1-7 英雄リュシアン、その名は緑の風と共に
ーー王国歴142年8月3日 5:45
聞き慣れた、いつものうるさいサイレンが俺たちの眠りを引き裂いた。
目を開けると、俺の上で寝ていたアスカも珍しくこの時間から起きている。
「おはよう、レイル」
欠伸混じりにそう言われ、俺も釣られて大きく息を吐いた。
「……うぉあー」
結局、いつも通りだ。
俺たちは黙々と王国兵士の制服に着替え、グラウンドへ向かった。
整列。
そして、いつも通りのラセルのうるさい話。
「本日の訓練は休みだ!!」
一瞬、場がざわつく。
「レガルドに来て初めての休息日だ。お前たち、ゆっくり休め!」
そう言ってラセルは、いつものようにグラウンド隅の小屋へ向か――
……かけたところで、立ち止まった。
そして、俺とアスカの前に来る。
「お前たちは、本日の休息日はなしだ」
「なんでだよ長官!!」
即座に噛みつくアスカ。
ラセルは呆れたようにため息をついた。
「前回のテストの褒美だ。9時にチーム全員揃って、グラウンドに集合しろ」
それだけ言い残し、今度こそ小屋へ向かって歩いていった。
「レイル!」
アスカが振り返り、目を輝かせる。
「褒美ってことは……リュシアンに会えるんだな!」
その名前に、俺の胸も少しだけ高鳴った。
――リュシアン。
王国軍の中でも英雄と呼ばれる存在。
王国の民を守り続けてきた、生きた伝説。
正直、どんな人物かは知らない。
それでも――
一度でいいから、その姿をこの目で見てみたい。
そんな予感だけは、なぜか確信に近かった。
ーー王国歴142年8月3日 9:00
俺たち五人は、グラウンドに集まっていた。
……アスカを除いて。
「ねぇアスカ!走り回るのやめて!落ち着かないでしょ!」
カレンが苛立った声で注意するが、アスカは聞いちゃいない。
それを見て、アルトが腕を組む。
「ふむ……アスカくんは相当リュシアン様に憧れているようですね。彼は生きる伝説。無理もありません!」
そう言うアルトの足は、小刻みに震えていた。
――ああ。
こいつも落ち着いてないな。
「アスカ。長官、いつ来るかわかんないから整列して待とう」
俺が声をかけると、アスカは勢いよく返事をし、
見たことがないほど真面目に直立した。
それを見て、ミレアがいつものように静かに微笑む。
数分後――
グラウンド隅の小屋の扉が開いた。
現れたのは、いつもの兵装ではなくスーツ姿のラセルだった。
ラセルは俺たちのもとまで小走りで来ると、息を整えながら言った。
「すまない、遅くなった。スーツを着るのが久しぶりでな」
そう言って、深々と頭を下げる。
「私が遅れたせいで、走って城へ行っては間に合わん。馬車を呼んだ。これに乗るぞ」
その言葉に合わせるように、
グラウンドの端から馬車が走ってきて、俺たちの前で止まった。
ラセルが先に荷台へ乗り込み、俺たちに手で合図する。
五人全員が乗り終えたのを確認し、
馬車は静かに城へ向けて走り出した。
馬車の荷台から外を眺めると、つい先ほど兵舎を出発したばかりだというのに、すでに商店街を抜け、落ち着いた住居区画へと入っていた。
「あと十分もすれば城に着く」
ラセルはそう言って、流れていく景色に目を向ける。
馬車は歪な石畳の上を、ガタガタと音を立てながら進んでいた。
「いいだろう、馬車は」
ラセルはどこか満足そうに言う。
「龍脈車では味わえない。……この心地よい揺れがな」
そう言って目を閉じる。
その様子を、アルトが物珍しそうに眺めてから口を開いた。
「長官。今どき馬車とは、少し珍しいですね」
「龍脈車は便利だが」
ラセルは目を閉じたまま答える。
「どうにも肌に合わん」
そう言ってから、ふっと視線だけをアルトに向けた。
不意に見られ、アルトは一瞬肩を揺らす。
「ところで」
ラセルは話題を変える。
「お前たちの班だが……ミレアが竜核を最後に私へ届けた。そこに至るまで、どのように運用していた?」
