第3話「無邪気な笑顔、路地裏の惨劇」
「見てヴェイン! このリボン、すごく可愛い!」
王都の目抜き通り。露店の前でセレスティアが弾むような声を上げた。
淡いブルーのリボンを手に取り、自分の髪に合わせて見せてくる。陽光を浴びてキラキラと輝くその笑顔は、明日にも過酷な旅に出る勇者とはとても思えない、普通の恋する少女のそれだった。
「ああ、似合ってるよ。セレスの目の色と同じだ」
「えへへ、そうかな? じゃあこれ買っちゃおうかなー」
彼女は上機嫌で店主との会話を楽しんでいる。
僕はその少し後ろに立ち、穏やかな笑みを浮かべながら……視線だけを鋭く走らせた。
能力(スキル)発動。
視界がモノクロームに反転し、人々の感情が色付きの『糸』となって浮かび上がる。
セレスティアに向けられる糸の大半は、白(好意)や黄色(好奇心)だ。だが、雑踏の中に数本、明確に濁った色が混じっている。
――3時の方角、路地裏の影。
――11時の方角、建物の屋上。
紫色の『邪念』と、赤黒い『害意』。
勇者の装備を狙う盗賊か、あるいは賞金稼ぎか。どちらにせよ、セレスティアの視界に入れる価値もないゴミだ。
(クロエ、やれ)
僕は声に出さず、小指の糸を通じて命令を送る。
(――御意)
脳内に短く、鈴のような声が返ってきた。
直後、雑踏の影が揺らぐ。
一般人の目には何も映らない。ただ、路地裏の方から「グッ」という押し殺した呻き声と、何かが引きずり込まれるような微かな音がしただけだ。
数秒後、屋上にいた気配も消失。
僕の視界から、不快な濁った糸がプツリ、プツリと消えていく。
「お待たせ! 買っちゃった」
セレスティアが振り返る。僕は瞬時に表情を戻し、彼女の手荷物を受け取った。
「早かったね。お腹空かないか? あそこのカフェ、ケーキが美味しいらしいよ」
「行く! ヴェイン大好き!」
彼女は僕の腕に抱き着き、幸せそうに頬を擦り寄せる。
その背後、ほんの数メートル先の路地裏では、いま始末されたばかりの男たちが、声も出せずに悶え苦しんでいるはずだ。クロエには「殺すな、再起不能にしろ」と命じてある。死体が出ると騒ぎになり、セレスティアの耳に入りかねないからだ。
「……ねえ、ヴェイン」
カフェのテラス席でイチゴのタルトを頬張りながら、セレスティアがふと真面目な顔をした。
「やっぱり王都は平和だね。みんな笑ってる」
「そうだな」
「私、この景色を守りたい。魔王を倒して、誰も悲しまない世界にしたいの」
彼女の小指から伸びる『死の糸』が、その決意に呼応するように脈動する。
自己犠牲。その美しい心が、彼女を死地へと誘う一番の呪いだ。
「大丈夫だよ、セレス」
僕はテーブルの下で、こっそりと戻ってきたクロエの気配を感じながら、セレスティアの手を握った。
クロエからは、鉄錆のような血の匂いが微かに漂ってくる。だが、セレスティアはケーキの甘い香りに夢中で気づかない。
「君の手は汚させない。悲しいことも、辛いことも、全部僕が処理するから」
「もう、ヴェインったら過保護なんだから。私だって勇者なんだよ?」
彼女はくすくすと笑い、僕の鼻先にクリームをつけた。
ああ、笑っていてくれ。
その綺麗な手で剣を振るう必要なんてない。
敵は僕が殺す。障害は僕が退ける。
君はただ、用意された花道を、凱旋パレードのように歩けばいいんだ。
「……さあ、次は武器屋に行こうか。最高の杖を予約してあるんだ」
僕は血の匂いを纏った風を背中で遮りながら、彼女をエスコートした。
完璧な休日は、まだ終わらない。
(第3話 完)
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