第六話 計画

 部屋の窓からは、気持ちの良い朝日が差し込んでいる。その光は昨日の闇から一転して、清々しい気分にさせてくれた。

 イルマは椅子から立ち上がったかと思うと、窓辺へと移動する。彼女の髪は陽光に照らされ、一層輝いて神々しい雰囲気すら纏っていた。

「私の計画は至って単純。悪魔たちを、私が作った牢獄へ幽閉して、管理すること」

 逆光を背に語る彼女の表情は、影になって見えない。囁くようでいて僅かな威圧を含んだ声が、部屋に響く。

「悪魔には明確な『死』が存在しない。それなら、飼い殺しにしてしまえば良い。協会はその提案を受け入れてくれた。あそこも長らく、悪魔の扱いには手を焼いていたから。けれど計画というのは、成果を出さなければ意味がない。だから私はこの身体で可能な限り、悪魔を狩らなければならない」

 殺すのではなく、自らの手で管理する。いかにも魔女らしい。聖統教会には出てこない発想だろう。

「君は何故、そんなことをしようと思ったんだ?」

「高尚な理由でも必要?全ての物事に特別な意味なんてない。私のしていることだって、思い付きの暇潰しでしかない。私はただ、誰かの苦しむ姿を見たいだけ。悪魔に翻弄される愚かな人間や、自分たちは自由だと思いあがっている悪魔たちのね」

 そう言って彼女は嗤う。

 その姿はさながら、御伽噺に登場する悪い魔女のようだった。

 人間という生き物は、善悪で単純に分けることはできない。どんな人間でも何かしら善い行いはするし、多少悪いこともする。

 彼女はけして、善良な人間ではないのだろう。けれどルシファーと対峙した時のような、全身が相手を拒むような嫌悪感はなかった。

 それは、彼女が命の恩人……「善い行い」をしたからなのだろうか。


「失礼いたします」

 突如、室内にノック音が響く。二人で扉の方を見やると、一人の女性が姿を現した。

 ウェーブがかった銀の髪に、すらりとした長身。左目は前髪で覆われており、どことなくミステリアスな雰囲気を漂わせている。

「はじめまして。私、この館でイルマ様の補佐をさせていただいております、バールベリトと申します」

 女性は恭しく挨拶をし、一礼する。

 彼女の動作は非常に洗練されており、まさに奥ゆかしい淑女といった女性だった。

 彼女はヴィンセントの方へ歩み寄ると、形の良い眉を下げ、困ったような仕草をする。そんな所作も上品で、思わず魅入ってしまう。

「ルシファーに目を付けられるなんて、災難でしたね」

 まるで世間話でもするような、ゆったりとした口調だった。

「彼女は悪魔よ。訳があって傍に置いているの」

 イルマにあっさりと正体を告げられて尚、彼女は笑顔を絶やさない。先程まで嫋やかに思えた目の前の女性が、一瞬にして恐ろしく感じた。

「……驚いた。君は悪魔の割に、かなり良識がありそうだね」

「そう、でしょうか?確かに私たち悪魔にも『個性』というものはありますので、それぞれ気質は千差万別です。人間の皆様と同じように」

 バールベリトは教壇に立つ教師のように諭す。

「それでも『人間を傷つけたい』、『殺したい』という悪魔は稀なのですよ。私たちは純粋に、興味があるだけなのです。人間という生き物に。あなた方の中にも、昆虫や魚など他の生き物や、宇宙人などの地球外生命体に関心のある者がいらっしゃるでしょう?それと同じことなんです」

 ヴィンセントは彼女の言葉を聞いて、少し寒気がした。

 どれほど人の姿を真似ようと、所詮彼らは人ではない。何か決定的な「ズレ」がある。

 ヴィンセントの手は無意識に、腹部に巻かれている布へ触れた。通常の包帯のザラついた感触とは違い、それはつるりと手のひらを滑る。

「ああ……もう傷は塞がっているようだから、それはもう取らないとね。少し大人しくしていてくれる?」

 ヴィンセントはイルマの指示に、従順に応じる。まるで犬だな、と内心自嘲気味に笑う。

 彼女の手がヴィンセントの身体に触れると、微かなエタノールの臭いと、薔薇に似た甘い香りが鼻孔をくすぐった。

「イルマ。僕はこのことを報告しなくちゃならない。その牢獄とやらを実際に見せてもらうことは出来る?」

「残念だけど、それは出来ないわ。というよりも、『見せられない』。概念体を閉じ込める『概念』だから」

「それは……難しい話だな……」

「今は全てを理解しなくてもいいの。それに、あなたは事実、のだから、何も言わなくていいんじゃない?」

「……」

 納得できるような、できないような中途半端な心持ではあるが、昨日から様々な出来事が重なったこともあって、思考がこれ以上何かを考えることを拒否していた。それに生憎、自分は口が上手い性質でもない。

