああ、そうだ。これは、私が小学生の時に夢中で読んだWeb小説、『星降りの聖女と暁の王子』の断罪シーンだ)


 なんで、そんなことを思い出したんだろう?

 まるで、他人事のように頭の中に流れ込んでくる情報。

 この悪役令嬢リネムは、聖女に数々の嫌がらせや謀略を行い、その罪を暴かれ、ここで王太子から婚約を破棄される。そしてこの後は……確か……。


「リネム! 聞いているのか!」


 王太子の苛立った声で、思考が途切れる。

 どうやら私は、この「悪役令嬢リネム」になってしまったらしい。

 なぜ? いつから? 分からない。頭に靄がかかったように、記憶がはっきりしない。


 ただ、一つだけ確かなことがある。

 この後の展開だ。確か、リネムは全ての罪を背負わされ、辺境の修道院に送られるはず。


(修道院……?)


 その言葉が、妙に私の心に引っかかった。

 毎日、決まった時間に起きて、祈って、パンを焼いて、静かに過ごす場所。

 誰にも邪魔されず、夜はちゃんと眠れる場所。


(……あれ? それって、もしかして……「最高」なのでは?)


 理由は分からないけど、私の魂は、その「静かで、規則正しく、眠れる生活」を、心の底から渇望しているようだった。

 目の前の茶番も、貴族たちの視線も、どうでもよくなる。

 早く、この面倒なイベントを終わらせて、静かな場所へ行きたい。


「……はぁ、さようでございますか」


 気づけば、口から気の抜けた返事が漏れていた。

 もっとこう、泣き喚いたり、見苦しく弁解したりするのを期待していたのだろうか。王太子は一瞬呆気にとられ、すぐに顔を真っ赤にして怒りを露わにした。


「その態度はなんだ! 反省の色なしか!」

「反省すべき罪状が、私にはよく分かりかねますので」


 口が、勝手に動く。でも、これは事実。なんといっても記憶があやふやなのだから。

 だけど、その一言が決定打となったらしい。


 王太子は、冷酷な声で、私の知らない判決を言い渡した。


「――もはや情状酌量の余地なし。リネム・メイフィールド! 貴様を、王国の最上位犯罪者施設である『断眠塔だんみんとう』への永久収監に処す!」


(―――は?)


 断眠塔?

 なんだそれは。

 小説に、そんな設定は出てこなかった。


 私の知らない、最悪の響きだけが、やけにクリアに鼓膜を震わせた。



■■お願い■■

第1話をお読みいただきありがとうございます!


次の話からリネムが覚醒します!陰鬱な展開はありません。主人公のギャグ気質全開で、爆速で環境適応し、無双し始めます。


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