第2話 境界の吊り橋
目の前に大地の裂け目が轟音と共に広がっていた。
断崖絶壁で下が見えない。 草原の国特有の風切音はその荒れ狂う轟音にかき消され、しぶきが舞っている。 僕たちは7日かかって、奈落の大河にたどり着いていた。
「ここに来るのも久しぶりだ、でも何だろうこの音は」
以前、運び屋をやっていた時に見ていた風景。
でも、僕の記憶に残る音が違った。かすかに異質な音が轟音に混じっている。
キーンという高周波のような音。
その音に集中しピントを合わせるようにして聞き取ろうとしたが、よくわからない。強弱があり、独特のうねりを持っている音だった。
ただなんとなく感じる、これは、近づいてはいけない類の音だ。
奈落の大河に向かう途中、すれ違う人に聞いてはいた。
「奈落の大河は今渡れない」「行くのはやめた方がいい」
この音がその原因なのだろうか。
当然、引き返す選択肢はなくここまでたどり着いたのだが。
まずは、音響吊り橋へ向かおう。僕はエルを載せた背負子を背負いなおした。
吊り橋のたもとにある街に入り、住民に話を聞いたが、やはり吊り橋は閉鎖されていた。そもそも、音響吊り橋を渡る事は危険を伴う。奈落の大河からの轟音が圧縮されて襲い掛かってくるためだ。通常の人間では耐えられず、特定の技術をもった運び屋たちのみ渡る事が可能だった。
「いつもよりも音が荒れている、とても渡れないぜ」
運び屋たちも口をそろえて言う、しばらく様子を見るしかないと。すでに3か月閉鎖されているという。
でも僕たちはそんなに待っていられなかった。 ほかの渡河ルートを探すべく、奈落の大河にそって探索を続けた。
「う・・・耳が、もたない」
奈落の大河に近づくと、キーンというあの音が僕の耳に常に襲い掛かってくる。
それは音じゃない、“針”だった。耳から脳に刺さる痛み、ダメージを与えられ続け、耳が焼ける。ガンガンと頭痛が止まらなかった。
それでも止めることはできず無理を押していたが、意識が朦朧としてきた、
体がふらつく、まずい。視界が白む。 遠のく意識。背中に背負ったエルを
傷つけないよう、僕は前のめりに倒れた。
目を覚ますと、そこは知らない部屋だった。シーツをかけられて、あおむけにねている。 だれかが手当をしてくれたようだ。でも、エルがいない。
「目が覚めたか?」
慌てて体を起こした僕に、声がかけられた。無精ひげを生やした男性だった。その声は低い。
「エルはどこですが?」
「あの女性なら、別の部屋に寝かしている。音響病で腕は結晶化しているが、怪我一つしていない。安心しろ」
彼が助けてくれたようだ。頭を下げてお礼をいう。
「気にするな、俺はガレ、運び屋だ。お前らは奈落の大河の前で倒れていた。奈落
に近づきすぎたようだな。無茶をする、その耳では命取りだ…持たないぞ」
僕の耳がよく聞こえるがゆえに、倒れてしまったことを理解しているようだ。勘が良い。
「でも、行くしかない。彼女には時間がないんだ」
「とにかく今日は休め。彼女の病が心配だろうが、お前が回復しないとどうしようもないだろう」
そう諭され、仕方なくその日は体を休めた。
次の日、再び奈落の大河へ行こうとする僕に、ガレが言った。
「しょうがねえ、俺についてこい、案内してやる。」
「ありがとう、でもどうして?」
報酬として渡せるお金もなく、僕はガレに問いかけると、
「昔、守れなかった奴がいる」
言い捨てるように、彼はそれだけ言った。
彼が言うには、音響吊り橋の下方にメンテナンス通路があるという。
「正規ルートのように、あの轟音のキラーウェーブにたいする防護設備はない。むきだしの通路だ、元運び屋だと言っていたが、やはりお前の耳は持たないだろう、どうする」
僕は杖を取り出して言った。
「これを使う、レゾナンススタッフだ」
バルド先生が作ってくれたものだ。この杖は音に反応して光が明滅し震える、つまり音を光と振動に変換することで軽減し、あのキラーウェーブから僕の耳を守ってくれる。
断崖絶壁とはいえ、多少の足場があった。下っていくと、しぶきによるもやのなかからメンテナンス通路が姿を現した。背中のエルの体温が、さっきより薄い。焦りが、喉をつかんだ。
「いくぞ、ついてこい。いつもよりキラーウェーブが多い、気をつけろよ」
慎重に進んでいくと、キーンというあの異質な音がきこえ始めた。
背骨が一瞬だけ震え、呼吸が止まった。レゾナンススタッフが激しく明滅し、震える。その瞬間僕は叫んだ。
「くるぞ!、キラーウェーブだ!」
キーンという予兆が脳を殴る。「来る」思考より先に体が伏せた。あわてて身を伏せる僕たちの上を、すべてを引き裂く殺人音波が超高圧縮された水しぶきとともに通り過ぎる。 水しぶきじゃない。"刃"だ。空気を切り裂いて俺たちの頭上を抜けていった。
そこから先、何度も襲われ続ける。予兆音を聞き取り寸前の回避を繰返し成功させたのは、奇跡だった。そうして、なんとか僕たちは奈落の大河を渡り切った。
対岸にたどり着き、僕はたまらず膝をついた。
「俺にできるのはここまでだ。あとは自分で何とかするんだな」
水筒の水を飲み、ガレは言った。
ここから先は、もう誰も守ってくれない。
「ありがとう、ガレ。」
呼吸を整えて二度目のお礼をつたえた。
「達者でな」
ぶっきらぼうに答え、彼は去っていった。 こうして僕は、対岸に位置する音響の国にたどり着いた。 この地は奈落の大穴につながっている。
「ようやく、ここまできたな」
草原の国とは違う空、鈍色の曇り空を見上げて、
「急がなきゃ」
誰に言うでもなく吐き出して、僕は歩き出した。
もう引き返すことはできない、退路は絶たれているのだから。
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