 結果、彼女に上手く言いくるめられる形となってしまった。

 

 ヴィンセントはベッドから起き上がり、いつもの制服に着替える。あの黒い犬に食い破られた筈のそれもすっかり修復されており、むしろ皺ひとつ無くなってさえいる気がした。

「それも治してあげたわ。大事な仕事着でしょう?」

「なんだか、何から何まで申し訳ないな……」

 ありがとう、と感謝を述べ、袖を通す。人間の心理というのは不思議なもので、この服を着ただけで気分が引き締まるのを感じた。

「私がそうしたかったから、そうしただけ。これから一緒に『仕事』をする相手が、みすぼらしい恰好をしているのは堪えられないもの」

 ――そうか。そういう、ものなのか。ヴィンセントは少し落ち込んだが、すぐに平常心を取り戻す。

 一先ず館から出ようと部屋の入口へと向かう。直後、「ねえ」とイルマに呼び止められた。

「あなた、ここまでの道のりは覚えているの?」

 言われてヴィンセントは、ここに来るまでのことを思い返した。

「……楽に帰れる方法、あるかなあ」

 その答えを待っていたのか、彼女はヴィンセントの横を通り過ぎ、部屋を出る。ヴィンセントもすぐさま、その後に続いた。

 バールベリトは何が楽しいのか、にこにこと機嫌が良さそうに笑っていた。


「魔術ってね、万能ではないけれど便利なのよ」

 イルマに案内された先は、昔の手動開閉式のような古めかしい作りのエレベーターだった。真っ黒なそれは、まさに牢獄を思わせる。

「本来は館の地下に繋がるものなのだけど、それだけでなく『いろんな場所』へ繋がるようにしたの。もちろん、限度はあるけれどね」

「つまり、これに乗って帰れってこと?」

「そう。でも一人じゃ不安だろうから、私も付いていってあげる」

 年の離れた少女に心配され、なんとも複雑な気持ちになった。しかし彼女の好意を無下にするわけにもいかない。

 イルマはエレベーター横にある、羅針盤のような装置を動かしている。すると、蛇腹式の扉が二人を招き入れるように開いた。

「さ、入って」

 イルマに催促され、暗い中へ足を踏み入れる。彼女もそれに続いた後、エレベーターは静かに下降を始めた。

 

 エレベーターの駆動が、身体を僅かに揺さぶる。

 二人のいる籠の中は、心もとない小さな電球で照らされているのみだ。

 魔術による転移、と言えば聞こえは良いが、絵面としては少々華やかさに欠けるだろう。

「魔女って箒に乗って移動するものだと思ってたな」

「……魔女に対するイメージが随分と古典的ね。教会にいる癖に」

「そりゃあ、こうして実際に会うのは君が初めてだから」

 イルマは少し、驚いたような顔をしたかと思うと、即座に取り澄ました表情へと戻った。

 そんなことを話している間にも、エレベーターは闇の中を進んでいく。

 道中には、何も無い。何も見えない。

 今更彼女を疑うつもりはないが、これで本当に目的地へ辿り着けるというのだろうか。

「なんだか昨日から、ずっと暗闇の中を進んでいる気がするなあ」

 今日までの出来事を思い出し、ヴィンセントはひとりごちた。

「怖いの?」

「いや、そういうわけじゃないけど……」

 がこん、と大きな音が響き、足元に微かな衝撃を感じたかと思うと、エレベーターは停止した。

 扉が開き、その隙間から光が差し込む。

 眩しさの中目を開くと、前方には見慣れた街並みが広がっていた。

 呆けているとイルマに背中をとん、と押され、へと降り立つ。

「さようなら」

 振り向くと、イルマは右手をひらひらと動かし、ヴィンセントにささやかな笑顔を向けている。

 放心している間、再度扉はゆっくりと閉まっていき、彼女の姿を覆い隠していく。しかしそれはエレベーターの扉ではなく、なんてことのない、錆びた鉄扉だった。

 最後に扉が閉じる音だけが、妙に耳に残った。

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