おかえり、これからの家

 家のドアを閉めた瞬間、外の世界が遠ざかった。


「……寒かったね」


 彼女がそう言って、コートを脱ぐ。

 いつもと同じ仕草なのに、左手の薬指に光る指輪が、何度も視界に入ってきて、そのたびに胸がぎゅっとなる。


「おかえり」


 思わず口にすると、彼女は一瞬きょとんとして、それからふっと笑った。


「ただいま」


 たったそれだけのやりとりなのに、意味が変わってしまった気がした。

 “帰ってくる場所”が、今、静かに形を持った気がして。


 靴を揃え、明かりをつける。

 いつもと同じ部屋。いつもと同じソファ、テーブル、カーテン。

 なのに、空気だけが違った。


「ねえ……」


 彼女が、そっと左手を差し出す。


「もう一回、見てもいい?」


「何回でもいい」


 彼女は指輪を見つめて、角度を変えて、光にかざして。

 そのたび、小さく息を吸う。


「実感、じわじわ来るね……」


「俺は、ずっと来てる」


「うそ」


「ほんと」


 隣に座ると、彼女は自然に肩を預けてきた。

 その重さが、愛おしくて仕方ない。


「ねえ」


「うん」


「さっきさ……プロポーズされた瞬間、頭が真っ白だった」


「俺も」


「でもね」


 彼女は、胸元に顔をうずめる。


「怖さ、全然なかった。

 この人なら大丈夫って、それだけだった」


 胸の奥が、じんわり熱くなる。


「俺も同じだよ」


 指先で、彼女の髪をゆっくり撫でる。

 急ぐ必要なんて、どこにもない。


「これから、喧嘩もするよね」


「するな」


「するでしょ」


 くすっと笑って、彼女は続ける。


「忙しくてすれ違って、言わなくていい一言も言っちゃって」


「うん」


「それでも……ちゃんと、ここに帰ってきたい」


 彼女が、胸にそっと手を当てる。


「あなたのところに」


 その言葉に、返事はいらなかった。

 抱きしめると、彼女は安心したみたいに息を吐く。


「……あったかい」


「そりゃそうだ」


「ずっと、こうしてたい」


「いいよ。時間、いくらでもある」


 カーテンの隙間から、街の明かりが滲む。

 外ではまだクリスマスが続いているのに、この部屋は静かだった。


「ねえ、名前で呼んで」


 突然のお願いに、心臓が跳ねる。


「今さら?」


「今だから」


 少し照れながら、それでもちゃんと呼ぶ。


「……好きだよ」


 彼女の体が、ぴくっと震える。


「ずるい……」


「プロポーズしたから、許される」


「許されすぎ」


 彼女は笑って、でも目が潤んでいた。


「これから先さ、

 何気ない日が増えると思う」


「うん」


「でも今日みたいな夜を、ちゃんと覚えていようね」


 左手を握ると、指輪が触れ合う。


「約束」


「約束」


 額に、そっとキスを落とす。

 それだけで、胸がいっぱいになる。


 特別なことはしない。

 ただ、一緒に夜を過ごす。


 クリスマスの魔法が解けても、

 この温もりだけは、明日もここにある。


 それが、何よりの奇跡だった。


 彼女が小さく囁く。


「……おやすみ、これからの人」


 胸が、優しく締めつけられた。


「おやすみ。

 一生、大切な人」


 部屋の明かりを落とす。

 静かな夜の中で、二人の未来だけが、確かに息をしていた。

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この先の毎日を、君と。――クリスマスのプロポーズ 長晴 @Hjip

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