第3話 Blanches
プリュムはシニエとともに、
true writerのもとへ向かった。
背中には布に包んだ一枚の絵を背負っている。
そこは街の中心にある施設。
争いのない世界では犯罪も起こらない。
警備という概念自体もすでに過去のもの。
誰でも、何の制限もなく出入りできる。
「これも本当は相当おかしいことなんだけどねぇ」
「何が?」
「こんな世界の中枢に、誰でも普通に入れることよ」
「……そうなんだ」
言われて初めて、疑問が生まれる。
今まで疑いもしなかったことを、疑問として認識する感覚。
それに戸惑いながら歩いているうちに、二人はすんなりとtrue writerの前に辿り着いていた。
そこには、光り輝く大樹のような存在があった。
近づいてみると、それは一本の幹ではなく、無数の細い光の糸が絡み合い、巨大な形を成しているのだと分かる。
その荘厳さは、隣を歩くシニエよりも、よほど神の存在を信じさせるほどだった。
true writerの根元には、いくつもの水晶のような球体が浮かんでいる。
それぞれの前で、魔法使いたちが慎重な手つきで魔力を操作していた。
「あの人たちは?」
「魔法使いよ。
その水晶に、いろんな情報を送り込んでるの」
「情報?」
「人々の記憶や経験や知識。
それに占いの精度を上げるための研究成果とかね」
「へぇ、そこから端末を通して教えてくれるわけか」
「ええ、それ自体は、確かに正しい知識よ」
シニエは一拍置いてから続けた。
「でもね、その知識を受け取った人間は、
知ったつもりになるだけ。
それで満足して終わり。
そこには本人の体験が伴わない」
「また難しいこと言ってるな」
「じゃあ、簡単な話をするわ」
シニエは少しだけ歩調を緩めた。
「あなた、料理はしたことある?」
「あるけど。true writerにレシピを聞いて」
「それ、美味しかった?」
「まあ、それなりかな。
美味しくなかったのもあるけど、
大外れってほどじゃない」
「それが体験よ」
シニエは言い切った。
「人は体験から学んで次に活かす。成功も、失敗も。
料理が不味かったら、何が足りなかったのか考える。
次は調味料を調整する」
プリュムは黙って聞いている。
「でも、あなたたちはそうしない。
自分には合わなかったと割り切るの」
「……確かに、そうかもしれない」
「別にね、true writerから知識を得ることが
悪いわけじゃないの」
シニエはtrue writerを見上げた。
「ただ、使い方次第…それだけよ」
そんな話をしている時、一人の魔法使いが話しかけてきた。
「あなた達はどう言ったご用件で?
今日の小章には記されていませんが……」
「ちょっとした見学よ。
ダメなの?」
やや威圧的な態度でシニエは返す。
「い、いえ……
ただ、予定にない場合、どうしたらいいか……」
魔法使いはおどおどとしていた。
true writerの未来に記されない。
それだけで、人はこうも不安に駆られる。
次第に他の魔法使いたちも集まってくる。
しかし、予定にない訪問者を前に、彼らはうろたえるばかりで、誰一人として解決策を出そうとしない。
いや、出せないのだ。
「揃いも揃って鬱陶しいわね!
アレに聞いてみたらどう?」
シニエはtrue writerを指差した。
「おお、そうだ、その通りだ!」
魔法使いたちは一斉にtrue writerのもとへ駆け寄り、慌ただしく作業を始める。
やがて、true writerの根元に光の穴が開いた。
その事態に彼らは更に慌てふためく様子だった。
「行くわよ」
それを尻目に、シニエはプリュムを促し、その穴へと向かう。
光の穴を潜ると、そこは下へと続く階段だった。
周囲は明るいが、どこか透明な膜に包まれた、不思議な空間が広がっている。
しばらく降り続けると、
小さな部屋ほどの空間に辿り着いた。
そこには、一脚の椅子に腰掛けた老人がいた。
「久しぶりね、ルリュール」
ルリュールと呼ばれた老人は、ゆっくりと顔を上げる。
「久しいな小娘。
今日は何の用だ?
これを壊しにきたか?」
「そんなの出来ないのは
あんたの方が分かってるでしょ?」
「えっと……知り合い?」
戸惑うプリュムに、シニエは一拍置いてから説明する。
「彼はルリュール。
昔、魔王を倒した英雄の一人。
そして、true writerを造った賢者よ」
「true writerを造った!?」
「若者よ、そんなに驚くことではなかろう。
それに、きっかけを造ったのはワシだが、
造り続けているのは今の人間だ」
「ルリュールって……何歳?」
「はて、数えるのはもう辞めた。
なんせ、不老不死なもんでな」
「不老不死!?」
「また驚きおって……。
賢者なら不老不死ぐらいおるわ。
とりあえず、座ったらどうだ?」
ルリュールが指を鳴らすと、二つの椅子が現れた。
二人はそれに腰を下ろし、話は続く。
「で、何しに来た?」
「それはもちろんtrue……」
「わしは若者に聞いている」
シニエは不満そうに口をつむぐ。
「大体は分かっておる。だが、ワシは
今の時代を生きる人間の言葉を聴きたい」
ルリュールの眼差しは穏やかだが、
威圧感にも似た凄みを宿していた。
「若者よ、お主の大章に記された職業は?」
「道具屋…」
「不満か?」
「全く…」
「考えたことはないか?
