第二話 悪魔の牢獄
黙示録の獣。
かの聖人が最後の著書に記した、世界に終末を齎す四体の獣の総称。それはこの世のあらゆる「悪意」を呼び水として顕現するという。
その終末の預言を信じ、そして阻止する為、聖統教会を束ねる教皇によって設立された組織が「粛清教会」だ。
しかし現代の人々は皆、聖職者でさえも悪魔や獣の存在を信じているわけではない。そんなものは所詮、映画や小説の中だけの話。それが一般的な認識だ。
教会にも面目というものがある。下手に人々の恐怖や不安を煽るような真似はできない。実在性の曖昧な「人ならざる存在」を語り、信用を失墜させるなど、あってはならない。
故に、教会は「影」を欲した。
「人ならざる存在」を排除する為の「影」を。
表では信徒の模範として活動し、裏では人知れず異端を狩る。
それが教会なりの、「社会での在り方」だった。
「悪意」とは「異端」。
「異端」とは「神に反するもの」。
魔女、悪魔、妖精……教義に反する異端を、粛清教会は悉く排除してきた。その歴史は、血と暴虐に塗れている。
魔女は死ぬ。異教徒も死ぬ。
ただし、悪魔や妖精は死なない。何故なら、彼らには「死」という概念が存在しないからだ。
その中でもとりわけ、悪魔は非常に厄介な存在だ。
人々を誘惑し、堕落させ、神を冒涜するもの。
「奴らは良く言えば、無邪気で純粋なだけだ。子供の無邪気さに、大人が時折恐怖を覚えることがあるだろう。子供は親から教育を受けることで正しく成長する。当然、悪魔には親など存在しない。奴らにはそもそも、社会という概念が無い。その上誇り高い信念も、気高い志も無い。それぞれが無軌道で、勝手気ままに生きている、解除装置の無い爆弾のようなもの。それが、悪魔」
純粋すぎる狂気は、ある種人々を魅了する劇薬だ。
人間は欲を捨てぬ限り、恐ろしいほど無意識に悪魔に惹かれ、堕落させられるのだ。
故に注意しなければならない。
今も悪魔は、人間を「見ている」。付け入る隙を狙い、あなたの全てを、残酷に破壊する。
◇
目的地のロザーハイズまでは、現在いるサザーク区からだとロンドン・ブリッジ駅を利用するのが手っ取り早いだろう。
教会区域が背後に遠ざかるにつれ、現代都市のざわめきが静けさを打ち破る。ツーリー・ストリートを抜けると、巨大なロンドン・ブリッジ駅が姿を現した。
この付近は観光地が多く、連日観光客で賑わっている。マザーグースの代表的な童謡によって知られるロンドン・ブリッジ。左右にあるゴシック様式の塔から、ロンドン市内を一望できるタワー・ブリッジ。そしてそれらの下を流れるテムズ川の北側には、かつてこの地を護るために建設された要塞であるロンドン塔が、その威厳を示すように佇んでいる。
しかしロンドン塔には、歴史に暗い影が差している。王宮や造幣局の役割を持っていた一方で、監獄及び処刑場としても使用されはじめて以降、数多の権力者達の亡骸を積み上げた。
現在では、この国の長い歴史を知るには欠かせない観光地名所として人気を博している。
ヴィンセントは、ロンドンに来て一度も足を踏み入れたことはない。今尚ロンドン塔の地下に眠る亡霊が、一斉に目を覚ましてしまいそうだから――。神父達と雑談中、半分冗談交じりでそんな話をしたことがある。あまりウケはよくなかったが。
ロンドン塔に関してもうひとつ、思い出したことがある。
ロンドン塔の地下には、魔女達の集会場があるという。通りすがりの観光客にそんな話をしようものなら、鼻で笑われてしまいそうだ。かく言うヴィンセントも、迷信染みた話だと思っている。
ヴィンセントは、魔女に出会ったことはなかった。父からも、彼女たちについては全くと言っていいほど話を聞いたことがない。
魔女は蛇のような赤い瞳を持つという。その眼は一種の魔性を放っており、他者を惑わせるとされているが、本当かはわからない。
他人からすれば妖精や悪魔こそ空想上の生き物であるのだが、ヴィンセントにとっては自身の目で見たことが無い以上、彼女たちは御伽噺の世界の住人だった。
ロンドン・ブリッジ駅の構内は、行き交う人々のざわめきと車両の発車を告げるベルで満ちていた。切符を改札に通し、ホームに滑り込んできた電車へと乗り込む。都市部は電車の本数が多くて大変便利だ。わざわざ時間を気にしなくて済む。
因みに交通費は全額自費である。ウィリアムから聞いたことがあるのだが、一般社会では「経費」というシステムがあり、業務上発生した支払いは勤めている会社が負担してくれるらしい。羨ましいことだ。
神父やシスターであればある程度支援があるのかもしれないが、粛清教会は正式な聖職者の集まりではない。ある程度行動の自由は認められているとはいえ、その分制約も多いのだ。全く、組織というのは上手く作られている。
ここからロザーハイズまでは、然程時間はかからない。しかしひたすら無心でいるというのも気が引けたので、ヴィンセントは到着するまでの間、依頼された件について振り返ることにした。
事は数か月前に遡る。
ロンドン郊外で「悪魔憑き」が発生し、
その悪魔祓いの最中、相対していた悪魔が不意にこんなことを語りだしたのだ。
「ロザーハイズの森の奥にある、廃棄された植物園を知っているか?あそこには『面白いもの』がある。お前達も、きっと気に入るぞ」
注意を逸らす為の方便という可能性もあったが、神父はその話を追求してみることにした。悪魔は終始煙に巻くような態度であったが、結果的に神父は重要な情報のみを聞き出し、悪魔祓いも難なく遂行することでこの一件は落ち着いた。
悪魔の言う「面白いもの」とは、「牢獄」らしい。それも、悪魔を閉じ込める牢獄だというのだ。
教会はこの証言に基づいて、早速調査を開始した。
現地調査や住民への聴取は「上」……神父達で組織された
しかしこれといった収穫も無く、大元の証言自体かなり曖昧かつ発言者が信用ならない悪魔ということもあり、最終決定権を持つ司教も承認を出しかねて保留になっていたのだ。
それが先ほど司教直々に、ヴィンセントへ指令が下された。……体よく使われた、とも言うが、元より自身が撒いた種ではあるので、文句を言うのもお門違いだろう。
肝心の植物園については、大まかな場所と名前しか知らされていない。というより、その程度しか情報が得られなかったのだ。
「グリムローズガーデン」。
かつては市民に開放されていた私設庭園であったが、維持費不足により閉園。それ以降は手入れもされずすっかり朽ち果ててしまい、最早誰も立ち寄らないどころか、周辺の住民も存在すら知らない者が多いという。
――なるほど。事の発端としては「いかにも」な場所だ。
悪魔の牢獄。本当にそんなものがあるのだろうか。ヴィンセントは粛清教会の使命とは別に、純粋な好奇心を抱きはじめた。
一体誰が作ったのか。それは人の手に負えるものなのか。
それを、この目で確認する必要があるだろう。
電車は暗いトンネルを突き進む。薄暗い車内の窓に、うっすらと乗客の姿が反射していた。
日常的な風景である筈なのに、この時ヴィンセントにはそれが、地獄への道を進む亡者達に見えた。
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