『共鳴の歌』 ― 世界よりも、君を ―
@yu2r2
第1話 旅立ち
世界は、音で満ち溢れている。
風が草原を渡る音、水が流れる音、大地が震える音。
あの夜、世界の音が、呼んでいることに気づいた。
それは、僕ではなく――彼女を。
夕焼け空は赤く染まってきれいだが、いつもどおり、風が吹き荒れ風切音が鳴り響いていた。
「今回は大変だったけど、探し人が見つかってよかった」
僕はひとり呟き、家路につく。
僕が住んでいるのは、世界の西にある草原の国だ、とかく草原は目印になるものが少なくて、人々はよく迷ってしまう。
その家族、友人は心配し、探し人の依頼が多く出てくる。
僕は人並外れて耳が良く、その耳を頼りに迷い人を探して家に送り届けるのが仕事だ。風が吹き荒れる中、風切り音だけでなく、草木がざわめく音、はるかとおくで洗濯物がはためく音、それら音の洪水をかき分け求める音を見つけるのは、耳だけでなく精神的にも大きな負担で。
つまるところその代償として、音に疲れてしまう。
今日は、迷子の声を広大な草原の中を聞き分けて、母親に無事送り届けた。全力で集中すれば遠くみえない位置にいても、音を拾うことが可能だ。この能力を知る人には旋律耳(チューニングイヤー)と呼ばれている。
家についた、辺境の片隅にひっそりと建っている木造の家。鍵を開けて扉を開く。耳の奥には鈍い痛み、今日もやはり音に疲れてしまったようだ。
「ただいま、帰ったよー」
迎える声はなかった。でも一人暮らしではない、一緒に暮らしている人がいる。僕の恋人だ。
でも、恋人は病に臥せっている。寝室にいくと恋人のエルがベットに横たわったまま、安らかに眠っていた。左腕の指先から手首までが美しく透きとおって青色に結晶化している、クリスタル・カース(音響病)だ。このまま結晶化が進むと死に至る病。宝石のように結晶化したそれは、美しくも恐ろしい
「今日も音に疲れたよ、でもエルがいるから家に帰れば完全回復さ!」
彼女のそばに腰かけて、僕は笑顔で話しかけた。ちなみに本当にそう思っている。
「あなたは、人一倍音に敏感なんだから、ただでさえ音の絶えないこの世界、あまり無理しないでね」
病に臥せる前の彼女はそう言って僕を優しくいたわってくれた。
でも、今は・・・。胸が少し苦しい、僕は目をつむった。
美しい彼女の声が僕を優しく包み込んでいた、その記憶を頼りにつかの間僕は安らいだ。
目を開くと彼女の銀色の髪が夕日に照らされてキラキラ光っている。でも輝いていた緑色の瞳はやっぱり閉じられたまま。
「大丈夫だよ。エル、きっと治るから、ね」
幾分癒された僕は、彼女のほほに軽く口づけし、元気に立ち上がった(本当に体が軽くなった気がする)。
「この生活は、いつまで続けられるだろうか」
僕は台所で、ため息交じりにつぶやいた。彼女が発病して、2か月経過している、人差し指から始まった結晶化はすでに手首まで及んでしまった。
いろんな医者に診てもらったが、治る見込みはないと見放され、もはやどの医者も取り合ってくれない。
「このまま、あきらめてたまるものか。かならず治す方法があるはずだ。それをみつけるんだ」
その後、不安を振り払いながら料理をつくり、食事をとって早めに就寝した。
歌が聞こえる、静かで美しい旋律だ。癒されるような感覚、僕は真夜中の歌に目を覚ました。でもエルは隣ですやすやと眠っている。歌の旋律が静かに響き渡る。どこから聞こえてくるんだろう。
扉を開け、外に出た僕は驚いた。
「風切り音がしない・・・」
日常的に風が吹きすさぶこの国は、常に風切り音が響いているのだが・・・。
辺境にある僕の家は、轟音の奈落に近い。
この世界は、大河によって十字に切り裂かれている。その大河はごうごうと音を立てて流れ、大地を削り轟音の奈落と呼ばれていた。
十字に切り裂かれた世界の西側には草原の国が広がっている、僕の住んでいるところ。
轟音の奈落の方角から、その歌は聞こえていた。
