第七話 ミレニアム・カレッジ

「君たちも既に聞いたことはあるかもしれないが、我々蛇十字協会と粛清教会は、かつて締結された秘匿協定により、黙秘・不可侵・相互理解という原則の下、秩序を維持しているんだ」

 扇形の教室の中、一人の教師が教壇に立ち講義を進める。しかしその内容は、些か特殊であった。

「教会は教義に背く異端を許してはいないが……この協定により、蛇十字協会に所属している者は、彼らの排除対象から除外されるんだ」

 一人の生徒が手を挙げる。

「蛇十字協会にも、逸脱者を罰する監視塔がありますよね?そうすると、その魔術師はこちらと聖統教会、どちらからも狙われるってことですか?」

「そう。協会に属さないノクセルペンティア及び魔術師は、粛清教会からも目を付けられることになる。これほど厄介なことはないだろう?『普遍社会』でもそうだが、『組織に属する』ということは、自分の身を保障するためでもあるんだよ」

 社会で生きるという事は、組織に守られて生きるということ。幼い頃から散々聞かされてきた話だ。

 教室の窓から外を眺める。ロンドンの空は、いつも灰色だ。

 退屈と憂鬱は、思考と精神を腐らせる。ルーク・エインズワースは講義が終わるや否や、逃げ出すように教室の外へと駆け出した。

 

 イングランドでも有数のパブリックスクール、ミレニアム・カレッジ。

 ミレニアム・カレッジは十六世紀頃、サザーク地区の旧エルドレッド公爵領城跡に建てられ、現在に至るまで多くの優秀な人材を育成している。

 ――表向きは。

 その実態は、魔術師の素養を持つ者に基礎教養と応用魔術を学ばせる教育機関。そして数多のノクセルペンティア、及び魔術師を擁し、それらの管理と魔術の保護・研鑽を目的とした組織、「蛇十字協会」の本拠地だ。

 貴族の所有地ともあって広大な敷地を持ち、残された旧城跡以外にも、様々な施設や建造物が軒を連ねている。

 資料館を装った人形工房。一般図書に混じって、数多の魔術書が収められた附属図書館。学舎と同じく、ゴシック様式の居城を改築した、魔女の巣窟でもある学生寮……。

 資料館と図書館は一般公開もされているのだが、カレッジの敷地全体に特殊な結界が張り巡らされている為、一般人は容易に侵入できない。実態を知られないため、ということが一番の理由だが、部外者を巻き込むのを未然に防ぐ意図もある。

 何にせよ、ここは開放的なように見えて、外部の人間を拒む孤城なのだ。

 

 学舎の中を生徒の合間を縫うように進み、エントランスまでやってきたところで事務員のクラークに声を掛けられた。

「おぅルーク。もう帰るのか?」

「いや、これから図書館の方に用事がある。……オフィディア、なんかまたデカくなった?」

「女性の体型に言及するなんて、紳士にあるまじき行為だぜ。ま、確かに先月測ったら、前より2㎏ほど増えたかな」

 ミレニアム・カレッジが他の教育機関と一線を画する点は、もうひとつある。カレッジ内で巨大なアミメニシキヘビを飼育していることだ。

 血の凍る話だろうが、アミメニシキヘビはその外見とは裏腹にあまり活動的ではなく、性格も比較的大人しいものが多い。

 ミセス・オフィディアはエントランスに設置された、ガラスを隔てた自室で静かに佇んでいる。いつ見ても凄まじい迫力だ。雰囲気だけで吞み込まれそうになる。

「そういや、次の議会に提出するモンは出来たのか?」

「いいやまだ。だから、資料を探しに行くとこ」

「そうかい。オレは魔術のことはよく知らんが、まあ頑張れよ」

 彼のような、魔術の素養は無くとも魔術師と通じており、尚且つ口の堅い人物もカレッジの一員となることを認められている。

 まあ、魔術師と関わっていながら、敵に回そうと考える人間などいないだろうが。

 

