2.異常の連鎖 ――人は意味を必要としすぎた

翌日から、時間の感覚が崩れた。


夜が明けても空は明るくならず、雲は分厚いまま動かない。

通信室ではモニターの光だけが昼夜の区別だった。


地震は連鎖した。

一つが収まる前に、別の地域が揺れる。

火山は眠りから覚めたように噴煙を上げ、海は潮位の説明不能な変動を繰り返した。


指揮官は椅子に座る暇もなく、指示を飛ばし続けた。


「避難経路を再確認。港湾部は封鎖」

「病院への電力優先、通信は最低限でいい」

「理由を説明するな。まず動かせ」


理由を説明できる者は、どこにもいなかった。


海外からの映像が次々と届く。

砂漠に走る巨大な亀裂、氷原の下で崩れ落ちる地形、海上に立ち上る火柱。


だが、どの映像にも共通点があった。

現象そのものよりも、人々が同じ言葉を使い始めている。


「見られている気がする」

「何かの意思だ」

「自然じゃない」


混乱が広がる一方で、別の声も上がり始めていた。


科学アドバイザー会議。

通信回線の向こうで、数名の有識者が冷静な口調で意見を述べる。


「視覚情報の不一致は、集団幻覚の可能性があります」

「極度の不安状態では、人は意味のない刺激を“像”として補完する」

「同時多発的な災害が、認知を歪めている可能性は高い」


大型スクリーンに、過去の事例が映し出される。

戦時下、宗教的熱狂、パニック時に発生した集団視認の記録。


「“見られている”という感覚も、説明可能です」

「捕食者に対する本能的反応が、誤作動を起こしている」


理屈は、整っていた。

数式も、グラフも、論文も揃っている。


だが指揮官は、画面の端に表示された各地の映像から目を離せなかった。

幻覚にしては、地震は揺れすぎている。

錯覚にしては、火山は噴きすぎている。


「……説明は、現象の後追いに過ぎない」


彼は小さく呟いた。

否定するには早い。だが、安心するには、あまりにも世界が壊れすぎていた。


科学的説明は追いつかず、宗教的解釈は早すぎた。

その隙間を埋めるように、不安だけが膨らんでいく。


指揮官は、画面に映る世界地図を見つめた。

赤い警告表示が、点ではなく線になり、やがて面へと広がっていく。


「……世界全体が、同時に壊れ始めている」


誰かが呟いたその言葉に、反論する者はいなかった。


科学アドバイザー会議が終わると、通信室には微妙な沈黙が残った。

誰もが「集団幻覚」という言葉を口にした安堵と、

それでも何も解決していないという感覚の間で揺れていた。


指揮官は無意識に、息子との会話を思い出していた。


――焼け落ちた都市。

――高熱で歪んだ石。

――神話として語り継がれた、滅びの物語。


「神話って、負けた側の報告書かもしれないんだって。」


不意に、その言葉が蘇る。


昔の人間は、理解できない破壊を「神」と呼んだ。

では今の人間は、それを何と呼ぶのか。


集団幻覚。

認知の歪み。

説明可能な錯覚。


指揮官は、気づいてしまった。


――呼び方が違うだけだ。

――どちらも、「分からないものに蓋をするための言葉」だ。


名前を与えた瞬間、人はそれを理解したつもりになる。

だが、地面は実際に割れ、空は現実に歪み、

死者と避難民の数は、確実に増えている。


「……言葉だけが、進化しているのか」


彼は小さく呟いた。


その夜、社会が眠りについたころに帰宅した。


停電のため、街は暗く、静かだった。

非常灯の淡い光の中で、妻はろうそくを灯して待っていた。


「無事だった?」


「ああ。そっちは?」


「教会に行ってきたわ」


指揮官は一瞬、言葉を探した。

彼女が信仰を持っていることは知っていた。

だが、それがこの状況でどういう意味を持ち始めているのか――まだ、直視したくなかった。


「皆、怖がっていた。でも……」


妻は微笑んだ。


「意味があるって思えたの。これは、偶然じゃないって」


指揮官は黙って椅子に腰を下ろした。

朝から続く疲労が、ようやく身体に重くのしかかる。


「意味があっても、人は死ぬ」


「ええ。でも、意味がなければ耐えられないでしょう?」


その言葉に、彼は返せなかった。

自分は意味ではなく、結果と責任で動いている。

だが、彼女は違う。


ろうそくの炎が揺れ、壁に歪んだ影を作る。

その形が、ふと空の雲を思い出させた。


数日後、転機が訪れた。


国際緊急会議。

各国の代表が、初めて同じ危機を“同じ言葉”で語り始めた。


「単独では対処不能」

「資源の共有が必要」

「敵対関係を凍結する」


軍事衛星、医療チーム、輸送網。

それまで国家機密だったものが、次々と開示される。


指揮官は、防災担当として各国と直接やり取りをした。

言語も思想も違うが、共通しているものがあった。


――人を救いたい、という焦燥。


救助隊が国境を越え、物資が空路と海路を埋め尽くす。

ニュースは、瓦礫の中から救い出される子どもや、外国の医療チームと現地市民が協力している様子、肩を組む異国の兵士を映し出した。


人類は、初めて一つになったかのように見えた。


指揮官は、その光景をモニター越しに見ながら、胸の奥に微かな希望を感じていた。


「……まだ、間に合うかもしれない」


空は相変わらず灰色だった。

だが、その下で人々は確かに、手を取り合っていた。


神の姿は、どこにもない。

ただ、神を巡る“解釈”が、生まれ始めていることに――

彼は、まだ気づいていなかった。

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