自分の未来がもっと華やかで、
権威のあるものだったらと」
「いや、全く…」
「だろうな。
そうでなければ、争いのない平和な世界など無理だ」
ルリュールは静かに続ける。
「だが、この職業適正は実に単純な仕組みになっとる。
体格や運動神経が良ければ戦士。昔と違って魔物も今や脅威ではないがな。
魔法の素養があれば魔法事務、または技術職。
true writerの整備をしておる者を見ただろ、あんな感じだ。
手先が器用なら芸術家。感性は必要ない。
家系が政治家なら政治家。もはや彼らは考える必要もない、ただのtrue writerの代弁者だ。
こんなもの、昔の人々なら暴動が起きとるわ」
プリュムとシニエは、黙ってその話を聞いていた。
「だが、これが人々が迷わない、確実な物語。
true writerはそれを書き記す。
人々はそれを受け入れた。
若者…
お前はtrue writerはこの世界に必要と思うか?」
プリュムは考えた。
何かについて、ここまで真剣に考えるのは初めてかもしれない。
迷いながら、ゆっくりと口を開く。
「俺はtrue writerが無い世界は怖い。
多分、他の人もそうだと思う」
ルリュールはじっとプリュムを見つめ、その言葉を遮らずに聴いていた。
「未来が決められてたら楽だし安心だし。
分からない事があればすぐに教えてくれるし。
それで世界が平和なら、
それが一番なんじゃないかって」
一度、言葉を探すように間を置く。
「でも、シニエが言ったんだ、
true writerも使い方次第って」
シニエは視線を遠くに置いたまま、静かに話を聴いている。
「世界は成長を止めて終わるとも言ってた。
正直、そんなこと言われてもよく分からない」
プリュムは正直に続けた。
「でも、それは
俺にも言えることなんじゃないかって今は思う」
布に包まれた絵に、そっと手を置く。
「ずっとひっそり、
誰に見せるわけでもなく絵を描いてきた。
今思うと、
その積み重ねがこの絵なんじゃないかなって」
布越しに、絵を撫でる。
「それがここで終わる……そう考えると、
今までの自分もなくなるような気がしたんだ」
ルリュールはゆっくりと姿勢を正した。
「その絵、ワシに見せてくれんか?」
プリュムは布を外す。
絵を目にしたルリュールは顎をさすり、眉間に皺を寄せて凝視した。
「ワシには絵は分からん」
そう言って、背もたれに体を預ける。
プリュムは俯き、小さくため息を漏らした。
「だが、ここ最近では一番いい絵だ」
その言葉に、プリュムは顔を上げる。
丸く見開かれた目で、ルリュールを見つめた。
「……俺が画家になれると思うか?」
「お主にその覚悟があるならみせてやる」
プリュムは強く頷いた。
そこに、もう迷いはなかった。
ルリュールが手をかざすと、
プリュムの端末が光を取り戻す。
「小娘に断ち切られたtrue writerとの繋がりを戻した。
普段は最適解の未来しか示さんが、
特別に仕様を変更もした。聞いてみるといい」
プリュムは息を飲み、端末を操作し、画面を見つめる。
「どうだった?」
「見なきゃよかったかも」
そう言いながらも、その顔はわずかに笑っていた。
「でも、ゼロじゃない」
「そうか……」
その答えを聞き、ルリュールは静かに立ち上がり、背を向ける。
「小娘、ワシは人間を甘く見過ぎていたかもしれんな」
「とか言って、
本当はあんたも何とかしたかったんじゃないの?
でなきゃ、ここに招き入れないでしょ」
「相変わらず生意気だな。
まあ、神々によろしく言っといてくれ。
ワシはこれの仕様変更で忙しくなりそうだ」
「こんなとこにずっと居て飽きないの?」
「これの管理がワシの役目だからな。
それに、ここにはありとあらゆる
人々の記憶、経験が集まる。
物語に困ることはない、不老不死でも読みきれん」
ルリュールは天井を見上げる。
「ただ、少しばかり寂しさはあるかもな」
そして、プリュムを見る。
「その絵、ワシにくれんか?」
プリュムは笑って、頷いた。
それを境に、世界の物語はわずかに書き換えられ始めた。
そして、何度かの季節が巡った。
true writerの大章は、安定した一つ未来だけを示すものではなくなっていた。
可能性の低い未来、不確かな物語。
それらも提示されるようになった。
そして、そこへ辿り着くための道筋が示されるようになった。もちろんそこには努力を伴う。
人々の価値観は、そう簡単に変わるものではない。
ほとんどの者は、これまで通り安定した未来を選ぶ。
確実で、安全で、迷わずに済む人生を。
だが、少ないながら自分の理想の物語を選ぶ者たちも現れ始めた。
世界は、劇的には変わらない。
それでも、確かに――少しずつ、変わろうとしていた。
⸻
道具屋の片隅で、プリュムは物品の補充をしていた。
日々は忙しく、特別な出来事などない。
彼は今も変わらず、道具屋としての仕事に精を出している。
店のドアが開き、カランカランと軽い音が鳴った。
「いらっしゃいま…」
「久しぶり〜」
そこには白いローブを着た懐かしい姿があった。
「シニエ!?
何でここに!?」
「何でって、
神が介入した人間の動向を追うのも仕事でしょ?」
「いや、知らないよそんなの」
シニエは店に並べられた商品を見つめながら尋ねる。
「ところであんた、まだ続けてんの?」
「何が?」
「絵に決まってんでしょ!」
プリュムは、しばらく考えるように視線を落とす。
ほんの短い沈黙。
それは迷いではなく、言葉を選ぶための間だった。
そして――
「秘密」
そう答えた彼の表情は、晴れやかで、もう揺らぎはなかった。
⸻
人生は一冊の本だ。
だが、その物語は誰かに書かれるものではない。
かつて決められていた文章は白紙となり、
彼はこれから、自分の文字でページを埋めていく。
完
Life Writer んご @Yn19870331
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