1-3 連携力の試練と、英雄への片道切符

 ――王国歴142年7月3日 5:45。

 昨日、危うく命を落としかけた兵士がいたというのに、兵舎には容赦なくサイレンが鳴り響いた。同じ部屋に寝かされているんだから、こんな大音量で叩き起こす必要なんてないのに。王国は本当に律儀だ。


「おいレイル。立てるか?」


 眠い目をこすって顔を上げると、赤い髪を逆立てたアスカが立っていた。昨日あれだけボロボロにされたとは思えないほど元気だ。


「今日は起きるの早いんだな」


「当たり前だろ!昨日、魔族にボコボコにされたんだぞ。まずは昨日の自分を超える!強くなるために、寝坊なんてしてられねぇ!」


 言うが早いか、アスカは俺を置いてさっさとグラウンドの方へ走っていった。

 王国兵の制服のまま倒れていたはずだが、汚れや血のシミなんて気にならないんだろうか。そんな疑問を抱きつつ、俺はベッドの下に丁寧に畳まれていた予備の制服に着替え、後を追う。


 グラウンドに出て整列すると、昨日は聞かなかった朝六時の鐘が鳴り響き、鳴り終わった瞬間、ラセルが前に出て声を張り上げた。


「新兵のみんな、おはよう!! 君たちは昨日、こっぴどく魔族にやられながらも、今日また立ち上がり、この場に来た!! まずはその勇気を讃えよう!!」


 ラセルは大きく手を叩き、俺たちに最大限の拍手を送った。


「勇気は讃えよう。しかし——昨日の戦いは非常に残念だった。君たち百人が協力すれば、わずかとはいえ勝てた可能性はあった。だが、協調力のかけらもなかった。それが何より残念だ!」


 周囲がしんと静まり返る。

 そりゃそうだ。初めて魔族を見て、命の危険を味わって、それで怒られるなんて理不尽だと誰もが思ったはずだ。


「昨日の訓練で、君たちに足りないのは“連携力”だと確信した! よって今日から一ヶ月後、君たちの友情と結束を試す! 百人いるから……そうだな、五人一組でチームを組ませる!連携力を競ってもらう!」


 ラセルは一瞬だけ口元を上げた。


「そして、頂点に立った者には——褒美と、英雄リュシアンとの面談を認める!! これが最初の訓練だ!」


 隣のアスカを見ると、魂が抜けたような顔をしていた。

 強くなると誓った男が、こんな“友情試し”みたいな訓練を真面目にやるわけ……と思った瞬間、アスカは俺の襟をガッと掴んだ。


「おいレイル!聞いたか!?英雄リュシアンと会えるんだ!! 内容はよくわかんねぇけど、とにかく一位になるしかないだろ!!」


 完全に興奮しているアスカに振り回されながら、俺は必死で相槌を打つ。

 ラセルは、どこか掴みどころのない男だ。

 でも、この訓練にもきっと何か意図がある——そんな気がした。


 だから、俺はアスカと一緒に、真面目にこの訓練を受けてみようと思った。


 朝礼が終わり、俺たちは初めて兵舎に併設された食堂へ向かった。

 兵舎に着いて三日目で、ようやく食堂に来るというのは──正直おかしい。俺も思う。


「おお〜!見たことない食い物がいっぱいあるぞ!」


 アスカが俺の横で目を輝かせてはしゃいだ。

 視線の先を見ると、確かに見たことのない料理ばかりが並んでいる。魚が乗った米、丸揚げにされた鳥(あれはアヒルか?)、棒に刺さった謎の肉……どれも匂いだけで腹が鳴りそうだ。

 