その瞬間だった。
「レイルがめっちゃ持ってくれて!マジですごかったんだよ!」
アスカが勢いよく身を乗り出して答える。
あまりの即答ぶりに、ラセルはわずかに身を引きながらも頷いた。
「……そ、そうだったか」
そして続ける。
「では、誰が全体を仕切っていた?」
「それもカレンがやってくれたんだ!本当にすごくてさ――」
アスカの仲間自慢は止まらなかった。
ラセルは目を閉じたまま、ただ黙ってそれを聞いている。
周囲を見渡すと、
カレンは呆れたように視線を逸らし、
アルトはどこか誇らしげに胸を張り、
ミレアは少し照れたように微笑んでいた。
そんな平和な空気のまま、馬車はいつの間にか城門の前へと到着していた。
「――貴様ら、何者だ」
低い声。
門番の兵士が、銃のような王国兵器を構え、馬車の荷台を警戒している。
「すまない」
ラセルが静かに言う。
「少々、強引な登場になってしまったな」
そう言って、真っ先に馬車から降りる。
その瞬間だった。
門番は構えていた王国兵器をすっと下ろし、表情を一変させた。
「なんだ、ラセルさんでしたか。本日はどのようなご用件で?」
……え?
急な態度の変化に、俺は内心で首を傾げる。
――ラセルって、そんなに偉い人だったのか?
そう考えていると、ラセルが振り返り、俺たちに降りるよう合図した。
「こいつらを、リュシアン殿のところへ連れて行く」
淡々とした口調で続ける。
「恒例の“あれ”だ」
「ああ……」
門番はすぐに察したように頷く。
「リュシアン様、本当にお好きですよね」
そして、馬車から降りた俺たちを見て、和やかな笑顔を向けた。
「リュシアン様の人柄、しっかり見てくるといい」
俺たちは軽く会釈をし、ラセルの後に続いて城の中へと足を踏み入れた。
城内懇親の間
俺たちはラセルの後ろについて城の中へ入った。
よく分からない階段や廊下をいくつも抜け、かなりの時間歩いた末、案内された部屋で椅子に座る。
俺たちが腰を下ろしたのを確認すると、ラセルは何も言わず部屋を出ていった。
「……なんだか緊張するね」
ミレアが小さく口を開く。
普段あまり喋らない彼女が声を出したことで、逆に場の空気がほぐれたのか、ガタガタ震えていたアスカとアルトもようやくいつもの調子を取り戻した。
「ここは応接間、というやつでしょうか。さすがレガルド城です」
アルトはきょろきょろと周囲を見回す。
「僕たちの部屋の、ゆうに五十倍はありそうですね」
「やっとリュシアンに会えるんだな……ここまでの一か月、長かった」
アスカが珍しく静かな声で呟く。
その様子がおかしくて、俺はつい指でちょっかいをかけた。
「アスカらしくないぞ」
「レイル、何するんだよ! たまには感情に浸ってもいいだろ!」
「ちょっと! リュシアン様が来たら、ちゃんと礼儀正しくしてよ!」
カレンの声に、ミレアがいつものように微笑む。
結局、俺たちはどこにいても騒がしいらしい。
——その時だ。
突然、勢いよく扉が開いた。
俺たちは一斉に口を閉ざし、息を呑む。
静寂。
ほんの数秒のはずなのに、一生にも思える沈黙のあと——
現れたのは、ラセルだった。
「なんだよ、長官かよ……」
アスカが思わず漏らす。正直、俺も同じ気持ちだった。
すると、扉の奥から、穏やかで、それでいて芯のある声が響いた。
「いいね、ラセルさん。みんないい子そうだ」
そう言って姿を現した男は、明らかに普通の兵士とは違っていた。
長い緑色の髪。腰に下げた剣。そして肩に備えられた、小さな謎の兵器。
「やぁ、みんな。僕の名前はリュシアン。今日はよろしくね」
二十代にも、六十代にも見える。
若さと貫禄を同時に纏ったその姿に、俺たちは言葉を失った。
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