Life Writer

んご

第1話 Remplies

人生は一冊の本だ。

人々は true writer の示す小章にその日を委ね、

大章に人生の決断を委ねる。


true writer の未来においては、

取るに足らない一行でしかない人間


プリュム。


彼の大章に記された職業は、

何の変哲もない道具屋だった。

彼自身、その結果を疑うことはなかった。


学校で学び、必要な知識を身につけ、

やがて道具屋になる。

そのためだけの日々を、淡々と送っていた。


そんな彼にも、一つだけ趣味があった。

絵を描くことだ。


もっとも、この世界において絵は、

すでに true writer の仕事である。

手先の器用な人間に知識を与えれば、誰でも一定以上の作品を生み出せる。


それは絵に限らない。音楽をはじめとした芸術分野の多くが、今や true writer の管轄だった。

だから趣味で絵を描く人間などこの世界にはいなかった。


芸術家と呼ばれる者たちも、実態はただ手先が器用なだけの人間にすぎない。


それでも人々は、作品を前にして心を動かされる。

true writer は人々の経験を集めた存在だ。

人がどのような色を美しいと感じ、

どの形に心を惹かれるのか。

それを、理解していないはずがなかった。


だから人々は、その絵を観て芸術を感じる。


特別に手先が器用なわけでもないプリュムが、

自分は画家になろうなどと思ったことは、一度もない。


ただ、幼い頃の記憶が、心の奥に残っていた。


ペンキをこぼしてしまったとき、

床の上で偶然に混じり合った色彩。

にじみ、広がり、思いもよらぬ形を描いたその光景に、

幼いプリュムは強烈な魅力を感じた。


その衝動のまま、彼は絵を描いた。

幼稚な線、拙い形。

それを親に見せた。


子供の描いた絵だ。

当然、褒められた。

だが同時に、釘も刺された。


『あなたには、違う未来がある』


その言葉は、強くも優しくもあったが、

確かにプリュムの中に残った。


だから彼は、画家になることなど考えなかった。

自分は道具屋になるのだと疑いもしなかった。


ただ、それでも。

ひっそりと絵を描くことはやめなかった。


true writer。

それは、かつて一人の賢者が遺した占い装置である。


人々はそこに、知識を集めた。

記憶を集め、経験を集め、叡智を集めた。

さらに占星術、数秘術、魔法理論といったあらゆる術式を組み合わせ、

true writer は未来を示す存在へと変貌していく。


それはもはや占いではなかった。

100パーセント辿り着く未来。

100パーセント正しい知識。


人々は疑わなかった。

示された道を進めば、失敗は起こらない。

争いも、迷いも、生まれない。


そうして紡がれた文章は、やがて物語となる。

そして人々は、進化を止めた。



そんな未来の決まった世界の中、

プリュムは今まさに一枚の絵を完成させようとしている。


もうすぐ学校を卒業し、

道具屋への就職も決まっている。

それは true writer が示した何の狂いもない未来だ。


だからこそ、これは最後の絵だった。

そう心に決めて彼は筆を走らせていた。


やがて絵は完成した。

キャンバスから一歩引き、全体を見渡した瞬間、プリュムは思わず息を飲む。


目の前にあるのは、確かに自分が描いた絵だ。

だが、どこか現実感がなかった。


技術は劣っている。

構図も洗練されていない。

true writer が描く絵と比べれば、完成度は明らかに低い。


それでも

そこには、何かがあった。


色のにじみ。

歪んだ線。

計算されていないはずの余白。


それらが、不格好なまま一つの感覚を形作っている。

まるで絵そのものが、何かを訴えかけてくるかのようだった。


最後の一枚。

その想いが、偶然にも絵に宿ったのだろうか。

プリュム自身にも、はっきりとはわからない。


だが同時に、別の考えが浮かぶ。


今の世界に、この絵は必要なのだろうか。


人々は、より美しい絵を知っている。

より完成された色彩を、より正確な構図を、すでに享受している。

true writer が生み出す芸術は、人の心を動かすよう設計されている。


それに比べればこの絵は不完全だ。

再現性もない。

次に同じものが描ける保証もない。


誰かの役に立つわけでもない。

評価される未来も示されていない。

道具屋になる人生にこの絵が入り込む余地はない。


それでも心が揺れたからこそ、

プリュムは迷い、そして結論を出した。


『この絵には価値はない』


彼は破棄を決めた。


キャンバスに手を伸ばした、そのときだった。


声がした。


「いい絵じゃない」


プリュムは、ゆっくりと振り返った。


そこにいたのは、白いローブを纏った女性だった。

いつからそこにいたのか、気配を感じた覚えはない。

ただ、確かに今、現れたという違和感だけが残る。


「…誰?」


問いかけには答えず、女性は完成したばかりの絵へと歩み寄った。

まるでそこにいるのが当然であるかのように、

ためらいなく。


「荒削りって感じはするけど、

 true writerには出せない表現。

 心が篭ってるっていうの?

 よく分からないけど、私は好きよ?」


プリュムの存在を無視するように、

彼女は絵の前で立ち止まり、感想を口にする。


「いや、だからあんた誰!?」


「私?

 シニエ、神の使いよ」


あまりにも唐突な名乗りだった。

意味が分からない。

いきなり現れ、

神の使いを自称するシニエという女性。


天界では、神々がその光景を静かに見下ろしていた。


人は、便利を捨てられない。

そして、考えることをやめたとき、

進化は止まる。

やがて退化し、終焉へと向かう。


この世界にも、かつては魔王が存在した。

英雄によって討たれた後も、その残党である魔物たちは各地に残っている。


だが今や、それらは脅威ではない。

true writer が示す行動パターン、弱点、最適解。

人々はその知識に従うだけで、危険を排除できた。


世界は平和だった。

安定していた。

そして、静かに行き詰まっていた。


だが、神々はtrue writer を破壊することはできなかった。


それはすでに道具ではなく、

人の生活そのものとなっていた。

秩序を壊すことは、世界を壊すことに等しい。


神々に残された選択は一つしかなかった。

それは未来から外れた存在をつくること。


そして神々は一人の人間と絵に目をつけた。


そうして遣わされたのが、

書に挟まれ、行間に立つ者。

シニエである。


頭が追いつかない。

だが、その混乱とは別に、

どうしても聞かずにはいられないことがあった。


「…この絵のどこがいいんだ?」


自分でも意外なほど、素直な声だった。


「さあ?

 いいと思ったからいい。

 芸術なんてそんなもんでしょ?」


あまりに軽い答えだった。

理屈も、根拠もない。

だが、不思議と否定する気にはなれなかった。


「そうか…でも、

残念だけどこの絵は破棄しようと思ってたんだ」


プリュムの言葉に、シニエは一瞬きょとんとした表情を浮かべ、

次の瞬間、慌てたように声を上げる。


「ちょい待ち!」


勢いよく割って入るその様子は、

神の使いという肩書きからは想像しにくいものだった。


「この絵には価値がある。

 世界を変える…ね」


その瞬間、プリュムの人生という一冊に

初めて栞が挟まれた。

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