「なんだこれ……すごい!すごいぞアスカ!」


 俺が興奮して声を上げると、アスカは急に落ち着いた声で説明を始めた。


「あ〜、レガルドは俺らの村や町より発展してるからな。食材も豊富なんだろ!とにかく食おうぜ!」


 アスカは料理が並ぶ大皿へ歩き、周りの兵士の動きを真似しながら料理を皿に盛った。


「こうやって取るんだよレイル。田舎出身だから知らなかっただろ?……ほら、早く行けよ。俺はあそこで座ってるから!」


 そう言って席へ向かうアスカを見送り、俺も串に刺さった肉とパンを食べれる分だけ取り、アスカの隣に座った。


 食べながら二人で話していると、茶色のショートボブを揺らしながら歩く女がアスカの目の前に座り込んできた。


 座るなり、俺たちに向かって放った言葉はこれだった。


「あんたらのこと見てたぞ。……二人ともバカだろ?」


 あまりに唐突な悪口に、俺は一瞬固まり、アスカは口の中のものを慌てて飲み込んで反撃した。


「何がバカだよ!バカって言うほうがバカなんだぞ!」


「ほら見ろ。やっぱりバカじゃん!」


 女はケラケラと笑った。

 周囲の兵士たちは、俺たちのほうをちらちらと見たり、面倒ごとを避けるように席を離れていった。


 笑い終えた女は、今度は俺たちを順番に指さして言った。


「そっちの銀髪がレイル。んで、赤髪がアスカ!」


「どうして俺たちの名前を知ってるんだ?」


 俺が聞き返すと、女は口元をニッと上げ──


「そりゃ、お前らのことが好きだからだよ!」


 俺とアスカの時間が止まった。

 生まれて初めて、異性から“好き”と言われた。いや、意味は違うんだろうけど……心臓が変な跳ね方をした。


 固まる俺たちを見て、女はまた笑い出した。


「ははは、反応が最高だな!あたしはカレン。こういうバカと仲良くなりたかったんだよ!」


「これからよろしくな、カレン!!でも俺たちのことバカにすんなよ!」


「バカなんだから仕方ないでしょ。……あんな訓練で、みんなを守るために動くなんてさ。」


 アスカとカレンはにこやかに話しはじめた。

 俺もカレンに挨拶をし、それから三人での食事を楽しんだ。


 食事を終えると、兵舎の教室でラセルによる座学が始まった。これが三週間も続いた。

 内容は王国の歴史、王国軍の構成、規律、兵士としての心構え……退屈なものばかりだった。


 眠気と戦う俺をよそに、アスカは毎日寝て、毎日ラセルに怒られていた。

 カレンはつまらなそうにしながらも、淡々とメモを取っていた。


 ——あの頃の俺は、教えられていることの意味なんて全然理解していなかった。

 後になって悔やむことになるとは、この時は思いもしなかった。


  ーー王国歴142年7月25日 5:45


 相変わらずうるさいサイレンが鳴り響く。

 8時から座学なんだから、こんな時間に起きる必要はないだろ……と思いつつ、ゆっくり起きる。


「おいアスカ、行くぞ」


「……あとすこし」


 まともに起きる気のないアスカを置いて先に着替え始める。俺が制服に袖を通し終える頃、アスカは急に勢いよく起き上がり、慌てて支度し始めた。


「おいレイル!昨日起こしてって言っただろ!」


「起こしただろ?」


 笑いながら部屋を出てグラウンドへ向かう。


 すでに数人の兵士とラセルが整列していた。俺も列に並び、6時を待つ。

 57分になるとカレンが列に加わり、ギリギリにアスカが駆け込んできた。


 ラセルが前に立ち、声を張り上げる。


「おはよう!本日は座学ではなく訓練を行う!8時にグラウンドに集合だ!」


 短い説明を残し、ラセルは去っていく。内容は薄いが、座学ではないというだけで胸が高鳴った。


「とうとう来たか……!」


 思わず拳を握りしめる。そんな俺の背後からカレンが声をかけてきた。


「お、レイルやる気じゃん?」


「やる気くらい出すだろ!」


「そんな怒るなよ。今日はからかってるわけじゃないって」


「おいレイル!聞いたか!!訓練だってよ!」


 アスカが割り込んでくる。


「訓練なんて怖くない!俺とレイルは命をかけて戦った戦友だからな!」


「はいはい、そうですねー」


「またバカにすんのか?」


 アスカとカレンのやり取りに、俺は静かに笑った。


 いつも通り食事を終えた俺とアスカは、8時まで胸の高鳴りを抑えきれず、二人でグラウンドを走ったり、屈伸や股割りをしながら時間を潰していた。

 すでに準備運動という域を超えている。


 7時半ごろ、グラウンドの隅にある小屋からラセルが姿を現した。

 準備運動に励む俺たちを一瞥することもなく、いつも朝礼で立つ位置へ移動し、腕を組んで仁王立ちになる。


 そして8時。

 新兵たちはいつも通りグラウンドに整列した。


 1時間近く準備運動をしていた俺たち二人は、すでに疲れ果てていた。

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