第3話

「艦長、航空隊がまもなく発艦です」

「そうか。最良のクリスマスになるな」


エーレンベルクはグートマンの言葉を聞き終えると、暗闇にぼんやりと浮かぶ巨大な影を見つめた。

彼の国が戦争終結に向けて建造した新型の航空母艦。

3隻の航空母艦の護衛として、彼の巡洋戦艦も海峡に駆り出されたのだ。

しかし、彼は幸福そうだった。海軍一筋40年の老将は目を細める。


「なんとすばらしい。人生最大の名誉になるだろう」

「ええ。陸軍の嫉妬が目に浮かびます」


『国家を所有する軍隊』『皇帝は参謀の端女』

そのように評されるエーレンベルクの国を持ってしても、史上最悪の戦争は手に余るものであった。

開戦初期に実行された電撃作戦は西方の国の首都を陥落させることには成功したものの、海に達するわずか手前で島国の増援が到着し、攻勢は頓挫。

直後に、東方の国による総攻撃が幕を開け、大陸には国土を包囲するかのような巨大な戦線が現れた。

かつての時代で騎兵が1人討ち死にする間に、1個中隊が消滅する昨今。

これ以上、この国は1滴たりとも血を流せない。


「来年の年明けには飢えと寒さが敵を倒してくれる。あとは、進むだけだ」


そうして、内閣を肩代わりする参謀本部が発案したのが、『陸の孤島作戦』。

Uボートによる海上封鎖、航空母艦と爆撃機による敵後方の空襲、そして陸軍による大攻勢。

エーレンベルクたちはこの3本柱によって、西部戦線を終結に導こうとしていた。

世界最強だった敵海軍はUボートという侮った新兵器によって、その名を天下に轟かせた巨艦たちをいくつも失った。

敵空軍に屠られるばかりであった鈍重な爆撃機たちも、航空母艦の登場によって戦闘機たちの庇護を受けられる。

航空母艦から飛び立てる小さな攻撃機たちも、鉄道を吹き飛ばし、港や滑走路をでこぼこにするには十分だ。


「やはり私の目に曇りはなかった。この艦が、私をこの舞台に招いてくれたのだ」

「ええ。後世の英雄譚には、必ずこの船と、艦長の名が乗りましょう」


エーレンベルクはかねてより、海上における経空脅威の重要性を主張していた。

戦艦の時代がまもなく終わり、飛躍的な進歩を遂げる航空機と、その母艦が次の戦場を席巻するだろうと確信していた。

そうして彼は周囲の顰蹙をものともせず、愛する巡洋戦艦に改造を施し、対空砲や機関銃をハリネズミのごとく備え付けた。

『偏執狂』とも評された彼の先見性。

参謀本部は作戦の開始に際し、彼の正しさをついに実感。

その名前を、名誉ある航空母艦隊に加えることとなった。


「うん?艦長、空に妙な光が」


グートマンはエーレンベルクに窓の外を指さして言った。

空には、小さな光の粒が生まれては消えるを繰り返している。


「ああ。あれはサンタクロースだ。今日は、聖なる日だろう」

「なるほど。彼でしたか。作戦に気を取られ、失念しておりました」


光は、真っ直ぐこちらに近づいてくる。

孤児の生まれで、戸籍があやふやな者。食事や名誉を求めて年齢を偽る者。

エーレンベルクの艦のみならず、海軍にはそういった経歴を持つ16歳が多々いる。

クリスマス当日の朝、枕元にプレゼントを届けられた者をめちゃくちゃにからかうのも、海軍の伝統であった。


「もうこの時期か。クリスマスまでに帰ると言って故郷を発った最初の若者たちが塹壕で斃れてから、7年か」

「8年目はありませんよ。これで、おしまいです」


エーレンベルクも、この戦争に思うところはあった。

しかし、彼は幼少から立身出世の念を抱いて生きてきた。

年齢を鑑みても、名誉を立てる最後の機会。

無辜の若者たちが次々と落命するのには心を痛めたが、燻る英雄願望は快哉を叫んだ。


「緊急です!艦隊上空に敵航空隊が出現!サンタクロースを盾にして突っ込んできます!」


艦長室のドアを蹴り飛ばした伝令。その口からは信じがたい言葉が放たれた。

想像を超えた報告にグートマンは絶句するが、エーレンベルクは冷静だった。

むしろ、合理的だと納得すらしていた。


「直ちに迎撃!しかし、サンタクロースへの発砲は厳禁だ。いいか、絶対に、彼を撃つなよ!」

「了解!」


