第3話
白い立派なひげをたくわえたおじいさんは、僕を上から下までじろっと見まわしたあと、重々しく口を開いた。
「君、本当にいいのか?」
「はい」
僕は真剣な表情で、サンタクロースの瞳を見つめた。
のちに先輩と呼ぶようになるサンタクロースに、会いに行く一週間前のこと。僕は交通事故で死んだ。ちょうどクリスマスがおわったころだった。
「ねえ、タク」
それに気づいたとき、僕は、僕が横たわっている様子をぼんやりと眺めていた。
病室で、エリカが僕の名前を呼んでいる。
僕の冷たい体に、どこにも行かせないとばかりに必死にしがみついている。
「オムライス、また、つくってよ」
大粒の涙を流しながら、エリカは無理やりに笑顔をつくっていた。僕はそれに、なんの反応もしてやれない。
「どこにも行かないで」
エリカはオムライスが好きだった。なかでも僕が作るのが好きだってよく言ってくれた。だから祝い事のタイミングではちょっと高価な卵を買って作ってあげたし、味も試行錯誤してみた。
エリカはそのどれも「おいしい!」と、目を輝かせてくれた。エリカの笑顔が好きだった。
「ねえ、ただいまっていって。おかえりっていわせてよ……」
エリカの悲痛な叫びを、痛々しい姿を、見ていられなかった。僕は病室で、触れられない体でエリカを抱きしめ続けた。
そして、死んだあとの世界で、風の噂を聞いた。サンタクロースになれば、現世の大事な人にプレゼントを届けられるって。
僕は勇んでサンタ面接に向かった。
「サンタクロースは、自分の願いを叶えられない。わかるか? つまり、お前が愛する恋人の幸せを願うなら、それはお前の手で叶えにはいけないのだ」
懇懇と僕に告げる先輩は、幾度となくサンタクロース志望者にその説明をしてきたのだろう。
「広く子どもたちを、迷える子を愛す。そこには平等な愛しか存在してはいけないのだ」
「でも、プレゼントを届けられるんですよね?」
噂に聞いたことを伝えると、サンタクロースは苦々しい顔で頷いた。
「じゃあ、サンタクロースになりたいです」
だから僕はその日から、先輩のいるサンタクロース支部で新人として働くようになった。
その甲斐あって、きっと、もうすぐ僕は一人前のサンタクロースになれる。
一人前のサンタクロースに近づくと、うっすらと、自我が消えていくのだと先輩はいっていた。
僕のなかにある思い出は消えないけれど、それに薄いベールがかかったような心地になって、つよい感情が働かなくなる。だから、まだ残っているエリカへの思いも、遠い国の物語のような、僕ではない人間の話にしか思えなくなる……。
それを知っているから、先輩は安易に人をサンタクロースにしたくないのだろうし、僕もこの一年覚悟を決めていた。
僕はエリカの部屋で、必死に考えを巡らせる。これが最初で最後だ、エリカの贈り物を届けることができるのは。
今でももう、彼女への思いが褪せている気がするのだ。それでもいい、僕はこの日のためにサンタになる道を選んだ。
(これが済んだら、世界中に、平等に、愛を届けるよ。だから……)
手紙の内容を反すうする。答えは、なんだ。
賞味期限のない卵、いつまでだって、いつでも、好きなときに食べれて……
そもそもエリカは自炊をしないんだから必要じゃないだろう、と思ったところではっとして、キッチンにある冷蔵庫を開けた。
「うそだろ」
エリカは料理が苦手だ。焼くだけの工程すら、僕が提案したら一目散に逃げたほど。
だから冷蔵庫にある大量のビールやつまみ、弁当のなかに混じる、十個入りパックの卵は浮いていた。
「って、これもう明日までじゃん」
賞味期限が近いが、十個すべて使われていない。
じゃあどうして買ったんだ。
気まぐれだろうか。そう思ったが、ふと気になって、シンク横のゴミ箱を見た。
卵の白い殻が入っている。冷蔵庫のなかにある卵の前にも、エリカは卵を買っている。
驚くことにあのエリカが、卵かけご飯か、ゆで卵か知らないけれど、何かしらのかたちで卵を消費しているらしい。凝った料理ではないだろうという信頼はある。
「どうしてエリカは卵がほしい?」
エリカが求める卵は、いつまでもエリカと待ってくれる、たまご。
普通の卵はどうしてもいつか腐ってしまうから。
「いつ、僕が帰ってきてもいいように……」
僕が作ったオムライスを食べれるように。
「ああ……」
思わず、言葉がこぼれた。それを失くしてしまわないように、顔を両の手のひらで覆う。
エリカの思いが、手紙にあった卵とつながる。
「会いたいよ、タク……」
かすれた声が耳に届いて、エリカのほうを振り返る。
机に伏せて、こちらに向いているエリカは、眠ったままだった。けれど、机に涙の水たまりをつくっている。
「タク……」
エリカの呼びかけに、返事もできない。僕は、サンタクロース。みんなのサンタクロース。
一人だけを愛することはできない。
「こんなに卵を買ったって、僕が作ってやれる日は来ないんだよ。そもそもこんな汚い部屋で作れないよ」
眠っているエリカに、僕の言葉は届かない。
僕は、サンタクロースは、彼女への贈り物を決めた。
まずは彼女を、ベッドへ運ぶ。触れてしまった贈り物のためなら、サンタクロースは理を超える。
化粧を落とすことや、服を着替えさせるまではしないことにした。だって僕はサンタクロース。もう、君の恋人じゃない。
「さあ、やるぞ」
エリカがまとめたゴミ袋を、持ってきた白い袋にひょいひょいしまい込んでいく。部屋をきれいにしよう、じゃないといつまでたっても気持ちは明るくならない。
僕と離れてしまった未来を、エリカはまだ進んでいくのだから。
だから、今日、生まれ変わろう。
お祝いだよ、エリカ。
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