第8話 代償と選択

構造体の存在が、ゆっくりと瞳を細めた。


「歌い手を守護する者よ。

そなたは役目を果たした。歌い手をここまで導いた。それで十分だ」


その声には、労わりと同時に、決定事項を告げる冷たさがあった。


だが、僕は一歩前に出た。


「違う」


自分でも驚くほど、声ははっきりしていた。


「役割なんかじゃない。

僕は命じられたわけでも、選ばれたわけでもない。

自分の意志で、ここまで来た」


エルの前に立つ。


「苦しんだことも、迷ったことも、全部僕の選択だ。

だから……彼女を渡す理由なんて、どこにもない」


構造体の光が、わずかに揺らいだ。


「彼女は、世界を支える存在だ。

その身をもって歌い、歪みを正す。それが役割――」


「違う!」


叫んだ。


「どうして彼女だけが背負うんだ!

どうして“選ばれた”という理由だけで、すべてを奪われなきゃいけない!」


そのとき、エルが一歩、前に出た。


光に包まれた彼女は、静かに微笑んでいた。


「ねえ……ありがとう」


その声は、ひどく優しかった。


「あなたが一緒にいてくれたから、私はここまで来られた。

怖かったけど、苦しかったけど……それでも、幸せだった」


僕の胸が締めつけられる。


「だからね、これは犠牲なんかじゃないの。

あなたが生きる世界を、私が守れるなら……それでいい」


「エル……!」


彼女の体が淡く輝き始める。


「愛してるわ。

あなたがいる世界を、私はずっと歌い続ける」


――その瞬間だった。


僕の手の中で、レゾナンススタッフが震えた。


いや、違う。


震えているのは、僕自身だった。


胸の奥から、聞いたことのない音があふれ出す。

それは世界の歌ではない。

命令でも、定めでもない。


ただ――


「エルと一緒に生きていきたい」


その想いだけが、音になって溢れた。


「……違うよ、エル」


僕は、エルの手を掴み、引き寄せた。


「世界を守るために君の人生が消えるなら、

そんな世界、僕は認めない」


レゾナンススタッフが強く鳴り響く。

その音は、雑音となり世界の旋律とぶつかり合い、

わずかに歪ませた。

エルを包んでいた淡い輝きが消えていく。


構造体の発する光が、大きく揺らいだ。


「あり得ぬ……

世界の歌に、抗う音……」


僕は、エルを抱き寄せて、言った。


「僕は歌う。

守るためじゃない。

変えるためにだ」


「この世界が、誰かの犠牲で成り立つなら――

そんな世界ごと、書き換えてやる」


静寂の底で、ふたつの歌が重なり始めた。


「ならば、しかたあるまいよ」

あきらめたようにつぶやく、世界の意志。


構造体の光が強く輝く、次の瞬間僕は光につつまれ

広大な空間に浮かんでいた。


音が、流れ込んできた。

最初は、ただのざわめきだった。

風の音のようで、波のようで、遠くの街の喧騒にも似ていた。


けれど、それは“音”ではなかった。


胸の奥に直接触れてくる。

喜び、怒り、悲しみ、後悔――

言葉になる前の感情が、洪水のように押し寄せてくる。


誰かが生まれた瞬間の、か細い産声。

誰かが誰かを失い、声も出せずに泣いた夜。

守れなかった後悔。

それでも明日を選んだ決意。


それらすべてが、同時に、重なって、僕の中に流れ込んだ。


「……これが、世界……?」


その瞬間、わかった。


世界の歌とは、

“誰かが生きた証の集合”なのだと。


美しくもなく、正しくもない。

ただ、必死に生きた痕跡の連なり。


そして――

そのすべてを、エルは引き受けようとしていたのだ。


「これは、僕は、世界を聞いているのか・・・」


すべてを理解したわけじゃない。

ただ、理解しようとした瞬間、心が壊れそうになった。

人ひとりが受け止めていい重さじゃない。

魂が、軋む。


世界の意志が告げてきた。


「そうじゃ、そなたは世界の歌を聴いている。

世界の歌は、聞く者を拒まぬ。

だが、変えようとするには代償がいる」


「聞くとは、受け取ること。

干渉するとは、書き換えることだ」


「両立はできぬ。そなたの器ではな、

共鳴の限界をこえるため、そなたの世界は

音を失ってしまうだろう。

それでも・・・いいのか?」


ぼくは、

「いい。それでも、僕は彼女と生きる」

そう答えた。


そして・・・意識が遠のく・・・エル。

 

 目を開くと、僕は自分の家に戻ってきていた。

 外に出る、草原の国だ。

あの風切り音は聞こえない。

 世界は、ひどく静かだった。


「……そうか」


僕は理解した。

世界の歌は、もう聴こえない。

二度と。

それが、代償なのだ。


それでも――

背後に、温もりを感じた。

振り返ると、そこにエルがいた。

緑の瞳は輝き、微笑んでいる。


「おかえり」

その声は、確かに届いた。

僕は、そっと彼女を抱きしめる。


「エル。一緒にいよう」

「ええ。世界が終わっても」


静かな風が吹く。

もう、歌は聞こえない。

けれど――


この胸の奥に残るぬくもりだけは、確かだった。

――ここから、僕たちの世界が始まる。

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『共鳴の歌』 ― 世界よりも、君を ― @yu2r2

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