思い出した、これは元気だったころのエルが歌っていた旋律に似ている。そういえば僕はこの歌の名前を知らなかった。
「いったいどういうことなんだ」
しばらく、美しい旋律に包まれたのち、僕は家に戻った。家に入り寝室に入ると僕は目を疑う。エルがベットから起き、立ち上がっていたのだ。
「エル!、目を覚ましたのか?」
彼女に駆け寄り、おそるおそる抱きしめる。大切な宝物に優しく触れるように。
そこで気が付く、美しい緑の瞳は焦点が合っていない、そして、薄紅色の唇は歌を紡ぎだしていた…奈落の轟音から聞こえるあの歌、旋律を。
「共鳴している…のか…」
何となく理解した、あの歌とエルがつながっていることを。
それから彼女の唇から、歌が途絶えたと同時に、彼女は崩れ落ちる。が、すんでのところで受け止めた。ふう、あぶなかった。
「あの歌にエルは反応していたんだ。それは間違いない・轟音の奈落に何かある、エルを治すヒントが?」
次の日の朝、僕は旅立ちの準備をしていた。水・食料・毛布等を持ち、そして背負子に彼女を載せる、彼女を連れていくために。
根拠も何もない、でも直感が告げる。轟音の奈落をたどり、世界の中心へエルを連れて行く、正確にはあの歌が流れだす場所へ。
そこに行けば、あるいは・・・。このままでは彼女は助からない、わずかでも可能性があるとするなら、可能性というものですらない事はわかっていたが、行くしかなかった。
ドンドン、と扉をたたく音がした。
「おーい、いるのか?、今日も診察に来たぞ!」
そうだった、今日は老医師のバルドが来る日だった。彼だけだ、彼だけがエルを見放さず定期的に診察し、何とか治療の方法がないかを探してくれていた。そして、あきらめるなといつも僕を励ましてくれる。
僕は扉を開けるとバルドを招き入れた。
「おはよう、今日もエルの診察を・・・ん?何の準備をしとるんだ?」
旅立ちの準備をした僕をみてバルドが問いかけてくる、まあ、そうだよね。
「彼女を連れていく、奈落の轟音を超えて、その先へ」
答えた僕の胸ぐらをつかんで(以外と素早い)、バルドは怒鳴るように言った。
「突然、何を言い出すんじゃ!、奈落の轟音にいけばエルの体がもたんぞ!」
そう、クリスタル・カース(音響病)は常に音に包まれるこの世界独特の病だ。大きな音にさらされると、結晶化の進行が早まってしまう。
「でも、このままでも彼女は、エルは助かる見込みがない」
僕は、昨夜の出来事をバルドに話した。
「駄目じゃ、そんな雲をつかむような話、彼女の寿命を縮めるだけじゃぞ!、それにお前さんも奈落の轟音に耳をやられてしまいかねん。冷静になれ、治療法はなんとか・・・」
「でも、行くしかないんです!、治療法だって見つかるかどうかわからないじゃないですか、それならわずかでも可能性を追い求めるしかない、すくなくともあの歌で彼女は!」
僕は、バルドへ叫ぶように訴えた。きっとそれは…自分にも…。
老医師は僕とエルを見つめ、沈黙していたが、
「わかった・・・ちょっとまっとれ・・・」
バルドはため息をつき、少し待つように言って治療院へ戻っていった。
「これを持っていけ」
治療院から再び、僕の家に来た彼は一つの杖を僕に渡してきた。
僕の身長よりやや長い、一本の奇妙な杖だ。真鍮(しんちゅう)のパイプとガラス管でできた、複雑な装飾の杖。
「**『共鳴杖(レゾナンス・スタッフ)』**だ。わしが作った」
「これは?」
「音を可視化する杖だ。危険な音が近づけば光って震える。お前の耳ほど性能は高くないが、身を守る役には立つだろう」
バルドは杖を僕に押し付けると、寝ているエルに視線をやった。
「必ず連れて帰ってこい。……わしの患者を死なせるなよ」
「はい。行ってきます、先生」
僕はエルを背負い、バルドに見送られながら、轟音が待つ東の空へと歩き出した。
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