第5話 奈落へ―――「落ちていく音」

「ここだ」


 彼女が振り向き、ハンマーを振動させて僕に言った。

 重く、低くうなる音が、何重にも世界を包んでいる。

 そこが、世界の中心――奈落だった。

 そのあまりに大きいクレーターのような地形が眼下に広がっている。


「昔、ここで戦った。仲間たちと共に。あのとき、数えきれない黒い陽炎がここから、這い上がってきた」


 彼女はこちらを振り返らず、伝えてきた。さみし気にハンマーが震える。


「やつらは実体が掴みづらく、視認が困難だ。大規模戦闘で乱戦になり攻撃を当てることができず、混乱の中みんな次々とやられてしまった。わたしも瀕死の重傷を負ったが、聴力と引き換えに生き残った。」


 そのまま身動きひとつせず、奈落の中心を眺めている。


 しばらくすると、何か振り払うようにこちらへ振り返った。

「ここからは、もう道はない。私ができるのはここまでだ。これからどうするんだ」


 心配そうに彼女か問いかけてくる。


「ロープで降りる」


 僕は用意していたロープを取り出し、ミナに見せた。


「無理だといっても、お前は止まらないんだろうな」


 ため息しつつ、彼女が振動を送ってくる。


「ああ、ロープで行けるとこまで行く、そのあとは・・・まあ・・・何とかなるさ。ここまで、本当にありがとう。君のおかげでここまで来ることができた」


 心からの感謝を彼女に告げる。笑顔を見せて伝えたつもりだが、うまく笑えただろうか。彼女も微笑み返してくる、そして優しく僕の肩をたたいてきた。


「お前とエルの上に、祝福の音が鳴り響くことを祈っている」


 そうして、彼女は立ち去って行った。


 彼女を見送った後、下に降りる準備を始めた。

 近くの岩に頑丈な紐の輪をくくりける。そしてロープを輪に通して二つ折にした。

 二本になった命綱を体に結び付け、降下ルートを確認するため下を覗く。

 やはり暗く底は見えない、足がすくむ。高所恐怖症ではないが、本能的な恐怖はどうしようもなかった。


「さあ、ここを降りれば、世界の中心だ、一緒に行こう、エル」


 そういって、エルを背負い、ロープをつたってゆっくりと慎重に降下を始める。

 低くうなるような轟音に混じって、ガラガラと落石音が聞こえるが、身構えることしかできなかった。頭上に落ちてきたら、どうすることもできない。

 落下の恐怖を押し殺し、落石の音に神経をすり減らしながら、なんとかロープ長の限界まで降りる。

 恐る恐る両手を離すと、無事に?僕たちは空中にぶら下がった。

 その状態のまま無理やり休憩する。精神的にはともかく、体力が持たない。


 呼吸が整ってくると、杭を取り出し岩壁に打込んだ。岩壁は固く、金属音のような音が轟音に混じる。なんとか打込んだ杭にロープをかけ替え、再度、降下開始。

 この作業を何度も何度も繰り返し下へと降りていったが、どこまでいっても下方は暗闇しか見えない。


 気が遠くなる、まるで闇に浮いているようだ。


 最初は、低くうなる音に満ちていた世界は、下に降りるにつれてだんだんと静かに、穏やかになっていった。自分の荒い呼吸と、早鐘のように打つ自分の鼓動しか聞こえない。

 しかし、僕の心の中は嵐が吹き荒れていた。落下すれば一巻の終わりという恐怖、このまま間に合わないのではという焦り、本当に彼女を、エルを連れてきてよ かったのかという不安、クリスタルカースは進行し彼女の病状は悪化してしまった。


 僕のせいだ…ここまで連れてこなければ、彼女は苦しまずにすんだのでは。


 体が揺れてロープが軋む、たのむ、もう少し頑張ってくれ。

 心が削れていく、体力はもとより限界だ。次第に意識がぼんやりして、いまや自分の呼吸さえ遠く感じられた。だんだんと、希望が深淵の暗闇に覆い隠されていく。もはや、どれくらい降りたのか、どれくらい時間が経過したのかわからない。

 希望が、完全に闇に吞まれた、そのときだった。

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