第2話 Interrompues

自分の絵を評価されたことに、プリュムは素直に驚いていた。

今まで、自分の絵を誰かに見せたことはない。

意味がないと思っていたからだ。


評価されたこと自体は、確かに嬉しかった。

だが、それが「世界を変える価値」などと言われると、

どうにも胡散臭さの方が勝ってしまう。


「大袈裟だな、この絵にそんな価値はないよ」


「確かにそうかもしれない。

 でも、あんた迷ったでしょ?」


その言葉に、プリュムは胸を突かれたような感覚を覚えた。


true writer に導かれる世界では、迷いという現象そのものがほとんど起こらない。

示された最適解に従えばいい。

考える必要も、悩む必要もない。


「正直、こんなにいい作品ができたのは

 自分でも驚いてる。

 でも、やっぱりこの絵はいらない絵だ」


シニエは大きくため息を吐いた。


「あんた話聞いてた?

 あたしが…というか、

 神がこの絵を評価してるんだから必要なのよ!」


「いや、あのさ…

 さっきから神とか神の使いと言ってるけど、

 何それ?」


シニエは少し考えるように、

その場を行ったり来たりする。

白いローブの裾が、落ち着きなく揺れた。


「あんた、画家になりたいと思ったことないの?」


「ない。俺は道具屋になるから」


「なんでよ?」


「true writerがそう言ってるから」


即答だった。

疑いも、躊躇もない。


「それがそもそもおかしいのよ。

 それこそ、世界の歪み」


プリュムは、シニエの言葉を理解しかねるという顔をした。


「まあ、仕方ないわね。

 それだけtrue writerがあんた達の生活に

 根付いてるってことよ」


彼女の口調は軽いが、その視線は真剣だった。


「で、シニエはその世界の歪みを治しに来たって言いたいの?」


「まあ、早い話はそうよ。

 それにあんたの絵を利用する」


また、話が見えなくなる。


「そもそも、今のこの世界では

 不確定なことは起こり得ない。

 あんたの今日の小章に私のことは書いてあった?」


「なかった。だから驚いてる」


「でしょ?

 で、今あなたのtrue writerとのリンクは断たれた。

 端末みてみなさいよ」


プリュムは、言われるまま自分の腕に視線を落とす。

そこには、常に true writer と繋がるための端末があった。

小章の確認、知識の検索、未来の指針――

生活のあらゆる場面で使われる、もはや身体の一部のような存在だ。


その端末を起動する。


「な、何も映らない!?

 どうなってんだよ!?」


表示されるはずの文字も、光も、何もない。

空白だけが、そこにあった。


「だって、私が切断したから。

 あんたとtrue writerのリンクを」


「なーにー!?

 なんでそんなことが!?

 もしかして…本当に…?」


「そう、神の使いだから」


シニエは、少し得意げに胸を張った。


「ちょっと待て、

 じゃあ俺は今日何を食べたらいいんだ!?」


「知らない」


「明日は誰と会えばいいんだ!?」


「知らないわよ」


「俺はどう生きていけばいいんだ!?」


「だーかーらー、知らないわよそんなもん!

 自分で決めなさいよ」


プリュムは言葉を失いうなだれた。

これまで考えなくてよかったことが、

一気に押し寄せてくる。

食事も、予定も、未来も。

当たり前だったはずの指針がすべて消えていた。


「未来が分からなくて不安?怖い?」


「…当たり前だろ」


「でも、それが本来の人間の姿なのよ。

 不安だから経験して、怖いから勉強する。

 確かに便利よ?true writerは。

 でも、人はアレに頼り過ぎてる。

 今の人は考えることを辞めてる。

 たしかにそれは平和で争いもない世界だけど、

 同時にそれは人の終わり、

 世界の終わりを意味しているわ」


理屈は理解できなくはない。

だが、感情が追いつかない。


「だからって俺にどうしろっていうんだよ?」


「その絵をtrue writerに見せるの。

 人の可能性をね」


「それが何になるんだ?」


「神ならtrue writerを壊すくらい簡単よ。

 でも、アレはもう世界の秩序にまでなった存在。

 だから破壊はできない、必要なのは対話よ」


「それでも、俺はこの世界が変わるのは怖い」


「今更何言ってんのよ、

 あんたはもう世界の外側の人間なんだから。

 もうあんたの世界は変わってるのよ」


「誰のせいだよ!?」


「もう、ウダウダとめんどくさいわね。

 ちょっとついて来なさい」


半ば強引に、シニエは歩き出す。

プリュムも、それに従うしかなかった。


道中、街並みはいつもと何も変わらない。

だが、true writer との繋がりを失った今、それらは別の世界の風景のように感じられた。

人の流れも、店の看板も、すべてが不確かなものに見える。


辿り着いたのは、美術館だった。

静かな空間に、多くの絵画が整然と並んでいる。


「あんた、絵は好きなんでしょ?」


「まあ、観るのも好きだけど」


「この絵、あんたから見てどう思う?」


シニエが指さしたのは、一輪の花を描いた絵だった。

色彩、構図、線の精度。

どこを取っても非の打ちどころがない。


「微妙な色彩な色彩の変化、

 それでいて線は力強い感じがする。

 花の生命感を感じる。

 とても綺麗な絵だと思う」


「それだけ?」


「それだけって…十分褒めたと思うけど?」


「あんたの絵と比べてどうだったの?

 少なくとも私はそれだけじゃないものを感じた」


プリュムは黙り込んだ。

分かっている。

自分の絵の方が、確かに何かを訴えかけてきたことを。


true writer の絵は完璧だ。

だがそれは、過去の経験をなぞった結果にすぎない。

本物の感情ではない。


他の絵を見ても、印象は変わらなかった。

それでも、認めることを拒む自分がいた。

それらはすべて、true writer に選ばれた絵だからだ。


だが今は、別の感情が芽生えている。

ずっと胸の奥に押し込めてきた想い。

気づかないふりをしてきた夢。


リンクが切れたことで、それらは静かに、

しかし確実に顔を出していた。


プリュムは、迷いながら、疑いながら尋ねる。


「俺、画家になれると思う?

 true writerなら答えるかな?」


「知らない。

 少なくとも、おすすめはされないでしょうね」


「だよな…」


「ただ、可能性はゼロじゃない」


その言葉に、プリュムは思わずシニエを見つめた。


「true writerが書いてるのは

 最も可能性の高い安全な道。

 それ以外の答えは出さない。

 でも本来なら、

 まず自分はどうなりたいかがあって、

 だから何を頑張るかを考えるんだと思う。

 人生ってそういうもんでしょ?」


プリュムは、少しだけ笑った。


「何よ、笑ったりして」


「いや、なんかシニエって、

 俺らより人間っぽいなって思ってさ」


その瞬間、

人生という一冊から、栞が外れた。


そして、

新たなページが、静かにめくられる。

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