サンタクロースの訪問以外は、想定していたこと。

ここで航空母艦を守りぬけば、退役前に勲章すら授けられるだろう。

注目を集めるため。来るパラダイムシフトで一番槍を務めるため。

ハリネズミのような艦形は、名誉に与りたい彼の打算の具現化だった。


「この艦が、囮だ!この私こそが、あの洋上の滑走路の守護者だ!」


作戦を聞きつけたとき、船員の反対を無視してまで立候補したエーレンベルク。

クルーたちに、何より自分のために手柄を。

その思いが、この巡洋戦艦を暗い戦場に導いたのである。


これが、エーレンベルクの為した「愛」であった。


***


炎に包まれ、傾いてゆく船。焼死か溺死かを選ばせられる水兵たちをよそに、甲板にはひとりの男と、ひとりの聖人がいた。


「お待ちください!」


サーベルを手にした彼は他でもない、エーレンベルクだった。

制服はあちこちが焦げ、右の頬にはガラスの破片が刺さっている。

他方、サンタクロースは伝説と全く同じように、赤い服と帽、そして大きな袋を携えている。その顔は大きな白髭と夜の闇のせいで見ることができない。


「|Sum amoris sine conditione incarnatio《我は無償の愛の体現者なり》」


上流階級出身のエーレンベルクはサンタクロースの言葉がラテン語であることを見抜くと、彼も格調高いラテン語で応じた。


「聖者サンタクロースよ、待ちたまへ」


「汝よ。如何なる用にし我を呼び止めし」


近くで何かが爆発し、ふたりを熱風が襲った。

爆風を受けたというのに、サンタクロースの髭も服も、彫刻のように微動だにしない。

甲板に投げ出されたエーレンベルクは再びサーベルを握って立ち上がり、サンタクロースと向かい合う。


「サンタクロースよ。『無償の愛の体現者』たる君はなど、我が船に訪れけりや。君の後ろには我が船を狙はむとする鉄の鳥ども控へたらずや。君はまさに、我らを弑さんとす」


「我は無償の愛の体現者なり。我が本分は恩寵を授くることにあり。裁きにあらず」


あたりから人の声は消え、ただ船体の軋む音と炎が燃え盛る音のみが響き渡る。

暗い海にはいくつもの火柱が上がる。

そのうちの1本は今にも水面に沈み切ろうとしている。

エーレンベルクが守るべき航空母艦たちが、その正体であった。


「裁き。裁きとは、されば何なりや」


「人命に軽重はなし。等しく千万ちよろずなりけり。千万ちよろずの和は、足さるる数によらず、いらへは千万ちよろずなり。君を襲いたる鉄の鳥なる敵百三十も、この黒鉄の船に乗りたる汝ら兵二千も、戦場でまさに飢えんとする味方の兵三百五十万も、皆等しくなりけり」


「さりとて、君は我らを殺ししぞ。君の短慮に我が戦友は死にけり。君に心やなき」


「我におもいなし。こころざしなし。こころなし。ただ、定められしさがにのみ従いたり。我はただ無償の愛を体現せるばかりなり」


「心のなきところに愛のあらむや」


「それこそが、無償の愛の正体なり。我欲を捨てし、純然たるわざなり。人には、えず」


サンタクロースは沈みゆく船を去り、右舷につけたソリに乗り込んだ。

暗い海にはばらばらになった飛行機の破片や、漏れ出した油で塗れている。

エーレンベルクは飛び立ったサンタクロースにサーベルを向けたが、すぐに甲板へ投げ捨てた。

そして、艦長室へと歩き始めた。

鉄の焦げる匂いと肉の焼けた匂いが、沈みゆく船に漂っていた。


これが、サンタクロースの為した「愛」であった。


---


真っ暗な艦長室には氷のように冷たい水が大挙して押し寄せた。

傾きゆく椅子に、エーレンベルクは静かに座り、まもなく訪れる死を待った。

波は、グートマンの死体を漁り、部屋中の本やメダルを奪っていく。

ふと、水は入口に置いておいた背の高いものを引き倒す。

豪華なことに、クリスマスツリーには電飾が施されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

クリスマス聖人戦争 @raralauss

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