第八話 秘密

 時刻は午前十時。

 早朝のミサはとうに終わり、大聖堂横の一棟にある談話室は、信徒や聖職者たちで賑わっていた。

「クレイヴン」

「はい、何でしょう」

 窓際の一席までやって来ると、一人の男に呼び止められた。

 黒いカソックに身を包み、不機嫌そうにこちらを見上げる男は、この教会における祓魔師団アンテ・レギオの団長だ。すなわち、ヴィンセントたち粛清教会の上司にあたる男である。

「私は貴様のことを、司教ほどよく知らん。普段から何を考えているのか分からん男だが、連中の中では比較的従順でまともだとは思ってはいる」

 ……褒めているのか、貶しているのか、どちらなのだろう。

「司教に昨日依頼された件はどうなった?」

 彼の本題はそれらしい。最初の話は必要だったのだろうか?

「丁度、それについて報告しにきたところです」

 立ち上がったまま会話する訳にもいかず、神父の向かいの席へ腰を下ろす。朝の冷たい空気に晒されていた椅子が、身体にひやりとした感触を伝えた。

「結論から言いますと、あそこには何もありませんでした」

「そうか。やはり悪魔の言葉など、信用するに値しないな」

 神父は事務的に「この話は私から司教に伝えておく」とだけ返すと、手元の聖書を開いて会話を打ち切った。

 嘘は言っていない。イルマの言葉に、素直に従ったつもりもない。

 けれど見ていないものを「あった」と断言するのは、どうにも憚られた。それに嘘をつくのは、得意ではない。

 ばつが悪い思いで窓の外へ目をやると、一羽の鴉がベランダの手摺に降り立っているのが見えた。鴉は喧しい鳴き声をひとつもあげず、黒々と輝く瞳をせわしなく動かしている。

 まるで、監視でもされているような視線。

 ……いや、考えすぎだろう。ここへ鴉がやって来ることなんて、そう珍しいことでも何でもない。人は不安を抱いていると、普段気に留めないことが気になってしまいがちだ。

「貴様は今ここであの鴉を撃ち殺せと言われたら、それが出来るか?」

「え?」

「例えばの話だ」

 神父の突飛な発言に、思わず目を白黒させる。彼はそんなヴィンセントに構わず言葉を続けた。

「お前の父は、迷わず撃つぞ」

 それはヴィンセントにもよく理解ができる。だって父は、そういう人だ。

 いつだって冷静に、機械のように自らの使命をこなせる。そうすることが、自分の存在意義であるかのように。

 当の鴉はそんな物騒な会話を知ってか知らずか、未だ手摺に留まっている。ヴィンセントには心なしか、居心地が悪そうにしているようにも見えた。

「どうして鴉や蛇は無条件に嫌われているんでしょう」

 口からついて出た言葉は、殆ど独り言のようなものだった。

「……どちらも宗教的に両義性を持つ存在だが、蛇は単純に本能で拒絶する者は多い。人間に限らず、猿などの哺乳類もな」

「魔女……ノクセルペンティアへの忌避感も同じなんでしょうか」

 ぴくりと、神父の眉が微かに動いた。

「彼女たちは『人間』ですよ」 

「……そんなことは分かっている。故に『秘匿協定』が結ばれたんだ。お互い『平和的』でいるためにな」

 渋い顔をしながら、神父は席を立つ。

「ただ、貴様もあまり連中とは関わるなよ。色々と面倒だからな」

 それだけ言うと、彼は談話室を出て行った。

 気が付けば、鴉は何処かへ飛び立っていた。

 

 談話室を出て、礼拝にやって来た信徒や観光客の流れに逆らい、門へ向かう。

 人混みは苦手だ。広いはずの世界が途端に窮屈に感じる。それらを掻き分け門を出ると、いつも通りの、変わり映えのない景色が広がっていた。

 ただ一点を除いて。

 見慣れた住宅街の中、陽光を背に受けて、見覚えのある人影がゆっくりとこちらへ近づいてくる。

 その人物に気が付いた瞬間、少し胸が高鳴るのを感じた。

「こんにちは。先ほどぶりね」

「イルマ?」

 教会地区の中だというのに、ふらりと遊びにでもやってきたような、泰然とした態度に拍子抜けしてしまう。

「ここは綺麗な街ね。ロザーハイズあそこだって、別に悪い所ではないのだけど」

 それぞれ良さがあるものね、と微笑みながら、コンクリートで舗装された道を軽やかに歩く。同時に、彼女の美しい金の髪が風に揺れた。

「教会にね、鴉が来てたんだ」

 イルマはピタリと足を止め、こちらを振り返った。

「君じゃないよね?」

「……信用が無いのね。まあ、それくらい用心深い方が、こちらとしても安心ではあるけれど」

 ヴィンセントは我ながら馬鹿げたことを聞いてしまったと、己を恥じる。

 しかしイルマは嫌そうな顔をするどころか、どこか満足気に目を細めていた。

「ねえ、イルマ」

 彼女の名を呼ぶと、煙るような睫毛で縁取られた、赤い瞳と目が合った。緊張のせいか、喉が渇く。

「やっぱり、正直に話した方が良いと思うんだ。君のことも、やろうとしていることも、全部ね」

「……どうして?」

「隠しごとは苦手だし、君を危険に晒したくもないから」

 ヴィンセントの言葉に偽りはない。イルマの機嫌を取る為の方便などではなく、紛れもない本心だった。

「……優しいのね」

 微笑むイルマの瞳の奥で一瞬、寂しさが見えたような気がした。

「でも、きっと意味がないわよ」

 そして彼女は、ヴィンセントの瞳を見据えて、はっきりと言い放った。

「協定が結ばれて以降、お互い明確に協力関係を築かなかったでしょう。重い罪が課せられないとはいえ、私たちの関係は認められない」

 そう冷ややかに告げると、ゆっくりとヴィンセントに歩み寄る。身長差によって必然的に、彼の顔を覗き込む形になる。

「人間は誰しも、『理解できない』ものが耐えられない。だから攻撃する。たとえそれが正しくても、間違っていてもね。けれどあなたは、そんなことをする人ではないでしょう?」

 穏やかな声が、耳朶に触れる。

 彼女が求めているものは、ヴィンセント個人ではなく、内に宿る特異霊媒体質だ。

 けれども相手が期待を寄せているのなら、それに応えるべきだ。それが「正しい人間」の在り方だ。

「私たちは、これから仲良くしましょうね」

 神父の言葉が脳裏を掠める。

 恐らくイルマはまだ、多くのことを内に秘めている。彼の言う通り、深く関わるべきではないのだろう。

 それでも彼女を信じてみたい。彼女を、独りにしたくはない。

 そう感じてしまうのは、時折映る彼女の眼が、どこか物悲しい諦観に満ちていたからだろうか。

「仲良くって……具体的には?」

「そうね……まずはお茶でもしたいところだけれど、私、外で飲む紅茶は好きじゃないの。一先ず『仕事』を終えたら、私の部屋でゆっくり過ごしましょうね」

「うん。じゃあ、そうしよう」


 少女と青年。二人で共に閑静な住宅地を歩く。

 魔女と教会。本来相反する二つの世界が今、混じり合った。

 二人の背後で鳴り響く、教会の鐘の音。

 それは祈りの音ではなく、何かの警告を告げる鐘のように聞こえた。

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Hellish Heaven @shizaki29

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