第3話
最後の一人となった葵は帰国前に街頭でテレビ局の取材を受けた。
「葵尚人さんは、ポールマン・アンカー教授の意志を継ぐ者として、世界中から注目を浴びています。今後どの様な世界になるか見えているのでしょうか」
テレビカメラを目前にして黒髪の女性レポーターにマイクを向けられる。
「人類が滅びる。そして……」
その時「何を言いやがる」と銃を持った男が雑踏から現れた。「くたばれ、いかさま野郎」と銃を構えた。貧しい身なりをした男の目に憎しみがこもっている。
あまりにも突然のことで身体が硬直して動かない。「大丈夫、当たらない」という落ち着いた男の声が頭の中に囁きかけた。
狙いは外れた。銃弾はアナウンサーに命中した。あたりは騒然となり、人々は、銃を持った男から一目散に逃げてゆく。
逃げろという心の叫びに葵も逃げた。だが、数人が追いかけてくる。葵を狙った男の仲間だろうか。捕まったら只では済まされない。袋叩きどころか確実に殺される。そんな思いによって、逃げるという文字しか思い浮かばない。
周りの人々がすべて葵の命を狙っていると思うようになってきた。刺さるような視線に恐怖を覚える。たまりかねて人気のない路地に入った。いくつもの足音が葵を追い詰めていく。角を曲がってもうだめだと諦めかけたとき「こっちだ」という女の声とともに手を引っ張られた。アパートに入り、階段を上がって二階の部屋に連れ込まれた。ベッド以外は何もない粗末な部屋だった。
息を切らしてへなへなとコンクリートの床にくずおれた。
「どこへ行った」と凍りつく低い声が窓外から聞こえてくる。
深緑のニット帽を被った女はパイプで組んだベッドに腰かけてサングラスを外した。「危なかったね」と青い目を細くする。
「ありがとう。助かったよ」
なぜ助けてくれたのだろう、と疑問が浮かぶが声に出せない。尋ねた途端に状況が急変してしまうのでは、という恐れがあったからだ。
「どういたしまして」
「ええっと、きみは……」
見知らぬ女が助けてくれるというのも不自然に思う。せめて何者かは知っておきたい。
「私を知らないのかい?」とニット帽を取った。艶のない栗色の髪に、女がどんな生活を営んでいるか、想像しながら首を振った。
「この美女を知らないとは――」と溜め息をつく。「だったら、このワッペンは?」ジャンパーの肩にある刺繍を指さした。
緑の矢が画かれていたが、見覚えがなく、首を傾げた。
「君は、おめでたい男なんだね」と鼻で笑う。「私はディジー・スミスだ。環境保護団体のグリーン・アローに所属している。この世で知らない者はいないはずだけど」
胡散臭さを感じながら「初めて聞いた」を首を振った。
「君は、北極でシロクマと生活していたのかい。それとも、私があまりにもうぬぼれているのだろうか」
「俺は……」
「君は葵尚人だろ。ポールマン・アンカー教授の意志を継いで、十分前に人類が滅びると予言した男として、一瞬にして世界中にその名が駆け巡った。くやしいが、現時点では君は私よりも有名人だ」
葵は、嫉妬を感じさせる冷たい視線に目をそらす。
「ポールマン教授をよく知っているよ。大学では君の先輩なんだ。三年生のとき、講義を受けてね。私に『君は環境保護団体の活動家になるだろう。将来、私の弟子を助けてやってくれ』だってさ。そして、現在に至る」
ベッドの下から缶ジュースを取り出して一本を放ってきた。
「冷えてないけれど、これでも飲んで落ち着きな」
デイジーは蓋を開けて、ごくごくと飲んでいく。葵も蓋を開けて一口飲む。オレンジの酸味が身体に活気を与えてくれる。
「何でまた、あんな過激なことをテレビに向かっていったんだい」
「先生が死ぬ直前に、人類が自身で考えて、正しい道に導けるようカオスを排除しろ、と言い残したんだ」
「そりゃまた酷い遺言だね。君たちはカオスによる均衡を崩すのが役割で、正しく導くのは違う奴ってことになる」
「そうかもしれない。僕には、先生の役に立たなければならない使命があるんだ」
「そうなんだ。まあ、私たちも似たような活動をしているけどね」はにかんだ笑顔を見せる。「お尋ね者の尚人はこれからどうするのかな」
「明日の早朝に出国する。日本に向かう」
「この国から離れるのは正解だと思う」スマホを弄りだした。「うーん、家には戻らないほうがいいね。さっきの柄の悪い連中が待ち構えているようだ」
「家に戻らないと。パスパートなどが家にある」
「そっか――」スマホに夢中になっている。「大丈夫。なんとかするから、ここに居なよ」
操作を終えてスマホをポケットに入れた。
「早朝、ここから空港に向かう。手筈を整えたから」
ディジーは、いたずらっ子のような表情を見せた。
次の日、夜明け前にディジーにたたき起こされた。
袖を引っ張られながら路地を歩いた。
人気のない大通りに小型四輪駆動車が一台停車している。ディジーが助手席、葵が後部座席に乗り込むと車は発車した。運転手はがたいのいい中年男だった。ハンドルを握りながら無言で何かをディジーに渡していく。
「これは、君のだ」と葵に放り投げた。パスポートだった。eチケットが挟まっている。
環境保護団体というのは表向きで、怪しい活動をしているのではないだろうか。危ない道に向かっていないか心配になってきた。
空港に到着するとチェックインのためカウンターに向かった。途中、痩せこけた老人とすれ違いざまにディジーは何かを受け取った。
チェックインカウンターでは、葵に続いて『隣席で』とディジーはパスポートとeチケットを提示した。ますます、怪しいと思うようになった。どこまでついてくる気だろうか。
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