第2話
「狂った仕事だ。小さい頃にプレゼントをもらえなかった将軍がいるに違いない」
アレンは操縦桿を握り、闇に沈んだ海峡上空を飛んでいた。
「同意するよ。もうヴァルハラには行けないな。洗礼を受けなきゃよかった。改宗はまだ間に合うかな」
「ちなみに、どちらへ?」
「無神論かな」
複座の相方であるミュラーは答えた。
彼らはサンタクロースからプレゼントをもらえる最後の年に海軍航空隊へ志願し、新兵のときから戦争7年目の今に至るまで常に苦楽を共にしてきた。
時には仲違いし、時には酒を浴びるように飲み、切磋琢磨してきたかけがえのない唯一無二の戦友。
サンタクロースを目印に彼ごと潜水艦を攻撃せよ、という信じられない命令が降ったときも、彼らは一緒だった。
「あれがサンタクロースか」
8頭のトナカイに引かれる赤い服の老人が、かの聖人、サンタクロースであった。
荷台に置いたプレゼントの袋は、彼の体より大きく膨らんでいる。
信じがたいが、サンタクロースは伝説通り翼もプロペラもなく空を飛んでいた。
アレンは今まで、この操縦席から幾多もの敵機を見てきたが、それの全てよりもぞっとする体験であった。
「光っている」
トナカイやソリの足元には細かな光が生まれては消えてゆく。まるで雪原を駆け抜けているかのように、雪煙のごとく光は舞い散る。
「次で8つ目か」
「もう5隻沈めたらしい。残りは追撃中らしいが、3ヶ月分の戦果をもう出した」
航空隊所属であっても、Uボートの悪名はアレンたちの耳に入る。
新型の量産が始まり、性能面ではこちらを圧倒。海中さらに深くをさらに長く潜航できる代物だ。
撃沈はおろか、発見すら困難だった。
軍は対潜戦闘の技術にこそ秀でているが、そもそもの捜索技術には対岸に二歩も三歩も遅れをとっていた。
「そういえば、サンタクロース濡れていないな」
「やはり人智を超えている。『生ける聖人』なだけあるな。ほとんど、神の御業だ」
2人にとってこれほど、聖でないクリスマスは初めてだった。
この手でUボートを沈められるという興奮。
機内の温もりを奪っていく冬と夜を、彼らはものとも思わなかった。
「下降を始めたな。前に追従する」
「ようやく仕事だ」
アレンはサンタクロースが残した光の粒子を追ってかれこれ2年の付き合いになる4番機を傾ける。
間も無くして、サンタクロースの光は海中に消え、再びあたりは暗闇に包まれる。
「訓練通りだ」
「よし。俺はやるぞ」
浮上してくるサンタクロースの光が、冷たい海の中で煌めき始めた。
そして、彼が顔を出したとき、アレンはレバーを引いた。
機体が一気に軽くなり、機首が飛び上がる。
まるで霧に包まれた深い渓谷に石を投げ込むような。音も衝撃も聞こえず、実感は沸かない。
あっけない。アレンはそう思った。
「ひとまず8個目の仕事は終わりだな」
ーーー
サンタクロースが9回目の下降を始める直前、嬉しい知らせが視界に入った。
「沈んだか!沈めたぞ!」
「よし、やってやった!」
1番機が翼を振って、先ほどの攻撃の成果を伝えてきた。
今まで幾万もの同胞と何十万トンという艦船を海に葬ってきたUボートに一矢を報いることができた。
アレン自身、潜水艦の撃沈など不可能だと思っていた。先ほどの攻撃も、相手が海中だったからか、手応えもなかった。
それだけに、感慨は大きかった。
「次だ!次も海の藻屑にしてやる!」
「海に沈むんだ。潜水艦の冥利に尽きるだろうよ!」
月はとうに西の果てに暮れ、光源のない夜が広がっている。
アレンは光り輝くサンタクロースの軌跡に目を取られ、眼下のそれに気が付かなかった。
「来年は家族でクリスマスパーティをしたいよ」
アレンには妻と2人の娘がいた。しかも、新たな命が妻の体に宿っている。
遺族年金で食ってはいけるだろうが、子どもたちには明るい未来を歩んでほしいというのが親心だろう。
まだ幼いうちに街を覆う煤煙を吸い込んでいたからか、虚弱体質の娘たちを育てるのは手がかかる。だが、それがなお一層可愛く見えるのは、親バカというものだろうか。