 学舎から出ると、背後を流れるテムズ川から生暖かい風が吹いた。結界には環境整備の効果も備えられているため、それを通していなければ悪臭で顔を顰めていたかもしれない。それでも十九世紀の大悪臭に比べれば、遥かにマシだろう。

 校名の由来でもある千年樹は、カレッジの住人を見下ろすように敷地の中心に聳え立っている。木々が齎す自然の安らぎは、生徒たちの憩いの場でもあった。今も樹の下で、談笑や議論に耽る者が集っている。ルークは彼らを横目に図書館までの道を急いだ。

 

 エントランス出入口から真っ直ぐ進むと、博物館のような建物が姿を現した。目的地であるカレッジ附属図書館だ。

 ルークは入り口から真っ直ぐ総合受付へと進み、司書へ要件を伝える。

「また悪魔学の資料かい?熱心だねえ。でもあんまり傾倒しすぎると、懲罰局に目を付けられるかもよ?」

「勘違いしないで欲しいんだけど、僕は単なる好奇心で首を突っ込んでるんじゃない。明確な目的と意思で動いてる」

「そうかい。なら、まあいいけど……」

 ルークは司書から提示された誓約書のようなものにサインをした後、カウンターから出てきた彼と共に、背後にあるエレベーターへと乗り込む。

 付属図書館の地上階には、一般にも流通している書籍が収められており、地下には魔術書などの所謂オカルト本がひしめいている。

 故にカレッジの学生……魔術師は必然、地下へと集まる。ルークも例外ではない。

 地下への出入り自体はカレッジの学生であれば自由なのだが、悪魔学についての本は、このように司書の許可と同行が必要になる。

 魔術師にとって、悪魔はけして嫌悪すべき異端ではない。しかし、悪魔を崇拝、及び悪用するのは罪にあたる。そんなことをすれば当然、聖統教会の粛清対象にもなってしまう。

 蛇十字協会において容認されているのは、悪魔との「契約」のみ。

 それ以上の干渉、及び濫用は魔術に手を染める人間にとっても許されないのだ。

 

 地下階へと降り立つと、古びた本特有の独特な匂いが鼻につく。ルークはこの辛気臭い香りを中々気に入っていた。元より文字は嫌いではない。

 司書と連れ立って地下図書館を進む。思っていたよりも来館者でひしめいており、目的の書架まで辿り着くのには骨が折れそうだった。

 館内は生徒たちの会話が疎らに飛び交っている。一般的に図書館での私語は厳禁だが、ここでは認められている。当然、限度はあるが。雑音など、魔術で遮断すればいいだけだ。

「でも君の家はホムンクルスの大家だろう?何だって悪魔なんかに関わろうとするんだい?」

 ルークの生家、エインズワーズは古くよりホムンクルスの生成を生業としてきた。協会でのホムンクルス製造の責任と方針については、現在までエインズワーズが全権を握っている。

「協会は悪魔を軽んじてる。契約である程度縛れるとはいえ、野放しにしておくべきじゃない。しかも最近じゃあ……」

「あ、あの」

 突如、一人の女生徒が話し掛けてきた。その少女はルークのよく知った顔で、友人と呼べる程ではないが、同学年ということもあり交流する機会は度々あった。

 彼女はそばかす顔の赤毛に、常に眉尻が下がっていて、何かに困っているような、怯えているような表情をしている女の子だった。著名な物語「赤毛のアン」の主人公を思わせる風貌だが、快活な彼女とは似ても似つかない。

「何?」

「あの、あなた宛に伝言を預かっていて」

 彼女から渡されたのは、一枚の手紙だった。

「?一体誰から……」

 ルークは訝しげに思うも、手紙を開封していく。開けた瞬間「何か」が起きたときの為に、最低限の防御魔術を施しながら。

 しかし封を開け出てきたのは、何の変哲もない便箋だった。どうやら、杞憂だったらしい。

 広げると、丁寧な筆跡で書かれた文章が目に入る。

 そしてその内容に、思わず顔を歪ませた。

「……はあ?何これ、どういうこと?」

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