「アル中はお邪魔じゃないか。離婚寸前なんだろ」
「…カトリックに改宗しようかな」
アレンは酒癖が悪かった。飲んでは暴れ、仕事の苛立ちをついうっかり家族へむけてしまうこともあった。
警察を呼ばれたこともある。
強がりの諧謔をもってしても、取り繕えなかった。
「いいさ。俺は目の前の敵に集中する」
「おう、ぜひそうしろ」
サンタクロースと共に機体は漆黒の海面へと近づく。
アレンが海上に浮かぶ巨大な像に気づいたのは、その時だった。
「戦艦!?」
「いや、巡洋戦艦だ!」
次の瞬間、真っ赤な曳光弾が真横を掠めて僚機を屠った。
あたりでは無数の対空砲弾が炸裂し、爆発音が鼓膜を突き破らんばかりに震わせる。
平和だったはずの黒い海。
わずか数瞬の間に、そこは大量の鉄が音速の数倍で自分に向かってくる熾烈な戦場と化した。
まるで大陸戦線がその場に出現したかのような、信じがたいほどの密度の砲火。
爆炎の雲と破片の雨。人類が技術の粋を結集して、殺人のためだけに作られた発明品たちが容赦無く牙を剥く。
アレンとミュラーは久しぶりに、死を直感した。
「離脱しろ!落とされる!」
「わかってる!黙ってろ!」
アレンたちにとって、完全な想定外であった。敵海軍は艦隊温存戦略を採用し、今の今まで奥地に篭っていたのだ。
それが、海峡までやってきている。しかも、その対空能力も、アレンたちが経験してきたものとはおおよそ乖離している。
アレンは絶体絶命な状況と、敵の不可解な行動に絶叫した。
「くそ、なぜだ!」
その答えは、すぐそばにあった。
「あれは、航空母艦?」
アレンの国でもつい最近、試験的運用が始まった艦種。滑走路が乗っかっているため、広くて平らな甲板が特徴的だ。
アレンもテストパイロットとして、離着艦を行ったことがある。
「そうか、そういうことか!」
あの平たい艦は、航続距離問題の解。
Uボートで瀕死の艦隊。
その力の空白に航空母艦を進出。
そして、敵国本土からは届かない、アレンたちの大陸側拠点を空襲する。
アレンの頭は瞬く間に、敵の描いた作戦を弾き出した。
「まずい、翼が!」
思考を巡らせながら必死に回避行動をとるアレンだったが、ふと飛んできた対空機銃が、右の翼を奪った。
まるで骨折した腕を動かす感覚。熟練のアレンをもっても、機体の制御はうまくいかない。
「くそ!脱出するしかない!」
ミュラーが大声で騒ぐ一方、アレンは沈黙していた。
その脳裏にはひとつの単語が浮かんでいた。
『帝国殊功勲章』
軍人が受けれる最大の名誉。ほとんどが戦死の後に授与される代物。
遺族には通常の年金と比べ物にならないほどの見舞金が与えられる。
帝国殊功勲章でなくとも、勲章を持って死んだか、そうでないかで遺族年金は桁が変わる。
アレンには英雄願望があった。
それは名誉の渇望といった、精神的な理由ではない。
彼の家族に、少しでも財産を遺すためという切実な理由であった。
彼自身、この戦争で生き残るのは難しいと思っていた。
「何してんだよ!脱出だ!脱出!」
今脱出したとて、着地する先は極寒の洋上。
犬死にだ。
『
名誉の戦死は、一家に着せられた汚名を十分に雪ぎ、家族には莫大な財産を残せる。
いくら家族がアレンを疎もうとも、乱暴ながらアレンが家族を思う心は本物だった。
ただ、接し方がわからなかっただけなのだ。
そして、アレンは決断することとなる。
「やめろ!降ろせ!くそ!この野郎!」
新造の航空母艦には『4』と記された手負いの対艦攻撃機がまっすぐ、宙を裂いて向かっていた。
腹に抱えた大ぶりの爆弾とともに。
「悪いな」
クリスマス・イブの夜。
2人の英雄は愛機とともに3000度の熱に包まれた。
黒く冷たい海には、1隻の大きな船が沈んでいった。
これが、アレンの為した「愛」であった。
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